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人生一度きり!

これからの生き方について、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

ビワの実取りについて

2025-05-27 19:33:32 | 旅行

皆さま、お元気でしょうか。

昨日5月26日(月)に実家の敷地内のビワの実を取りました。昨年、枝が伸びすぎていたので、剪定してもらいました。その結果、2時間ほどで終えることができました。昨年は、1日がかりでした。

私の実家は福岡県にあります。隣が、緑道公園になっていて、通行人に持って行きませんか、と尋ねました。喜んで持って行かれる方が多くて助かりました。うちの家族だけではとても食べきれないのです。

中には、癌(ガン)の治療に使うのでビワの葉が欲しいと言われる方がありました。実がなる前の葉がいいとのことで、来年貰いに来てくださいと伝えました。

癌(ガン)の治療にはビワの種も良いと聞いたことがあります。また、私の家には『ビワの葉自然療法』望月研著池田書店刊という本があります。

この木は50年ほど前に父が植えました。実を食べることよりも治療に使うことを考えていたのかも知れません。

以下ビワの様子です。

 

 

皆さま、元気にお過ごしください。

 

 


佐賀県へのバスツアーに参加して

2025-05-06 14:44:28 | 旅行

昨日(5月5日)は、『新緑の九年庵と環境芸術の森・自然が織りなす絶景「浜ノ浦の棚田を巡る旅」』のバスツアーに参加しました。

博多駅前を出発し、まず九州道を熊本方面へ向かいました。途中鳥栖インターで長崎方面へ向かいました。

30分ほどで新緑の九年庵へ着きました。ここは佐賀の大実業家・伊丹文右衛門によって、明治25年に別邸が建てられ、その後息子彌太郎によって、九年の歳月をかけて庭園が築かれました。「九年庵」の名前の由来です。佐賀出身の大隈重信公も訪れたことがあるそうです。

隣には仁比山神社があります。天然記念物のクスノキがあります。樹齢約800年です。☟

 

 

新緑の境内を歩きました。紅葉をたくさん植えてあります。秋には紅葉狩で大勢の人が訪れます。神社の説明書きに書いてあったのですが、紅葉狩りは夏の疲れを癒す働きがあるそうです。自然の働きによるものでしょう。

次に「環境芸術の森」を訪れました。佐賀県唐津市厳木町にあります。

この森の作者は、突然の二男の死をきっかけに環境の生命に与える影響に気づいたそうです。私財を投じて「自然流の庭づくり」を行いました。ここも紅葉の新緑が奇麗でした。唐津市の料亭だった建物を移築してあります。そこの2階の座敷からの景色です。

 

 

漆のテーブルに風景が映り込みます。☟

最後に「浜野浦の棚田」の夕景を見に行きました。これは佐賀県玄海町にあります。

江戸時代に作られたそうです。土地を生かす先人たちの努力には頭が下がります。

 

晴れていればこの時刻に海の向こうに夕日が沈むところでした。

皆さま、佐賀県には武雄温泉や嬉野温泉ほか多くの温泉もあります。機会がありましたらぜひ観光にお出で下さい。立夏の候、元気にお過ごしください。


九年庵と吉野ヶ里歴史公園

2024-05-05 17:14:29 | 旅行

皆さま、お元気でしょうか。5月3日に九年庵(佐賀県神埼市)と吉野ヶ里歴史公園(佐賀県神崎郡吉野ヶ里町)を巡るバスハイクに参加しました。

 

九年庵

 ここは国指定名勝庭園です。今回は建物の中に入ることができました。室内より外の様子を撮影しました。☟

 

 

床の間です。☟

 

中庭です。☟

 

新緑の季節を始め、秋の紅葉の時期にも大勢の観光客が訪れます。

 

吉野ヶ里歴史公園

弥生時代(紀元前5~紀元3世紀)の集落の遺跡の発掘調査が昭和61年に始まりました。平成2年の2月には大々的に全国に報道されました。邪馬台国があったのではないかとも推測されました。当初ここには工業団地ができる予定でした。各方面の方々のお力添えにより東西に1㎞、南北に1.7㎞の長方形の広大な国営の歴史公園として整備されています。物見やぐらや王たちの家、それに一般の人が住んでいた竪穴住居も復元されています。

今回、石棺墓(板石を箱状に組み合わせて棺とする墓)が“謎のエリア”で発見され、埋め戻し前の特別公開期間でした。発掘作業をしている方からの説明を聞きました。

 

物見やぐらです。☟

 

発掘された甕棺です。☟

 

南内郭の建物です。☟

 

JR長崎本線吉野ヶ里公園駅より徒歩約15分で、駐車場も整備されています。

入場するときに頂いたパンフレットです。☟

 


「台湾旅行記2024」

2024-03-28 16:03:19 | 旅行

皆さま、お元気でしょうか。

3月19日から22日まで台湾へ旅行して来ました。妻とのツアーで台湾人の現地ガイド付きで、台湾について色々知ることができました。

 

台湾でまず驚いたことは、漢字の旧字体が台湾では今も日常使われていることです。次の写真は、南部の高雄から北部の台北まで新幹線に乗った時の切符です。新幹線の車両は日本製だそうです。

 

 

左上の「 左○09:55→ 」の○の字は日本では営を使います。台湾では旧字体を使っています。次に右上を見てください。「團體票」と書いてあります。日本では

「団体票」を使います。中国本土では簡略体が使われていて日本の中国語の教科書も簡略体になっています。私は以前に中国語を学習したことがあり、台湾では旧字体が使われていることにびっくりしました。

初日に訪れた台中市は、日本統治時代(1910~1945年)に行政府として日本によって造られた街だそうです。整然とした街並みで、公園が多く、街が生き生きとしていました。人口280万人の工業が盛んな街だそうです。

 

街には日本の「三越デパート」や今では日本であまり見かけなくなりつつある「そごう」が賑わっていました。日本で盛んに作られている「ゆめタウン」や「イオンモール」等がないせいかも知れません。また営業時間は「そごう」が朝11時から夜10時までと夜遅くまで営業しています。これは、ここが亜熱帯気候で、夏は気温が40度位まで上がり、日中はおとなしくしていて、日没頃から活動する人が多いからだそうです。

 

ところで、台湾に親日家が多いのは、ガイドさんによると、日本人を母に持つ鄭成功(1624~1662)が広東(カントン)を中心に抗清活動に従事し、台湾に侵攻して、オランダ総督をくだし、台湾に地方政権を樹立したからだということでした。近松門左衛門の国性爺合戦 (こくせんやかっせん) のモデルです。台湾解放の英雄のお母さんが日本人だったという訳です。また台湾の人は、日本が自分たちの教育制度を整えてくれたと考える人も多くいるということでした。国の将来を左右するのは教育です。教育の重要性を認識して次第です。

 

高雄市の地下鉄「美麗島駅」を見学しました。日本人の高松伸氏の設計だそうです。☟