もやもや病エッセイ『脳の細道』

もやもや病患者の体験記です。不定期更新ですが、どうぞ読んでやって下さい。

脳内出血になった日~其の二(ヤバイ時こそ冷静に)

2006年02月28日 15時09分53秒 | 発病
脳内出血ってどんな感じ?』とよく聞かれる。
感じも何も頭が割れる様にガンガン痛み、死にそうな程痛い。下手したら本当に死ぬ!
そして、目が回る、グルグル回る、顔や手足が痺れて口からはヨダレが流れ、ゲロも吐く。吐く物が無くなっても、気持ちが悪くて胃液、胆汁まで吐く…!そうなったら自力では立っていられない。倒れるだけだ。
もし、そんな状態になったら、自分でもヤバイのは直に分かる。後は自分で助けを呼べるだけの余力が残っているか、運良く他人が助けてくれるかに頼るしかない。
私の場合、祖父が脳梗塞で倒れて手術を受けて後遺症として麻痺したのを知っていたし、祖父から脳梗塞になった時の事を聞いていた。その事も有ってか、これは絶対貧血や食中毒などで無いと判断し、このまま自室で意識が無くなったら確実に死ぬと直感した。なので、まだ体が動かせて、意識がハッキリしているうちに何とか部屋を出ないといけないと思い、意を決して部屋を出る事にした。右の手足の震えが収まらず、恐らく左の脳に何か起こったんだと思った。今考えれば、自分でもビックリするぐらい冷静な判断だった。
目指すは、マダガスカル華僑“ナタリー”の部屋。何とか匍匐前進で、彼女の部屋に辿り着こうと、必死に床を這った。しかし、廊下に水がこぼれていたので、服がビショビショになってしまった。ナタリーの部屋のドアを叩くと、ラジオの音が聞こえた。出てきた彼女は、床に倒れている私を見て驚いた(当然だ)。私が『頭が痛い』と訴えると、彼女は床にこぼれている水で滑って頭を打ったのだと思ったらしく、私をヘタに動かそうとせずに、急いで寮の叔母さんに頼んで、救急車を呼び、友人のインドネシア華僑の秀金(シウジン)に私の担任教師と学校の医務室の先生を呼びに向かわせた。
救急車を呼んだが、中国の救急車は有料だ。しかも、道路が混雑している為、学校に到着するまで20分は掛かると言われタクシーで来るように言われた。これが中国の現状なのか、救急車の到着が20分の掛かって、病院に戻るのに20分。しかも有料…!『ふざけんな、人命優先だろーが!』…と言いたい所だが、人口が多い中国。道も混雑しているし、病院だって無料では奉仕してくれない。タクシーを呼んで貰い、友人と先生に付き添われて、広州市中山大学付属第三医院へ向かった。