もやもや病エッセイ『脳の細道』

もやもや病患者の体験記です。不定期更新ですが、どうぞ読んでやって下さい。

脳内出血になった日~其の三(全部お金で解決、中国の病院。有難う友達)

2006年02月28日 15時23分25秒 | 発病
タクシーで広州市中山大学付属第三医院へ運ばれた。この時、意識はかなり混濁していたが、友人のインドネシア華僑、秀金(シウジン)に頼んで、私の『中国の兄貴』、阿山(アサン)を呼んで貰った。阿山は私の彼氏・阿明の同郷のマブダチで、当時、中山第三医院がある石牌村に住んでいた。病院からは歩いて20分ほどの場所に住んでおり、私は良く阿山の所に遊びに行っていた。運命の悪戯か、幸運にも私が倒れる一週間前、私と秀金は一緒に阿山の家に遊びに行き、一緒にご飯を食べてた事が有ったので、秀金も阿山の家を覚えていたのだ。

しかし、運悪く、病院では持ち合わせのお金もなく、お金を払ってから受け付けをしないとCTは撮って貰えない。そのまま、約30分程、病院の廊下に放置された。意識が段々と遠のいて行き、目が見える範囲が段々と狭くなって行く。まるで映画のエンディング場面が段々と暗く、スポット部分が小さくなって行くような感じだ。そして呼吸も苦しい、体も段々冷たくなって行く…。
医者が何度も私の目をこじ開けてライトを照らす。でも、体が動かない。名前を聞かれても、口が動かない、手を動かせと言われたが右の手足が言う事を聞かず、ガクガクと思ってもいない動きをする。その時、突然ストレッチャーが動き出し、CTの撮影室へと向かった。

頭がガンガンと痛む。動かされたせいで、また胆汁を吐いてしまい、鼻から出てきた。気管にも入ったらしく、胸が焼けるように痛い。CTを撮り終えると、処置室には阿山が来ていた。阿山が『阿明には、もう連絡したから安心しろ!』と言ってくれた。この時は安心して泣いてしまった。

暫くして医者が現像したCTのフィルムを持って来たが、浮かない顔をしている。そして、先生と阿山、私の友人を呼んで、『左脳の脳室部分に脳内出血が起きています。この数日が山です。彼女の家族連絡して下さい。』と告げた。ヒソヒソ話のつもりだったのだろうが、私はバッチリ聞いていた。
心の中で『山って事は、ヤバイんじゃ…。こんな所で死んじゃうの?』と色々考えていた。
その頃、阿明は大学四年生、湖北省の大学に通っていた。3月31日、阿山から私が広州で倒れたとの知らせを受けて、最初は『何言ってんの?エイプリルフールは明日だよ。』と悪い冗談だと思ったらしい。しかし、私が死にそうだと言う知らせを聞いて、卒業前の大事な時期にも関わらず、授業を欠席し汽車で13時間も掛けて、広州まで来てくれたのだ。
私はこんなにも優しい人達と廻り会う事ができて、とても幸せだ。この事が無ければ、病気が治っても中国に来ようとは思わなかっただろうし、病気が治る以前に死んでいたかも知れない。