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絵島囲み屋敷 (長野県伊那市)

2012-05-19 14:46:38 | 長野県おでかけスポット

江戸時代前期に大奥で起こった絵島事件により 絵島はここ高遠に流されました
高遠歴史博物館のそばに 絵島が幽閉された囲み屋敷が復元されています  

 


絵島事件・・ 将軍生母月光院の名代として 絵島は前将軍家宣の墓参りのため
      寛永寺と増上寺を参詣 その帰途に 懇意にしていた呉服商の誘いで
   山村座にて生島の芝居を見る 芝居のあと 江島は生島らとともに
茶屋で宴会を開いたが 夢中になり大奥の門限に遅れてしまった
 
 


江島は生島との密会を疑われ高遠藩に流され・・
   旗本であった江島の兄は 武士の礼に則った切腹ではなく斬首・・
      なお 江島の遊興相手とされた生島は 三宅島へ遠島となった・・ 




大奥の風紀粛正のためと 山村座座元も伊豆大島への遠島 山村座は廃座
さらに江戸中にあった芝居小屋は 簡素な造りへ改築を命じられ夕刻の営業禁止
そのほか大勢の人が(最終的に50人近く)が罰せられた・・




高遠城跡から南に下ったところに 高遠町歴史博物館があります





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中々の景色っ 高遠湖とその奥に南アルプスがみえています




高遠町歴史博物館の展示室を抜けると 絵島囲み屋敷があります




絵島囲み屋敷の門です 33歳から61歳で亡くなるまで28年間幽閉され
没後は旧高遠町の蓮華寺に葬られたそうです




こちらの出入り口は玄関ではなく 勝手口と思われます 




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 身の廻りを世話する下女1名 そして昼夜をとわず
  屋敷の内外を武士に見張られていたそうです




屋敷全体が板塀で閉ざされ 塀の上には鋭くとがった忍び返しが・・




当時の絵島の厳しい生活がぶりが書かれていました
食事は朝晩の1日2食 一汁一菜 着物・帯・下帯・寝具はすべて木綿を用い
酒・煙草はもちろん禁止だったとか・・ 




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   忍返のある塀




格子窓の部屋・・ 牢屋のイメージです  




絵島の部屋は南側の8畳間1間きりです  




たった一度の過ちで28年間も この8畳間で・・ まるでカゴの中の鳥です
絵島はどんな心境で 幽閉後の半生を送ったのでしょう
こちらもどうぞ  「高遠城」      





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