今日は作家の原田マハさんの講演会「リーチを追いかけて 『リーチ先生』創作のプロセス」がアビスタにて行われました。
素晴らしい講演で、講演の最後の原田マハさんの「リーチ先生」という呼びかけには思わず、目頭が熱くなりました。
もう一度、「リーチ先生」を読み返そうと、講演を聞いていた誰もが思ったことでしょう。
マハさんの講演は、最近イギリスのロダン美術館に訪れていたという話から始まりました。
自分は作家として12,3年になるが、旅とアートをテーマにしていて、「フーテンのマハ」と呼ばれることもある。
この「フーテンのマハ」の名付け親は、映画好きだったお父さんで、自分でも気に入っている。
丁度、「フーテンのマハ」というエッセイ集が4月に刊行されることも紹介されました。
そんなマハさんの趣味の一つに窯元巡りがあり、小鹿田、鳥取、島根、益子、丹波などなどを訪れ、気に入った陶器を購入する。
その陶器の中でも水差し(ピッチャー)をよく集め、50個くらいが手元にある。
それらを眺めていると同じようなDNAが入っていることに気づき、そのDNAがバーナード・リーチであることにたどり着いた。
100年たった今でも窯元を訪れると、「これはリーチ先生が教えてくれた」との言葉が出てくる。
その時に「リーチ先生」というタイトルが決まった・・・などなど、まさに「リーチ先生」の創作のプロセスが次から次へと語られていきました。
私は「リーチ先生」を読んで、間違いなくマハさんは我孫子を訪れ、手賀沼の雰囲気を感じて作品を書いたのだろうと思ったのですが、
なんと、マハさんは今日が初めての我孫子訪問でした!!
講演の中で、何度ももっと早く我孫子に来ておくべきだったと話していました(笑)
そして、ここまで話をされるのかと驚いたのは、「リーチ先生」の主要な登場人物、沖亀乃介は実在の人物なのかどうかという点です。
この本を読んだ人は誰もがそのことを疑問に感じていたと思います。
あの愛すべき「亀ちゃん」は・・・、マハさんからはその答えが語られたのですが、私がここで記すことは控えます。
皆さんのご想像にお任せしたいと思います。
そしてマハさんは最後に、リーチを追いかけて、多くの子供たちに出会った。我孫子市民もその子どもたちだ。
みんなで「リーチ先生」と呼びかけようと、講演を締めくくりました。
本当に素晴らしい講演会でした。
我孫子市民であることを誇らしく感じました。
原田マハさん、どうもありがとうございました。
素晴らしい講演で、講演の最後の原田マハさんの「リーチ先生」という呼びかけには思わず、目頭が熱くなりました。
もう一度、「リーチ先生」を読み返そうと、講演を聞いていた誰もが思ったことでしょう。
マハさんの講演は、最近イギリスのロダン美術館に訪れていたという話から始まりました。
自分は作家として12,3年になるが、旅とアートをテーマにしていて、「フーテンのマハ」と呼ばれることもある。
この「フーテンのマハ」の名付け親は、映画好きだったお父さんで、自分でも気に入っている。
丁度、「フーテンのマハ」というエッセイ集が4月に刊行されることも紹介されました。
そんなマハさんの趣味の一つに窯元巡りがあり、小鹿田、鳥取、島根、益子、丹波などなどを訪れ、気に入った陶器を購入する。
その陶器の中でも水差し(ピッチャー)をよく集め、50個くらいが手元にある。
それらを眺めていると同じようなDNAが入っていることに気づき、そのDNAがバーナード・リーチであることにたどり着いた。
100年たった今でも窯元を訪れると、「これはリーチ先生が教えてくれた」との言葉が出てくる。
その時に「リーチ先生」というタイトルが決まった・・・などなど、まさに「リーチ先生」の創作のプロセスが次から次へと語られていきました。
私は「リーチ先生」を読んで、間違いなくマハさんは我孫子を訪れ、手賀沼の雰囲気を感じて作品を書いたのだろうと思ったのですが、
なんと、マハさんは今日が初めての我孫子訪問でした!!
講演の中で、何度ももっと早く我孫子に来ておくべきだったと話していました(笑)
そして、ここまで話をされるのかと驚いたのは、「リーチ先生」の主要な登場人物、沖亀乃介は実在の人物なのかどうかという点です。
この本を読んだ人は誰もがそのことを疑問に感じていたと思います。
あの愛すべき「亀ちゃん」は・・・、マハさんからはその答えが語られたのですが、私がここで記すことは控えます。
皆さんのご想像にお任せしたいと思います。
そしてマハさんは最後に、リーチを追いかけて、多くの子供たちに出会った。我孫子市民もその子どもたちだ。
みんなで「リーチ先生」と呼びかけようと、講演を締めくくりました。
本当に素晴らしい講演会でした。
我孫子市民であることを誇らしく感じました。
原田マハさん、どうもありがとうございました。