東京には有難い事にこの名のつく日和が幾日もあります。獲れたところの新潟では霙と霰交じりの冷たい雨が幾日も続き、その後小春日和と無関係に雪が訪れて身も心も閉ざされた生活に引き込まれてしまいます。今日も姉との電話の便りで、さきにふれたような天候に寒さに震いているとのこと、春を待つ心電線を通じて伝わってきます。青空に浮かぶこのヘリの画像を見たら、この罰当たりめと小さく叫ぶに違いない。
今年も一点の曇りなく咲いてくれました。ある意味で憧れの花なのでしょうか毎年心待ちする花です。きっと踏み跡の無い登山道の稜線を想像しての命名でしょうが、誰もが憧れる花嫁の衣装にも通ずる色です。それに引き換えわが人生の心の色をこの花が見たらどんな色に見えるのでしょうか。
先日横浜の菊名の友人宅に4年ぶりに旧交を温めて帰る道すがら里山風の広いお庭の片隅に咲き残った野菊を見つけました、人の手が入り野菊の様に見えませんが、間違いなく薄紫の野菊でした、自然の野山に咲いているものとは若干違いますが、先日紹介できませんでした野菊のイメージは伝わると思い紹介します。
毎年の様にこの季節になると胸の疼きを覚えます、過ぎた遠い日に、たみさんは逝ったのに、己は心ならずも生きながらえて悔恨の思い止まず、野菊の墓のくだり。二十歳前に読んだ自伝の様な小説に涙したわが青春を懐かしむ。川原に咲くこの花は年々くずや、ぶた草に棲家を追われて探すのに苦労する有様、特に大輪の薄紫の種は薄幸の代名詞の様に咲く時間も短く気候にも敏感で、何時も撮りそこねます、画像の花は比較して寒さにも強く霜の来るまで咲き続けます、従って、野菊の墓のイメージから程遠いのですが、でもやっぱり野菊です。