無線操縦

私の趣味のひとつ、無線操縦を紹介しましょう。

現実と政治のギャップ

2014-07-29 19:38:59 | Weblog

以前にも書いたことがあるが、女性の社会進出の問題についてだ。政府は世界的世論にびくつき、閣僚に女性の登用を増やせばある程度達成と踏んでいる節が見える。企業でも管理職の割合いがどうのと数字を持ち出してお茶を濁そうとする。本質的な問題の解決を置き去りにして表面を繕うとする。例えば、子供を生み育てよと、旗を振りながら、保育施設の充実のラッパを吹くだけ、回せる予算が足りないと叫び、工夫の足りなさを隠す。結局働きたくとも子育てが女性の手足をしばっている。福祉の充実に実を上げていると言われる、当市でも入所待ちで、個人の委託保育園が繁盛している現実が見える。そこで工夫の欠如の問題に一例をあげれば、官民格差の問題だ、いわば国にかかわる仕事に携わった人は、現役時代はもとより、退職後も優遇され、退職金に始まり、年金、税制に格差があることは高級官僚だけの問題ではなさそうです。これらを、せめて民間並みに平準化したならどれほどの税金のがこの方面に回せるかが容易に計算が出来よう。以前厚生省の汚職高級官僚の発言にこんな言葉があった「公務員になるために人の何倍も努力した当然の報酬だ」と。生まれながらにして親の金をふんだんに使い教育の格差をどう説明するのだろう。福沢翁の「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」は空虚に響く。理想といいばそれまでがが、理想で人の命は救えない。

実は今日は、上記の問題も見過ごせない問題だが、もっと、差し迫った問題を追って見た。高学歴が故に仕事が見つからず、流通倉庫で仕分け作業に従事し、1日数キロも歩くとか。派遣のため毎日仕事場が変わる、親と同居は家賃分だけ助かるが、報酬は社会保険、年金の積み立て金を支払うと、残り8~9万円、食事代と交通費に全額消えると言う。50代を過ぎるとその仕事も減って行くという。以前は外資系の会社で部下も持ち責任ある仕事につき、月額25~30万の報酬があったというが。ではなぜにその仕事から離れたかといいば病気であるという。。〈例は新聞紙面から抜粋)。これに似た話は身近にもあった。有名大学を出て、留学までして社長秘書までこなし、報酬50~60万円を得ていたが、会社が左前になったか、上司との意見の齟齬かでその職場を離れ転落の道を今も歩んでいる。現状社会の中この手の話がどれほどの数が存在するのだろう。おそらくメディアも国も掴んではいないのだろう。冒頭のこの件は病気で転落を強いられたと言うが、高度成長期の陰で20代でパラサイトを謳歌して、海外旅行を楽しみ、一般の人を羨ましがらせ、結婚や親との同居の束縛を忌避し、企業から肩たたきを受けて転落の道にはいった、自己責任組の人たちもいるに違いないが。しかし、どんな理由があろうと、国民を救えない政府は国民はいらない、為政者は肝に命ずる必要があるのではないだろうか。こんなことで命を絶つなんて馬鹿げている。が、しかし、選挙をおろそかにする国民もその責めを受けなばなるまい。つまり義務の放棄だ。政治に無関心が天に唾すると同義語に思える。


日本の政治の怪

2014-07-25 20:41:39 | Weblog

猿回しの猿のような態度(反省のしぐさ)の舛添都知事。三顧の礼を取った知事の態度に失望を隠せない。何時から韓国の属国に?敗けて得を取る態度とも違うように思える。しかも要求は一方的、相変わらず正しい歴史認識と従軍慰安婦問題。世界に向けた歪められたプロパガンダは先様の専売。こちらは何一つ要求せず仲良くして下さいではこの国の国民が余りのも可愛そうだ。今なぜ急に先方に出かけて行ってのぺこぺこ外交に舵を切ったのか。偏差値の高い人々に疑念を抱くのは世捨て人の極度な偏見だろうか。朝鮮戦争時の米兵の慰安婦問題、ベトナム戦争参戦時の韓国兵のベトナム女性の狼藉の話は公然と語られているのに、そして、今なお世界への韓国女性が、その手の働き方をする数10万人、この国にも5万人と言われ、韓国の政府はこの現実を何と説明するのでせしょう。何が人権だと叫びたい、只、単の日本憎しの洗脳思想ではなかろうか。

暗闇の恐怖、昨夜落雷と集中豪雨で停電した。照明は勿論、テレビもラジオも無音、パソコンもパットもあるが狭い地域の停電では何の情報発信もない。仕方なくベットの上で暗闇で虚空をにらみ待つ事30分。この暗闇でもし家が崩れて火が出たら、何も出来ないことを悟った。まして戦争でも起きて暗闇でミサイルが飛んできたらと考えたら、恐怖は無限に広がる。当たり前に考えていた電気と言うインフラ供給の有難さを実感じ、平和は何としても守り、災害に対する備えはと考える有益な暗闇だった気がする。

 


やまほろしようやく咲く

2014-07-23 12:56:09 | Weblog

ようやく、走りが、咲き始めました。けっこう管理に手間がかかるようです。鎌倉のガーデニング好きの奥さんに頂いた種類は葉が茂るのですが花がつきません、この花は近くの園芸やさん、で買い求めたものです。近所の何時もうらやましがっていた3メートルほどの大木が、花の季節を待たずに枯れてしまいました。どうしたんでしょうねー、微妙な気象の変化に敏感な種族でしょうか。

材木屋 (気が多い)の本領を発揮して、シルクロードに嵌りインターネットのオークションでVHSのビデオと井上靖のシルクロードの本を集めて読みふけっています。今の彼の国は理不尽の権化とでも言うのでしょうか、為政者が政治を私物化して好きになれませんが、20年前の日中共同で取材した記録は貴重で学術的な意味で大きな業績と言えるのではないかと思われます。そして研究者の和気藹藹とした雰囲気が微笑ましく、そして現地の民族、ウィグル族と漢民族も現状と異なり互いの対立の希薄さが読み取れます。1000~1500年のスパンで見た地球上の気象の変化で、雨が降らなくなり、オアシスが砂に埋もれ、川が干上がったために農産物が獲れなくなり、幾多の国が滅びたり、侵略されたりして消滅の歴史を繰り返して来ました。現状の世界では科学が進み、地下資源が砂漠の下からも発見され、食糧が生産出来ない国や地域でも、貿易と移動手段の発達で民族の消滅や国も消滅することも無くなった感はありますが、1000年のスパンで見た地球は果たしてどうなっていくのでしょう。経済に目を奪われ、各国の為政者の頭の中は100年の先さえも見えていないように感じらます。とりわけ中国では、経済至上主義の政治を取り入れ、工業の米の電力欲しさに緻密な計算もしないで大河をせき止め、下流への水の流れを止めたり、必然的に川と地下水は汚染され、過剰に地下水をくみ上げ。そして地盤沈下で砂漠は加速度的に進み、北京の北10キロの処まで迫っていると伝えられています。シルクロードの砂の攻防に思いを巡らせば、100年後の北京は砂に埋もれるのも現実味を帯びてきます。川の流れが変わり、人が住めなくなり、移住を余儀なくされる大陸国家の盛衰に比較して、島国の民族には幸せと言うほかないような気がします。しかし、何100年年先の資源の涸渇を迎える地球を考えると穏やかではいられませんし。そして災害の多さに運命ずけられているのもカミサンの引き換えのおぼしめししょうかねー。

 


古代蓮の神秘

2014-07-16 09:27:17 | Weblog

古代蓮と説明がありませんでしたが、多分そうではないかとかってに題名を振りました。古代蓮は現代のものより花弁が少ないそうですが、私には判断は出来ません、大賀蓮が話題になってから、久しく全国的に広がっているようで、多分古代蓮でしょう?蓮の神秘性はこの球体の上では 東西を問わず語れれて来たようです。穢土、彼岸を問わず飾るにふさわしい神秘性を含んだ、美しさです。音を発して開く花の神秘性もさることながら、繁殖の妙もその神秘性が語れれています。2千年近くの時を経て発芽した種子や、地下茎にその神秘性がロータスと言う単語に語られているそうです。

リーダーを失った世界はどこに行くのでしょう。ウクライナ、イラク、シリア、パレスチナ・イスライルと収拾のめどは立たず、世界は争いの坩堝と化しています。エデオロギーや国益の問題だけでなく、宗教と資源の奪い合い、果ては一部の為政者の強欲が絡み、争いを複雑にしている。従って民主主義も当然のように変化して行く、世界のイデオロギーは、社会主義に傾きつつあるようにうつる。資本主義も衰退の道をたどるのではないだろうか。元をただせば米国の経済衰退が大きく影響していると言われている。チャンス到来と、中国が身の程知らずに火遊びに打ち興じようと画策をするの図ではないだろうか。近代戦は火器よりも経済が決定的な武器だと論じられています。悪いことに核弾頭削減を主張してノーベル平和賞を受けたオバマ大統領は世界秩序と経済再建に全く興味を示さず、リスクを嫌い、最低の大統領と言われながら任期満了後の優雅な生活を夢見ているのではないだろうか。日本いじめは米国が一番だという識者もいるほどだ。いつもの持論だが、国と国の間には倫理は存在しません、国益がいつも上位です。当たり前だが、何時でも寝返られることを常に考慮が必要ではないのではなかろうか。

今日もまたマレーシア機墜落のニュース、砲撃は間違いなさそう。ミサイルのボタンを押したのは、どちらかは現状断定は霧の中、下級指揮者の判断ではあるまい、国と国の介在は当然と見るべきだろう。他国の民、民族は豚並とは恐ろしい世の到来である。

翻ってこの国はどうだろう。月額4兆円もの余計な燃料費を出費をして電気を作っているのに電気代が高いとわめく、そのくせ原発反対とさけぶあたり、どこに焦点を合わせているのだろう。集団的自衛権行使の閣議決定では、戦争に駆り出される、徴兵だとわめく。それこそ根拠はないと思うのだが。前項にも触れたように、火器よりも経済の武器が強い近代では経済の立て直しが絶対だと思うのだが、これに逆らう気持ちが理解できない。過日小学6年生の男の子の投書があった、戦争は嫌だ、死ぬのは嫌だ、しかし、国が本当に滅びるような事があれば戦争に行くとあった。思慮も根拠もなく騒ぐ人びとに聞かせてやりたい、小学生以下、猛省を求む。

 

 

 

 


「はなちゃんのみそ汁」に寄せて

2014-07-10 09:00:05 | Weblog

今朝の「天声人語」から文中に書かれたように、鼻の奥がツンと痛んだ。5歳の娘と残された男の看病記(文中は闘病記とある)と子育て記の紹介文からの引用である。他人から見れば何十分の一もその悲しみと苦闘は、感じられないのに、当人の苦しみは6年後の今も新たな悲しみは甦るのだろうと思うと、思いは千里を走りキーボードに向かわせる。この子がこれからの人生を一人になっても強くたくましく生きる為の訓練として、5歳でみそ汁作りを任せたとある。5歳といいば就学前である。実際には父親がほとんど手伝ったのだろうが、心意気を伝えたかったのだろうが、そしてべそをかく父親に、「大人のくせに」と発破をかける、5歳の娘に泣き笑いする。文中はいたわりの気が満ちていた。

以前アメリカのテレビ番組で幼い子どもが両親に先立たれ、おじいさんに育てられて、たくましく生きていく物語の中で忘れられないセリフがある「おじいさん、神様はほんとにいるの?いるならなぜパパとママを連れて行ってしまったの」と素直な疑問に涙した思い出がある。何十年も前のホームドラマで、霞んだ記憶の中で正確さに自信はないがで、いきものの不条理に通じるお話ではないだろうか。人は地球上の仲間(動物)を殺して食する傲慢さは罪深い。どこかで代償を払わされるのだろう。牛や豚の目を見るといつも思う。

人びとの小さな営みの中で国と国の争いは、未来永劫絶えることはない。常に一部のエリートに蹂躙され、弱いものは常に搾取の対象から逃れられない。為政者は教育を操り、脳を作り変えることまでして自己の保身を守る。中世の為政者もこの思想から逸脱することも無かったろし、一つ救えがあるとすれば、民臣に不満の勃発ぎりぎりの処で富の分配を図りトリクルダウンという経済用語で見られるように、転覆を防いできた面があった。現代ではこの理論も崩れ中国や韓国で見られるように、際限なく国の富みを持ち出して一族の安泰というより贅を全うしようと策しているといっていいだろう。この考え方は欧米でも程度の差こそあれ、同じ思想が流れていると思われる。この思想は先ごろの小平の先富論で見られ「白い猫でも黒い猫論」に通じるが、それが跡形もなく消滅した。また、この春バチカンの法王が説法の中でもトリクルダウンの否定があった。また、いつものように末法論に話を戻し、ほんの少しでけでも謙虚を取り戻したい。

そんな倫理の外にある国に媚を売り、属国でもいい、巻き込まれてもいいという思想がこの国の政界・経済界に存在すると言われる。ウエグル・チベットの扱いでいいというのだろうか。集団的自衛権に本気で反対し、国会周辺でうろうろしている。これを売国といわずに、何と呼んだらいいのだろう。平和憲法が国や民族をまもってくれるという思い違いが何時悟るのだろう。