以前にも書いたことがあるが、女性の社会進出の問題についてだ。政府は世界的世論にびくつき、閣僚に女性の登用を増やせばある程度達成と踏んでいる節が見える。企業でも管理職の割合いがどうのと数字を持ち出してお茶を濁そうとする。本質的な問題の解決を置き去りにして表面を繕うとする。例えば、子供を生み育てよと、旗を振りながら、保育施設の充実のラッパを吹くだけ、回せる予算が足りないと叫び、工夫の足りなさを隠す。結局働きたくとも子育てが女性の手足をしばっている。福祉の充実に実を上げていると言われる、当市でも入所待ちで、個人の委託保育園が繁盛している現実が見える。そこで工夫の欠如の問題に一例をあげれば、官民格差の問題だ、いわば国にかかわる仕事に携わった人は、現役時代はもとより、退職後も優遇され、退職金に始まり、年金、税制に格差があることは高級官僚だけの問題ではなさそうです。これらを、せめて民間並みに平準化したならどれほどの税金のがこの方面に回せるかが容易に計算が出来よう。以前厚生省の汚職高級官僚の発言にこんな言葉があった「公務員になるために人の何倍も努力した当然の報酬だ」と。生まれながらにして親の金をふんだんに使い教育の格差をどう説明するのだろう。福沢翁の「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」は空虚に響く。理想といいばそれまでがが、理想で人の命は救えない。
実は今日は、上記の問題も見過ごせない問題だが、もっと、差し迫った問題を追って見た。高学歴が故に仕事が見つからず、流通倉庫で仕分け作業に従事し、1日数キロも歩くとか。派遣のため毎日仕事場が変わる、親と同居は家賃分だけ助かるが、報酬は社会保険、年金の積み立て金を支払うと、残り8~9万円、食事代と交通費に全額消えると言う。50代を過ぎるとその仕事も減って行くという。以前は外資系の会社で部下も持ち責任ある仕事につき、月額25~30万の報酬があったというが。ではなぜにその仕事から離れたかといいば病気であるという。。〈例は新聞紙面から抜粋)。これに似た話は身近にもあった。有名大学を出て、留学までして社長秘書までこなし、報酬50~60万円を得ていたが、会社が左前になったか、上司との意見の齟齬かでその職場を離れ転落の道を今も歩んでいる。現状社会の中この手の話がどれほどの数が存在するのだろう。おそらくメディアも国も掴んではいないのだろう。冒頭のこの件は病気で転落を強いられたと言うが、高度成長期の陰で20代でパラサイトを謳歌して、海外旅行を楽しみ、一般の人を羨ましがらせ、結婚や親との同居の束縛を忌避し、企業から肩たたきを受けて転落の道にはいった、自己責任組の人たちもいるに違いないが。しかし、どんな理由があろうと、国民を救えない政府は国民はいらない、為政者は肝に命ずる必要があるのではないだろうか。こんなことで命を絶つなんて馬鹿げている。が、しかし、選挙をおろそかにする国民もその責めを受けなばなるまい。つまり義務の放棄だ。政治に無関心が天に唾すると同義語に思える。