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平和記念公園

2019-09-18 14:44:29 | 広島県お出かけスポット

 平和記念公園は世界の恒久平和を願って爆心地に近い場所に建設されました
 園内には原爆投下当時の広島の様子を展示した広島平和記念資料館や
原爆死没者慰霊碑 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館などがあります
(※この記事の写真は2016年12月に撮影したのもです)


「元安橋」です 原爆ドーム側と平和記念公園の中心部を結んでいます



元安橋から原爆ドームをみています



「平和記念公園レストハウス(被爆建物)」です
1929年(昭和4年) 大阪の大正屋呉服店が建設したもので 爆心地から170メートル
という至近距離で被爆しましたが 建物としての基本的形態はとどめ
戦後補修され 1982年(昭和57年)からは平和記念公園レストハウスとして使用



公園内に進むと間もなく見えてきました 原爆死没者慰霊碑や平和記念資料館が・・



「原爆の子の像」です 三脚型の台座に立つ 金色の折り鶴を捧げ持つ少女のブロンズ像
同級生が2歳で被爆しその10年後白血病で亡くなったことをきっかけに
「原爆で亡くなったすべての子どもたちのために慰霊碑をつくろう」と全国へ呼びかけ
全国3,100校余りの生徒と イギリスをはじめ世界9か国からの支援により完成



原爆の子の像の説明です 左は日本語と英語・右には中国語と韓国語が



日本語の説明です 



「原爆の子の像」の周辺には、折り鶴を捧げていただけるよう折り鶴ブースが設置されています
修学旅行生などが捧げた折り鶴 千羽なんてものじゃない ものすごい数です



台座にも折り鶴の鐘が・・



「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」
 像の下におかれた石碑に 碑文が刻まれています



「原爆供養塔」です
爆心地に近いこの地で被爆後 無数の遺体が運ばれ火葬されました
市民からの寄付により仮供養塔・仮納骨堂・礼拝堂が建立され
その後各所に散在していた引き取り手のない遺骨もここに集め納めました



原爆供養塔の説明です
内部には納骨堂があり 身内の見つからない遺骨や名前が判らない遺骨約7万柱が納められている他
今でも824柱の遺骨は引き取り手がなく この供養塔に眠っています



原爆供養塔にも折り鶴が手向けられています



 納骨状況がまとめられた掲示です  クリックすると大きな写真が出てきます
 出てきた写真をもう一度クリックすると 更に大きな写真が出てきます



 「昭和20年当時の広島市内」です  クリックすると大きな写真が出てきます  
 出てきた写真をもう一度クリックすると 更に大きな写真が出てきます



水上交通でのアクセスもあるんですね



「平和の時計塔」です 
3本の鉄柱が60度ずつ一ひねりした塔上に 3面に時計を持った球体が乗っています
広島鯉城ライオンズクラブが原爆ドームの永久保存に呼応して建設したもので
原爆が使用された時刻 8時15分に 毎日チャイムが鳴り響きます
環境庁の「残したい日本の音百選」に選定されています
(平和記念資料館に展示され8月6日の平和記念式典で使用される鐘と
「平和の鐘」を加えた全体の音風景が対象)



「平和の鐘」です
核兵器と戦争のない世界の達成をめざし その精神文化運動のシンボルとして
「原爆被災者広島悲願結晶の会」が建立
  


撞座は原水爆禁止の思いをこめて原子力マークにし  
 その反対側には 鐘をつく人の己の心を写し出す鏡が入れられています   
  環境庁の残したい日本の音百選に選定されています
(平和記念資料館に展示され8月6日の平和記念式典で使用される鐘と
「平和の時計塔」のチャイム音を加えた全体の音風景が対象)



鐘は故香取正彦さん(人間国宝)の作品で 表面には「世界は一つ」を象徴する    
国境のない世界地図が浮き彫りにされています



平和記念公園からみた原爆ドームです



こちらの連続した建造物を回ってみたいと思います



「平和の灯」です
丹下健三氏(当時東京大学教授)が設計したものです
台座は手首を合わせ 手のひらを大空にひろげた形を表現しており
水を求めてやまなかった犠牲者を慰め 核兵器廃絶と世界恒久平和への願いをこめています
この火は、昭和39年(1964年)8月1日に点火されて以来ずっと燃え続けており
「核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けよう」という反核悲願の象徴となっています



「平和の池」
原爆死没者慰霊碑を囲み 慰霊碑が浮かび上がるように設計されています
奥に原爆ドームが見えています この配置計算されている??



「原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)」です
広島市を平和都市として再建することを念願して建立されました
原爆犠牲者の霊を雨露から守りたいという気持ちから 屋根の部分がはにわの家型をしています



碑には「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という碑文がきざまれており
中央の石室には国内外を問わず 原爆死没者名簿が納められています
名簿は関係者の申し出により書き加えられ 平成28年(2016年)8月6日現在で
111冊(303,195人の名前が記帳された110冊と「氏名不詳者多数」と記された1冊)になっています



 「広島平和都市記念碑の説明」です  クリックすると大きな写真が出てきます  
 出てきた写真をもう一度クリックすると 更に大きな写真が出てきます



毎年8月6日には平和記念式典が開催され原爆が投下された午前8時15分には黙祷が捧げられます



「広島平和記念資料館」です
原子爆弾による被害の実相を世界中の人々に伝え ヒロシマの心である核兵器廃絶と
世界恒久平和の実現に寄与することを目的に 1955年(昭和30年)に開館
被爆者の遺品や被爆の惨状を示す写真や資料を収集・展示するとともに
広島の被爆前後の歩みや核時代の状況などについて紹介しています



外国人 しかも白人の方が多くみられました
改修中に訪問しましたので 展示内容が現在のものと異なると思われますがご了承ください





この先展示室のなります 内容は・・
まったく私語のない空間になりました 少なくとも私たちの周囲に会話をする人は外国人も含め一人も



この模型は爆心地から半径2.75kmまでの被害のようすを示しているそうです
原爆は地上600mで爆発し 同時に火球を生じました
写真の赤い球は 1秒後の火球(直径280m)を示しているそうです



原爆による被害者は直接被爆者だけで35万人 そのなかには労働力不足を補うために
強制的に徴用された数万人にも及ぶ朝鮮の方 そしてアメリカ軍の捕虜などの外国人も



2016年5月27日に 現職の大統領として初めて バラク・オバマ氏が広島を訪問しました



演説を終えると2名の被爆者のもとへ行き 握手をしながら通訳を交えて会話したり
熱い抱擁を交わすなど このことは日米の多くの紙面のトップを飾ったそう



オバマ大統領が記したメッセージと折り鶴が展示されていました



オバマ大統領から子どもたちへ手渡された折り鶴も展示



やはり原爆ドームー原爆死没者慰霊碑ー広島平和記念資料館
一つのライン上につながっています



「祈りの泉」 昭和39年(1964年) 広島銀行が建設し広島市に寄贈
東西27メートル・南北19メートルの長円形の上に二層の池を積み重ねています
「水を水を」と言いながら死んでいった犠牲者の霊に捧げる噴水・・



「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」です
国として原爆死没者の尊い犠牲を銘記し 永遠の平和を祈念するとともに
原爆の惨禍に関する全世界の人々の理解を深め 被爆体験を後代に継承することを目的として開館
館内には平和祈念・死没者追悼空間があり
爆心地である「島病院」付近からみた被爆後の街並みをパノラマで表現しています



遺影コーナーには原爆死没者のお名前と遺影(写真)が公開されており
原爆で多くの人々が亡くなった事実を伝えます
体験記閲覧室では被爆体験記や被爆証言映像等の資料を閲覧・視聴できます



この広島原爆死没者追悼平和祈念館も筆舌に尽くしがたい空間でした
写真はありません 訪問されることがあれば 直接感じ取っていただくのがよいと思います
 
次回は 「 広島空港 」 をUPします 


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