もし自分が関根さん家の麻里ちゃんだったら・・・
//////////////////////////////////////////////////////
録画してあった『MUSIC・JAPAN』(NHK総合日曜23:30~)を観ま
した。ボンジョビが出てた回のやつ。私は、
「Perfumeは、POPsの意味を回復するっ!」
とか
「Perfumeオワタら、POP・MUSICもオワル・・・orz」
くらいの勢いなワケです。ではそのココロはというと・・・。
いつかそれを長文にまとめたいと思います。てか、7月から書き始
めた長文がふくらみすぎちゃって収集つかなくなっちゃって未完成の
まま放ったらかしにしてるのですが。まとめるとなると、一日潰して
も終わらない。古代ギリシャのピタゴラス音律から話を立ち上げてい
るものですから。
『MUSIC・JAPAN』に話を戻します。ああいうインタビューって大抵
「日本の印象は?」とか
「日本食は好きですか?」とか
「日本のオーディエンスはどうですか?」とか、
そういうありがちな質問をするわけです。それがほんと、
「ナンダカナァ~。」
なんです。
「POP・MUSICIANが、日本でLIVEをやる事の意味は?」
「貴方にとって、武道館とは?」
「日本のPOP・MUSICが、世界を巡り巡るには?」
私がインタヴューアならこういった事をききたいんです。
POP・MUSIC畑で最初に武道館LIVEをやったのは、ご存知の通り、
1966年のビートルズです。このイギリス生まれの4人の若者が、
この極東の島国の、キャパ約1万の武道館を埋めた、その事の意
味とはいったい何なのでしょうか?
彼らが武道館でLIVEをやる事の意味、それは、イギリス人である自
分たちの生んだPOP・MUSICが、そのPOPが、地球を巡り巡って地球の
裏側まで届いた、地球の裏側まで響き渡った、その証明なのです。
これは米国のPOP・MUSICIANにとっても同様であり、ボンジョビに
とっても同様なのです。
そしてビートルズ後の、2枚の武道館LIVEアルバム
♪ディープ・パープル(英)『Made in Japan』(1972)
♪チープ・トリック(米)『チープ・トリックat武道館』(1979)
という2枚の名盤を経て、武道館はPOP・MUSICの聖地になりました。
これは何も日本人にとってばかりではく、英米のPOP・MUSICIANに
とってもそうなのです。これこそが、英米のPOP・MUSICIANが武道館
でLIVEをする事の意味です。
「自分達の生み出した“POP”が、地球を巡り巡ったんだ。」
という勲章なのです。
さらに、日本って変な国なんです。
ディープパープルはイギリスのバンドですが、アメリカより先に日本で
ブレイクした。それどころか、母国より先に日本でブレイクし、その後に
母国でブレイクするって実例が何件かあります。その代表例が、
♪70年代のクィーン(英)
♪80年代のボンジョビ(米)
です。
ボンジョビのメンバーが、ビートルズ、ディープパープル、チープトリック、
クィーンを知らないわけないわけで、その辺をからめてインタビューして欲
しかった。そして最後に、
「日本人の少なからずが、日本の生んだPOP・MUSICが、そのPOPが、
地球の裏側にまで届く事を願っている。しかしそれは未だ実現して
いない。それに必要な事はなんなのでしょうか?」
ときくわけです。
(さらにボンジョビメンバーにPerfume動画を手渡せば、それはもう完璧。
帰りのチャーター飛行機の中でそれを観て、ぴったんこの可能性、大w。)
ジュリアナ東京が閉店になった1994年を『アンダーグラウンド元年』とし
ます。それまでにも存在していたLIVEハウス、インディイーズレーベルに、
クラブ・カルチャーやストリート・カルチャーが加わって、ポストモダン
的な厚いアンダーグラウンドシーンが形成されました。
(私はヒットチャートやゴールデン全国ネット音楽番組というJ・POPメイ
ジャーしか知らず、それに嫌気がさしてここ10年はJ・POPをほとんど
聴かなくなり、Perfumeのお導きによってアンダーグラウンドの分厚さを
知ったので、エラソな事は言えないのですが。)
アンダーグラウンドシーンには、そりゃクオリティの高い音楽が結構あ
りますよ。しかしそれがアンダーグラウンドの細分化された蛸壷に自閉し
ている限りは、POPsと呼ぶに値しないわけです。
「Perfumeは、POPsの意味を回復する。」
これは、そんな意味を込めてなんです。
例えば『MUSIC・JAPAN』のコーナーで、『武道館・FirstLIVE』とい
うコーナーを作るわけです。そこでその週に武道館・初LIVEを成功させ
たミュージシャンを洋邦とわずに取り上げる。とかですね。それに連
動させて紅白にそういう1コーナーを設けてもいいですし。
(ポスト・ポストモダンな今となっては、武道館もまた1万人収容の巨
大な蛸壷に過ぎんってのもまた、真実ではありますが・・・)
♪外国のミュージシャンが母国よりも先に日本でブレイクし、武道館LIVE
を成功させ、その後、母国でもブレイクする。
♪アンダーグラウンドの優れた音楽達が、武道館というターンを経て
メイジャーシーンに登場する。そして、その優れた音楽が、優れた音楽
であるというそれだけの理由で、つまりは音楽のチカラのみによって、
老若男女の音楽ファンに支持され、それが広がってゆく。
私はそんな日本の音楽シーン、激しく観てみたいのです。
木村カエラさんのお導きによって、ラジオDJの意味を回復したPerfume。
【P】DJの意味を回復した、3人+1人
そして、1年前の、2008年11月6日、7日。
あの日、Perfumeは、間違いなく、武道館でLIVEをするという事の意味を、
久しく失われていたその意味を、痛快なまでに回復した。
「Perfumeは、POPsの意味を回復する。」
もはや、これは、疑いようの無い、事実なのです。
さらに言うならば、Perfumeは、POPsの本当の意味を日本人に知らしめた、
その最初の事例なのです。そのココロは・・・?
これが未完の長文の主題です。Perfumeに出会って初めて、私はPOPsの
意味を知りました。知っているつもりで、実はちっともわかっちゃいな
かったのです。多くのうるさ型の洋楽ファンといわれている人たちが
Perfumeに夢中になった。その意識/無意識に隠された理由が、その未完の
長文に述べられています。
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追伸:
のっち、かしゆか、あ~ちゃん、そしてチームPerfume、さらには
Perfume紳士淑女諸君、武道館LIVE1周年、おめでとうっ!!!
当blogの目次に戻る。
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録画してあった『MUSIC・JAPAN』(NHK総合日曜23:30~)を観ま
した。ボンジョビが出てた回のやつ。私は、
「Perfumeは、POPsの意味を回復するっ!」
とか
「Perfumeオワタら、POP・MUSICもオワル・・・orz」
くらいの勢いなワケです。ではそのココロはというと・・・。
いつかそれを長文にまとめたいと思います。てか、7月から書き始
めた長文がふくらみすぎちゃって収集つかなくなっちゃって未完成の
まま放ったらかしにしてるのですが。まとめるとなると、一日潰して
も終わらない。古代ギリシャのピタゴラス音律から話を立ち上げてい
るものですから。
『MUSIC・JAPAN』に話を戻します。ああいうインタビューって大抵
「日本の印象は?」とか
「日本食は好きですか?」とか
「日本のオーディエンスはどうですか?」とか、
そういうありがちな質問をするわけです。それがほんと、
「ナンダカナァ~。」
なんです。
「POP・MUSICIANが、日本でLIVEをやる事の意味は?」
「貴方にとって、武道館とは?」
「日本のPOP・MUSICが、世界を巡り巡るには?」
私がインタヴューアならこういった事をききたいんです。
POP・MUSIC畑で最初に武道館LIVEをやったのは、ご存知の通り、
1966年のビートルズです。このイギリス生まれの4人の若者が、
この極東の島国の、キャパ約1万の武道館を埋めた、その事の意
味とはいったい何なのでしょうか?
彼らが武道館でLIVEをやる事の意味、それは、イギリス人である自
分たちの生んだPOP・MUSICが、そのPOPが、地球を巡り巡って地球の
裏側まで届いた、地球の裏側まで響き渡った、その証明なのです。
これは米国のPOP・MUSICIANにとっても同様であり、ボンジョビに
とっても同様なのです。
そしてビートルズ後の、2枚の武道館LIVEアルバム
♪ディープ・パープル(英)『Made in Japan』(1972)
♪チープ・トリック(米)『チープ・トリックat武道館』(1979)
という2枚の名盤を経て、武道館はPOP・MUSICの聖地になりました。
これは何も日本人にとってばかりではく、英米のPOP・MUSICIANに
とってもそうなのです。これこそが、英米のPOP・MUSICIANが武道館
でLIVEをする事の意味です。
「自分達の生み出した“POP”が、地球を巡り巡ったんだ。」
という勲章なのです。
さらに、日本って変な国なんです。
ディープパープルはイギリスのバンドですが、アメリカより先に日本で
ブレイクした。それどころか、母国より先に日本でブレイクし、その後に
母国でブレイクするって実例が何件かあります。その代表例が、
♪70年代のクィーン(英)
♪80年代のボンジョビ(米)
です。
ボンジョビのメンバーが、ビートルズ、ディープパープル、チープトリック、
クィーンを知らないわけないわけで、その辺をからめてインタビューして欲
しかった。そして最後に、
「日本人の少なからずが、日本の生んだPOP・MUSICが、そのPOPが、
地球の裏側にまで届く事を願っている。しかしそれは未だ実現して
いない。それに必要な事はなんなのでしょうか?」
ときくわけです。
(さらにボンジョビメンバーにPerfume動画を手渡せば、それはもう完璧。
帰りのチャーター飛行機の中でそれを観て、ぴったんこの可能性、大w。)
ジュリアナ東京が閉店になった1994年を『アンダーグラウンド元年』とし
ます。それまでにも存在していたLIVEハウス、インディイーズレーベルに、
クラブ・カルチャーやストリート・カルチャーが加わって、ポストモダン
的な厚いアンダーグラウンドシーンが形成されました。
(私はヒットチャートやゴールデン全国ネット音楽番組というJ・POPメイ
ジャーしか知らず、それに嫌気がさしてここ10年はJ・POPをほとんど
聴かなくなり、Perfumeのお導きによってアンダーグラウンドの分厚さを
知ったので、エラソな事は言えないのですが。)
アンダーグラウンドシーンには、そりゃクオリティの高い音楽が結構あ
りますよ。しかしそれがアンダーグラウンドの細分化された蛸壷に自閉し
ている限りは、POPsと呼ぶに値しないわけです。
「Perfumeは、POPsの意味を回復する。」
これは、そんな意味を込めてなんです。
例えば『MUSIC・JAPAN』のコーナーで、『武道館・FirstLIVE』とい
うコーナーを作るわけです。そこでその週に武道館・初LIVEを成功させ
たミュージシャンを洋邦とわずに取り上げる。とかですね。それに連
動させて紅白にそういう1コーナーを設けてもいいですし。
(ポスト・ポストモダンな今となっては、武道館もまた1万人収容の巨
大な蛸壷に過ぎんってのもまた、真実ではありますが・・・)
♪外国のミュージシャンが母国よりも先に日本でブレイクし、武道館LIVE
を成功させ、その後、母国でもブレイクする。
♪アンダーグラウンドの優れた音楽達が、武道館というターンを経て
メイジャーシーンに登場する。そして、その優れた音楽が、優れた音楽
であるというそれだけの理由で、つまりは音楽のチカラのみによって、
老若男女の音楽ファンに支持され、それが広がってゆく。
私はそんな日本の音楽シーン、激しく観てみたいのです。
木村カエラさんのお導きによって、ラジオDJの意味を回復したPerfume。
【P】DJの意味を回復した、3人+1人
そして、1年前の、2008年11月6日、7日。
あの日、Perfumeは、間違いなく、武道館でLIVEをするという事の意味を、
久しく失われていたその意味を、痛快なまでに回復した。
「Perfumeは、POPsの意味を回復する。」
もはや、これは、疑いようの無い、事実なのです。
さらに言うならば、Perfumeは、POPsの本当の意味を日本人に知らしめた、
その最初の事例なのです。そのココロは・・・?
これが未完の長文の主題です。Perfumeに出会って初めて、私はPOPsの
意味を知りました。知っているつもりで、実はちっともわかっちゃいな
かったのです。多くのうるさ型の洋楽ファンといわれている人たちが
Perfumeに夢中になった。その意識/無意識に隠された理由が、その未完の
長文に述べられています。
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追伸:
のっち、かしゆか、あ~ちゃん、そしてチームPerfume、さらには
Perfume紳士淑女諸君、武道館LIVE1周年、おめでとうっ!!!
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