前回、沈む船について書きましたが、「沈む船」と関連して取り上げられる言葉に「カルネデアスの板」があります。
私も詳しくはないのですが、「カルネデアスの板」とは「船が難破した際に、一人分だけの浮力しかない板に二人がしがみ付いている場合、自分が生きる為に一方が板を独り占めして相手を殺しても(緊急避難が適用されて)罪にならないという事例」だそうです。
その板が本当に一人分の浮力しかないのか、使い方によっては二人共助かるのではないか、そんな事は海の上で溺れそうな二人には判断は出来ず、ただただ自分が助かりたい一心なのでしょう。
「罪にならない」との事なので、板を独り占めした者を責めたりはしませんが、かと言って板を独り占めした者を擁護するつもりもありません。
ましてやそれが、仮に溺れそうな所で何とか助かりそうな板を探し出した時にたまたま流れ着いた人が協力する事もなく板を奪ったのであれば、尚更の事です。
自分が無関係の第三者ならともかく、仮に自分が板を奪われた人の側であるならば、それは当然の事ではないでしょうか?
船が人為的に沈められたのであれば、一番悪いのは「船を沈めて、溺れかけた二人に対して一枚の小さな板しか用意しなかった者」である事は間違い無いでしょう。
ただそれだけでなく「見るからに沈みそうな船に乗るように軽率に二人に勧めた人」や、「板を奪い合う事になるであろうと予想出来る相手と警戒する事なく協力するように勧めた人」が居たのであれば、それらの人々にもまた責められるべきでしょう。
これらの人が板を奪われた人の周囲にいるのであれば、安心して船に乗る事も出来ません。
いずれにしても、船の難破で海に投げ出されてしまった人はなんとか助かって欲ものです。
その場合も自分が板を奪われた人の側であれば、やはり板を奪われた人にこそ助かって欲しいと強く願うのは当然の事ではないでしょうか?
私も詳しくはないのですが、「カルネデアスの板」とは「船が難破した際に、一人分だけの浮力しかない板に二人がしがみ付いている場合、自分が生きる為に一方が板を独り占めして相手を殺しても(緊急避難が適用されて)罪にならないという事例」だそうです。
その板が本当に一人分の浮力しかないのか、使い方によっては二人共助かるのではないか、そんな事は海の上で溺れそうな二人には判断は出来ず、ただただ自分が助かりたい一心なのでしょう。
「罪にならない」との事なので、板を独り占めした者を責めたりはしませんが、かと言って板を独り占めした者を擁護するつもりもありません。
ましてやそれが、仮に溺れそうな所で何とか助かりそうな板を探し出した時にたまたま流れ着いた人が協力する事もなく板を奪ったのであれば、尚更の事です。
自分が無関係の第三者ならともかく、仮に自分が板を奪われた人の側であるならば、それは当然の事ではないでしょうか?
船が人為的に沈められたのであれば、一番悪いのは「船を沈めて、溺れかけた二人に対して一枚の小さな板しか用意しなかった者」である事は間違い無いでしょう。
ただそれだけでなく「見るからに沈みそうな船に乗るように軽率に二人に勧めた人」や、「板を奪い合う事になるであろうと予想出来る相手と警戒する事なく協力するように勧めた人」が居たのであれば、それらの人々にもまた責められるべきでしょう。
これらの人が板を奪われた人の周囲にいるのであれば、安心して船に乗る事も出来ません。
いずれにしても、船の難破で海に投げ出されてしまった人はなんとか助かって欲ものです。
その場合も自分が板を奪われた人の側であれば、やはり板を奪われた人にこそ助かって欲しいと強く願うのは当然の事ではないでしょうか?