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注目の杉浦法務大臣(1)

2005年11月12日 00時03分59秒 | 国内政治
小泉内閣の中で先日のエントリーで麻生外務大臣の事を書きましたが、麻生外務大臣とはまた別の意味で注目を集めたのが杉浦法務大臣ではないでしょうか。
今回が初入閣ですが、これまでに内閣官房副長官として小泉内閣メールマガジンの編集長を務めたり、拉致問題を担当する等、有名な人ではあったようです。
私も拉致問題に関する事で、何度か掲示板で取り上げた事がありました。

杉浦氏が一躍注目を集めた(?)のは、昨年5月の曽我ひとみさん一家再会場所の問題でしょう。
結果的には曽我さん一家はインドネシア・ジャカルタで再会し、その後帰国・来日しましたが、一時は「北京で再会」が実現しそうになり「そのまま再拉致されてしまうのでは・・・」と懸念された事もありました。
しかしどのような経緯があるにせよ、当時ジェンキンスさん自身の口で「北京」との言葉が出てしまった以上は、日本側でそれを覆すには曽我さん自身が北京を拒否するしかありませんでした。
更に当時はマスコミだけでなく野党も「北京再会」の準備を進め、時間が経つほど北京再会が実現に近付きつつありました。

そのような中で曽我さんが自分から「北京は嫌だ」と言わないのであれば、誰かが“曽我さんが「北京は嫌だ」と言う環境”を作る必要がありました
しかし、中山参与(当時)や安倍幹事長(当時)では、(杉浦氏には失礼ながら)家族会や支援者の信頼も厚く、“荒療治”に出ては悪影響が後に残る恐れもありました。

尤も、杉浦氏自身がそこまで考えて「一任された」「北京で再会」と発言したのかどうかは判りませんし、単なる「怪我の功名」なのか、官邸の誰かが“シナリオ”を書いていたのか、それとも全くの偶然なのか、私には解りません。
それでも私は、杉浦氏が「一任された」「北京再会」と言うのを聞いた時に「これで北京再会は無くなった」と確信しました。
結果的に“杉浦氏に「一任された」「北京で再会」と言わせた人”こそが、曽我さん一家の再会・帰国来日の大きな“鍵”となった(人に話してもあまり同意されないのですが・・・)と思っています。

長くなったので、次回に続きます。

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