←墓場の華のイメージが強く好きになれない花でした。でも周りの風景と合わせることで、日本の風景に市民権を得たように思います。
硬直したまま、落とし所が見えだせず、どうなるのでしょう日中問題、専門家、学者諸先生の意見、百花繚乱の程、いずれも憶測の域をでず、全く読めない状態が続きます。中国側にしてみれば、仮に国交を絶っても蚊に刺された程度の痛痒でしかないのだろうが、しかし、今や6千人の留学生や大勢の研修生、その延長で日本企業に就職する人も大勢存在します。それらを考えれば、何時までも拳を振り回してもいられないような気がしますがねー。少しチクレば現在の経済大国にのし上がれたのは、今でも途上国の特権を報受し、自国の通貨を固定にして、外資を呼び込み、世界の工場と称して、低い通貨で輸出で荒稼ぎして、国家予算の潤沢さで、内需の拡大と軍事予算につぎ込み、近隣諸国に圧力をかけている。フェアでないと言う声も経済大国となった今では誰も大声が出せない。その昔、倫理を彼の国から学んだ日本がその師の国に少なくとも振り回されて、右往左往している感が否めない。そんな国でも必ず、建て前と本音が存在すると思います。良識の徒の顕出を望みたい。
←紅葉の来る前に湿原に遊ぶ
永い歴史に裏打ちされた、思想と文明が自由経済と言う近代文明に、侵されて、巨龍が永い眠りから目覚めた如く、猛威をふるっている感じです。道教・儒教そして仏教が交わり合い、立派な国の建設に向かうのかと思えたのに、現代中国は世界の平和をよそに、自国の利益のためなら、何でも有と、すべてを経済に結び付けて道理を捻じ曲げている。周りの国々は、巨竜に狙われた子羊の様にすくんでいます。これが一頃と違い、勢を失い掛けた米国に変わって、無法に近い方法を世界のスタンダードにしようと振る舞う。自国が一番正しいと思いこむ思想を国民に植え付けて世界制覇を目論む。一頃の列強が世界制覇を目論んだと同じ夢を見ているのかもしれない。孔子や孟子そして屈原、等がどんな思いでこの現況を眺めているのだろう。偉大なる子孫も貧さと欲に支配されようとしています、これを嘆く自分が甘ったれで、非常識なのかも知れない。
何はともあれ、村木局長の復帰の笑顔が素晴らしかった。これが若し発覚しなかったらと思うとぞっとする事件だと思う。国民の正義に関る事を検察の職権で、しかも個人の立身出世の手段に使われるとは情けないし、人間のやる事かと顔にツバしたい心境です。まさか証拠の改ざんで死に追えやられた事件はないのでしょうね、と言いたい。その昔、交通違反(駐車違反)で検察に送られ、バカヤロウ、ァホー呼ばわりされ、人間扱いされなかった記憶が甦ります、まして弱い立場の人間には、人間の屑呼ばわりする、検事の日頃の心情・態度がこの事件の基をなしている様に思えてならない。
←何時かはと、思いながら遂に実物を見そびれてしまいました。最近では見物人が多くて、思うように見られないから、制限をの声もあるようです。動きがあるともっと情緒がまともに感じられる様に思います。BGMがミスマッチと作者の声でした。(フルスクーリンで)お楽しみ下さい。
最近行われた代表選に、事あるたびに「ノーサイド」と言うこ言葉が盛んに使われていると。ラガーOBの苦情がありました。軽々しくこの言葉は、使って欲しくありませんと。試合終了後に、両チームは敵・味方なく、お互いのプレーやファイトを讃えあう、これが「ノーサイド」の精神だと。「政治とカネ」でつまずき、表面から消えたはずの鳩山さんや小沢さんが、何故か派手に動き、また、この人たちに変に気を使い「ノーサイド」を語る菅首相にも不快感を覚える、と言う投書でした。
これらから見ると戦後(代表選)の組閣を見ても、これが「ノーサイド」かと、首をかしげたくなります。綺麗事では済まされない、国の政治故に、ある程度仕方ないとは思いますが、あまりにも「ノーサイド」を連発した、思考の浅さが確かに目立ちました。おまけに一言、「一兵卒」でと語られる、お方は一兵卒の態度と程遠い言動にこれまた首を傾けたくなります。もう少しだけ、発言と言動に責任が欲しいですねー。
プロの答弁、ここまで言い切れば立派としかい言いようがない。この国では政治家の発言は何割か割引いて聞くし、政治家も何割かは割り増しして発言する。約束は守らない、なじられて顔色変えるようなら、政治家は務まらない。どんな方法でこの国の財政の立て直しをするのか、の問いに、今は代表ではないので具体的には語れないと逃げ切る。反面、ムダを省けば財源は幾らでも捻出るの発言も聞き逃せない。片や菅総理も政策面でのトーンダウン気味で、相手の弱点に矛先を向ける戦法に転換?。願わくば、負け方に、一点曇りも無く潔く腹を切って欲しい、それが菅さんの持ち前の人間性だと思うし、応援してきた根源だ。政治の世界では正義を求めるのは酷なのかも知れないが、しかし凡人としては求めたいのは人情だ。正義は神代の時代からせめぎ合ってきた、人間の最大のテーマであっても、2000年経た今でも、理想の域から抜け出せないいる。