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大分のさだまさしファンの独り言

大分に住んでいるさだまさしさんのファンです。所有のアルバムなどを紹介しながら不定期に思い出などを書いていこうと思います。

さださんに関する雑談-3

2008-01-11 23:08:54 | さださんに関する雑談

先日、某民放で小田和正さんの番組にさださんが出ていまして、その中で、作詞をさださんが、作曲を小田さんがして、デュエットする、という企画がありました。
「たとえば」
という曲で大変いい曲でした。
テーマ的には、今の自分が過去の自分へ問いかける。もしくは今の自分が未来の自分に問いかける。ということで、人生半分以上過ぎた(多分)私の年齢には感慨深いものでした。

さて、そこで思いついたことがあります。
私も40を過ぎたわけですが、さださんが私の年齢の時に、どういったことを考え、どういったアルバムを出していたのか。

そこで、いつものトップページのインデックスの年号の右に当時のさださんの年齢を追加してみました。
これをご覧の皆さんがいくつなのかはわかりませんが、ご自分の年齢の時にどういったアルバムだったのか?を、ご確認していただければ面白いかな、と。

また、さださんのホームページの「歴史館」で主だった出来ごととその年齢を以下に書いてみます。

人は人、自分は自分ですから、比べることには意味がないのは承知ですが、興味のある方だけご覧いただければ、と思います。
私などは、25歳の時に「案山子」を書いたことが凄いな、と率直に思います。

では、どうぞ!
※なお年齢はその歳の満年齢です。
また、出来事はホームページの記述を原則としておりますが、一部抜粋となっております。また抜粋は私の独断で行いましたので、諸問題がある場合はコメント欄に書いていただければ記事ごと削除いたします。

1972(20歳) グレープ結成
1973(21歳) 雪の朝で、デビュー
1974(22歳) 精霊流し大ヒット、レコード大賞作詞賞
1976(24歳) グレープ解散、10月ソロデビュー(初シングル「線香花火」は11月)
1977(25歳) レコード大賞西条八十賞
1978(26歳) フリーフライト設立
1979(27歳) 関白宣言、親父の一番長い日大ヒット。レコード大賞金賞、ベストアルバム賞など受
                      賞。NHK紅白歌合戦初出場。
1980(28歳) 主演映画「翔べイカロスの翼」完成。中国北京展覧館に於てコンサート。
          奈良・東大寺大仏殿昭和大修理落慶記念行事でコンサート。
1981(29歳) 文化放送さだまさしのセイヤング開始。映画長江ロードショー。
1982(30歳) 神出鬼没こんさあと開始。日本武道館で谷村氏とコンサート。北の国からの音楽担
                      当。
1983(31歳) 長崎・詩島で結婚。10周年記念コンサート(8夜連続)
1985(33歳) 1000回記念コンサート。
          神戸・ワールド記念ホールで大晦日~元旦のオールナイトコンサート。
1987(35歳) 長崎に於て平和祈念コンサート「長崎から1987夏さだまさし」
1988(36歳) 東京ベイNKホールで大晦日~元旦のオールナイトコンサート。
1991(39歳) 吉田氏とレーズン結成、シングル、アルバム発表
1993(41歳) フェスティバルホールでソロコンサート・2000回達成。
          デビュー20周年記念コンサート・ツアー。
1994(42歳) 初のベストアルバム「さだまさしベスト」発表。
1996(44歳) "日本アカデミー賞・音楽賞"受賞。長崎県県民栄誉賞受賞。
          ワーナーミュージックからテイチク系ワンダーエンターテインメントへ移籍
1997(45歳) 長野オリンピック公式メッセージソング「Dream~愛を忘れない」発表
          オーストラリア・シドニー"ザ・ステートシアター"にてコンサート
1998(46歳) 松竹映画「学校3」に出演
1999(47歳) 25周年記念コンサート「Twenty Five Reasons」を開催。ライブアルバム、オリジナルア
                      ルバムともに発売。
          NHK紅白で合唱曲「21世紀の君たちへ~A Song For Children」の日本語詞担当。
                      (作曲:スティーヴィー ・ワンダー)
2000(48歳) ロンドン[Royal Albert Hall]にて日本人男性歌手初のコンサート
2001(49歳) 長編書き下ろし小説「精霊流し」(幻冬舎)発表
2002(50歳) ソロコンサートが3000回。デビュー30周年記念コンサート。2作目の小説集「解夏」(幻
          冬舎)発表。
2003(51歳) フォアレコード移籍。小説「精霊流し」を原作にした映画「精霊流し」ロードショー。
2004(52歳) 小説「解夏」を原作にした映画「解夏」ロードショー。長崎市栄誉市民の称号を受ける。
          小説「眉山」(幻冬舎)発表。
2005(53歳) 日本武道館に於いて、「さだまさしソロ通算3333回記念コンサート」
2006(54歳) 「2006 夏 長崎から さだまさし ファイナル」を開催
2007(55歳) 広島市民球場にて「2007 夏 広島から さだまさし」を開催。
          アルバムMISTで親子競演。

そして、今年2008年。さださんは56歳になります。


さださんに関する雑談-2

2007-12-12 00:10:53 | さださんに関する雑談

人生で一番ついていた日、といえるものを皆さん持っていますか?
いまだに独身の私は結婚式だったり(それが最良かどうかは別として:笑)、子供が生まれた日などは経験がありません。
まあ一般に言われるような、大学に合格した、とか就職試験に受かったなどもその範疇に入るのでしょうが、私のついていた、と思える日はもっと小さいものです。
小さいけれどもたった一日の中に小さな幸運がたくさんつまっていた日です。

最初はさださんとは全く関係ないのですが、まあ聴いてください。

日付は忘れましたが、Tシャツを着ていたので季節は多分夏あたりの土曜日です(曜日は間違いありません。理由は後でわかります)。今から20年ほど前、私が大学生の頃です。
当時私はファーストフードでバイトをしていました。土曜日で大学が休みだった事もあり、その日は午後一番で夜十時までの勤務でした。
まずはその日は月に一度のお給料日でした(土曜日ですが、当時は振込みでなく現金支給でした)(小さな幸せ①)。
ですが、夜までのバイトで、せっかく小金があっても遊ぶにはちょっと遅かったのです。
ところがその日が大変暇だったんです。今と違い学校や会社が週休二日で無かったこともあるのでしょうが、とにかく暇でした。いつもは厨房内は暑くてしかも忙しいと汗まみれになるのですが、その日は勤務が大変楽で掃除ばかりしていました(小さな幸せ②)。
で、夕方あたりになっても暇さは変わらず、ついにマネージャーは私や数名のバイトの所に来て早く上がってよい、と言ってきたのです。こちらは10時までのバイトを覚悟していましたから、遊びに行くにも遅いし、かといって友人は深夜でないと捕まらないので、それにしては早いし、要は10時終わりは中途半端だったのです。
ですから、7時で上がってよい、といわれて「やった~!早く帰れる」と喜んだのです(小さな幸せ③)
で、アパートへの帰り道、せっかくのお給料日で小金もち状態、当時マイブームだったパチンコ屋さんへ行って勝負をしました。と言っても、今のようなデジタルや液晶の過激な台ではなく、当時は上手くいけば数百円でなが~く遊べる「ハネモノ」と呼ばれる台ばかり打っていました。
その日は本当に2~300円で出てしまい、ほんの1時間足らずで打ち止めになりました。今の台と違って打ち止めになっても7~8000円ですが、当時の時給や生活水準、また元手の金額からすると大勝利だったのです(小さな幸せ④)。

ちなみにその機種画像発見しました(爆)。スタジアムという台でした。


いつもなら調子に乗ってもう一勝負をして逆転負け、なんてことになるのですが、その日は次の日が朝10時からバイトでしたから、早めに帰ることにしました。
帰る途中酒屋の前の自販機でジュースを買うと当たり付の自販機だったようで、「ピピピピ・・・」という電子音がして当たりに止まりました。(小さな幸せ⑤)

さて、ここまで読んでいただいて、さださんに関係ね~じゃね~か!しかも全部幸せと言うには小さすぎるし!とお怒りの方、ご尤もでございます。

その日が終わろうとする最後の最後ででてくるのです。

当時私はTVの無い生活をしてまして、貧乏だったというわけでもないのですが、高校時代からTVが無かったので、見なくても平気だったのです。しかもまだビデオが普及する前ですから、レンタルビデオがやっと出始めた頃です。どちらかと言うと麻雀したり、酒飲んだり、友人の車で深夜のドライブしたりの私にはあまりTVは必要ではありませんでした。逆にラジオは良く聞いてました。で、当時はもうさださんのファンになってましたから土曜の夜、文化放送にチューニングをあわせて「セイヤング」を毎週聞いていたのです。
不思議なことにローンで買った小型コンポ(パイオニアプライベート、当時10万くらい、私の家の唯一の財産:笑)のラジオでは室内アンテナをどうやっても文化放送は良く入らないのですが、中学時代から使っているモノラルのラジカセ(東芝、一応短波放送も入ります)だとかなり鮮明に聞こえるのです。
このことを、さださんのセイヤングに葉書で投稿していたのです。


さて、長い話も最後です。

その日パチンコで勝ち、自販機でジュースが当たり、幸せ気分で帰った私は、夜、布団に入っていつものようにセイヤングを聴き始めました。
正確には日が変わっていたかもしれませんが、その日の放送で、先述の私の葉書が読まれたのです(結構大きな幸せ⑥)。
そのときの感動と興奮。一瞬耳を疑う感じでした。


まあ、確かにひとつひとつはちいさ~~~~い話なんでわざわざブログに書くなよ、おめ~よ~、ってなもんですが、最後の幸せが大きいので勘弁してください。

えっ?葉書なんて何回も読まれたことがある?

失礼しました~~~(笑+逃)。


さださんに関する雑談-1

2007-11-30 23:23:02 | さださんに関する雑談

所有しているアルバムなどで未紹介のものはまだ30数点あります。
一週間に3回ずつ更新したとして約2ヶ月で終了いたします。さて、アルバム紹介が終わったらどうするか?
最近それを考えております。
さださんにはまって早25年。コンサートにも行きました。ラジオ番組も聞きました。TV番組も見ました。葉書も読まれたこともあります。まあ四半世紀ファンをやっていればいろんなことがあります。
おそらくこれをみていただいている方はさださんに(好き嫌いはともかく)何らかの興味を持っている方が圧倒的だろうと思います。ですから、そういった方々に是非さださんに対して考えていることを伝えてみたい、と、そう思い至りました。

で、これからは時折「雑談」ということで、出会ったこと、思ったことなどを書いていきます。完全な自己満足記事になる可能性もありますので、お気になる方はスルーしてください。(だってネタが持たないんですもん。そのうち日記になったらすみません:爆)
更新はいつものトップページの下にリンク先を作っておきます。

もし、アルバム紹介、雑談などでコメントをいただけるときは、最新の記事でなくても、ご自分のお気に入りのアルバムのところでかまいません。ちゃんとH系のコメント以外はお返事いたしますので(笑)。お暇な時はどうぞお相手下さい。




第一回の今日は「煙草」
さださんはデビュー以来煙草を吸っておりました。私も大学生の時煙草をはじめました。当時はキャスターから始まってピースライト、ピースと上昇(笑)していきましたが、20年近く続けて、忘れもしない3年前の10月29日にはじめて禁煙して以来吸っていません。つまり、最初の禁煙で成功!(エッヘン!)
さて、煙草を吸っていた時、さださんの吸っている煙草に合わせたい、と思うのがファンの心理(?)。今のようにネットなど無い時代。少ない本やアルバムジャケットで煙草を吸っているさださんの写真を見ては、鑑定しておりました。
結局さださん自身数回銘柄を変えているようです。確かセブンスターやキャビンを吸っていた時期もあったと思います。

さて、さださんの曲の中にも「煙草」は登場します。
有名なところでは、「交響楽」。

「煙草をくわえたら あなたのことを 突然思い出したから」

私が好きなのは「向い風」

「あなたの右手の煙草の火がふと 赤信号に見えた気がした」

と沢山あります。

ところが最近さださんが禁煙したせいか、煙草がでてくる曲が減った気がします。
調べた限りでは最後は、「風待通りの人々」のBye Bye Guitar以来無い気がします。

「1カートンの煙草を 5日で燃やし乍ら  こうして歌を書いてる」

違っていたらコメントお願いします。

世の中は喫煙者にきつい時代。こんなところにも禁煙ブームがあるのかな、と。

まあ関係ないんでしょうがね(笑)。