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つれづれのままに・・・WebLog

心に移り行くよしなしごとを不定期更新で書き留めます

カルネデアスの板

2006年07月04日 07時23分07秒 | 歴史・文化・思想
前回、沈む船について書きましたが、「沈む船」と関連して取り上げられる言葉に「カルネデアスの板」があります。
私も詳しくはないのですが、「カルネデアスの板」とは「船が難破した際に、一人分だけの浮力しかない板に二人がしがみ付いている場合、自分が生きる為に一方が板を独り占めして相手を殺しても(緊急避難が適用されて)罪にならないという事例」だそうです。
その板が本当に一人分の浮力しかないのか、使い方によっては二人共助かるのではないか、そんな事は海の上で溺れそうな二人には判断は出来ず、ただただ自分が助かりたい一心なのでしょう。

「罪にならない」との事なので、板を独り占めした者を責めたりはしませんが、かと言って板を独り占めした者を擁護するつもりもありません。
ましてやそれが、仮に溺れそうな所で何とか助かりそうな板を探し出した時にたまたま流れ着いた人が協力する事もなく板を奪ったのであれば、尚更の事です。
自分が無関係の第三者ならともかく、仮に自分が板を奪われた人の側であるならば、それは当然の事ではないでしょうか?

船が人為的に沈められたのであれば、一番悪いのは「船を沈めて、溺れかけた二人に対して一枚の小さな板しか用意しなかった者」である事は間違い無いでしょう。
ただそれだけでなく「見るからに沈みそうな船に乗るように軽率に二人に勧めた人」や、「板を奪い合う事になるであろうと予想出来る相手と警戒する事なく協力するように勧めた人」が居たのであれば、それらの人々にもまた責められるべきでしょう。
これらの人が板を奪われた人の周囲にいるのであれば、安心して船に乗る事も出来ません。

いずれにしても、船の難破で海に投げ出されてしまった人はなんとか助かって欲ものです。
その場合も自分が板を奪われた人の側であれば、やはり板を奪われた人にこそ助かって欲しいと強く願うのは当然の事ではないでしょうか?

沈みそうな船・沈む船

2006年06月28日 00時03分06秒 | 歴史・文化・思想
日本は海に囲まれた国で、陸地にも多くの川があります。
そのためか、昔から大小様々な船が使われていました。
しかし船の中には残念ながら沈んでしまうものもありました。

船が沈むか沈まないか、実際のところは出港してみないと判らないのでしょうが、中には見るからに“沈みそうな船”もあります。
ところが、その“沈みそうな船”があっても実際に沈む前から「その船は沈む」とはなかなか言い難いものです。
あまり不吉な事は言いたくないでしょうし、沈んだ船を作った事を棚に上げて「この船が沈む事を望んでいるのか?」とか「この船を沈めるつもりか?」或いは「そんな事を言うから沈んだ」と言い出だす人がいるかも知れません。

私もそうなのですが、多くの人は沈む船には乗りたくないでしょう。
自分自身だけでなく、自分が所属する組織(企業や国家)の責任ある立場の人が沈む船に乗られてもまた困ります。
沈む船の話題を耳にする度に、船に乗ってしまった人の不運を思うと同時に、沈む船を避けた人の判断の正確さや運の良さ・運の強さを感じます。

それにしても何度も繰り返し沈む船を造る人達は、何故沈むのかをしっかりと検証しているのでしょうか?
充分な検証もせずに、次から次へと“沈む船”を造ってそれに乗るように勧める人がいるのであれば困ったものです。

受継がれる伝統・変わる伝統

2005年12月01日 07時09分23秒 | 歴史・文化・思想
最近、皇室典範改正案について、男性・男系・女性・女系等、賛成反対の様々な議論があるようです。
私も皇室の事は興味・関心はありましたが、積極的に論じたり取り上げたりするつもりはありませんでした。
今後も当ブログで取り上げる事はあまり無いと思います。
また私は皇族方のプライベートには興味はありません。

長い伝統がある皇室ですが、「開かれた皇室」「親しまれる皇室」と言われるようになった時から、それまでの過去をそのまま当てはめる事は出来なくなったように思えます。
また世の中も、個人の自由が制限されていた社会・女性の権利が制限されていた社会とは大きく異なったものになっています。
今更何を言っても過ぎてしまった時間を戻す事は出来ないのです。

皇室に限らず、伝統を変えずに受継ぐべきなのか、時代に合わせて変えるべきなのか、その判断は難しいものです。
変えずに受継ぐ事が出来るならば受継ぐのが望ましい事であっても、事情により次善の案が求められる場合も多々あります。
近いうち(例えばこの数年のうち)に変わる必要がなくとも、今後長く続いていく中で変わる事・変えざるを得ない事もあるでしょう。

“伝統ある存在”の在り方について、ある意見を否定すると(恐らくは皮肉な事に、それが強固であり理論的であればある程)、場合によっては(例えば、将来その“否定した形”に変わる場合)未来の“在り方”を否定する事にもなりかねません。
尤も否定している本人達はその事に気付いていないのかも知れませんが・・・。
伝統を受継ぐ存在であればこそ、目先の事ではなく、今後も長く受継いでいくことを念頭に考えるべきなのでしょう。

話を皇室典範改正に戻せば、全日本国民が一人残らず納得する選択肢は無いと思われます。
現在の皇室の在り方がそうであるように・・・。

歴史に見る“価値観”と“戦い”

2005年11月14日 00時12分24秒 | 歴史・文化・思想
歴史を振り返ってみると、過去には多くの戦いが行われてきました。
「どちらが正しいか」「何が間違っているか」と言った正義観・価値観の違いから戦いが起こっています。

歴史上、かつては武力による戦いが多く、戦いによって勝った者が権力を得て政治を行いました。
戦いの度に勝者側も敗者側も多くの死者を出し、敗者は戦いを生き残った者でも処罰される事がありました。

過去には武力による戦いが主でしたが、民主主義の普及により選挙戦と言う形での戦いが多くなりました。
選挙戦の結果、支持された側が勝者となり政権が与えられ、政権を行っています。
戦いの様式は一変しましたが、勝者が政治を行うと言う構図までが変わった訳ではありません。
尤も敗れた“正義観”“価値観”に対する扱いは大きく変わりましたが。

現在の日本は民主主義制度であり、日本国民は好むと好まざるとに関わらず民主主義の良い面の様々な“恩恵”を受けています。
私も価値観の違いから国民が血を流して争う国よりも、現在の日本のような平和な国である事が良いと思っています。

日本人が民主主義国家の国民としてその“恩恵”を受けている以上、“民主主義”を理解しておく事は「己を知る」事にもなります。
民主主義の良い面ばかりでなく、少数意見の位置付け等の様々な面を併せて知る事で、一層理解が深まるのではないでしょうか。

平和に対する罪

2005年11月04日 00時10分04秒 | 歴史・文化・思想
先日、小泉首相の靖国神社参拝報道について書きましたが、靖国神社参拝報道でいつもセットのように扱われているのが「A級戦犯」です。
スポーツ等で「A級戦犯」と言えば、敗因を作った最大級の責任者のように扱われる事が多いのですが、この靖国神社や第二次世界大戦の場合は違います。
この場合の「A級戦犯」は東京裁判(極東国際軍事裁判)で「A項(平和に対する罪)」で罪に問われ、有罪とされた人達です。
他に「B項(戦争法規違反)」「C項(人道に対する罪)」に問われた人もいますが、このABCは罪の重さの違いではなく罪の種類の違いです。

小泉首相の参拝以降、首相の参拝に触発されたかのように靖国神社の問題やA級戦犯の問題が取り上げられる事が増えているようです。
野党・民主党の野田佳彦国対委員長はA級戦犯と呼ばれた人たちは戦争犯罪人ではない・戦犯の合祀を理由に総理大臣の靖国参拝に反対する論理はすでに破綻しているとして質問主意書を出しています。
それに対して政府も靖国参拝は合憲・戦犯は国内では戦争犯罪人とはいえないとの見解を示しています。

『ハリぼんの世評ナナメ読み』さんでも取り上げられていますが、この質問と答弁を見る限りこの問題での民主党・野田国対委員長と政府の見解は一致しているようです。
尤も民主党内にも与党内にもいろいろな考えの方がいらっしゃるようですが。

しかし「名誉回復」されたからと言って、東京裁判そのものが「無かった事」になる訳ではありません。
東京裁判(1948年11月12日判決)当時の日本は主権回復(1952年)前で、実際に東京裁判の結果、刑を執行された“戦犯”もいらっしゃるのです。

東京裁判(極東国際軍事裁判)で有罪となった人の名誉は「国内では」回復されていますので、状況や相手が国内か国外かによって見解が異なる事もあるでしょう。
日本人が国外旅行中に現地の法に触れた場合を考えると、現地では犯罪者ですが日本の法に反していない限り日本の法廷で裁かれる事はありません。
立法府である国会と、外交も行う行政府である内閣とでは見解が異なる事があるのも当然の事と言えるでしょう。

未来の評価と現在の価値観

2005年11月03日 00時07分17秒 | 歴史・文化・思想
前回のエントリーでは「現在の価値観で過去を評価してはいけない」と書きましたが、逆に「過去の価値観で現在を評価してはいけない」とも言えます。
いくら「世が世なら・・・」等と言ってみた所で、現在の世には現在のルールがあり、現在の状況があり、現在の価値観があるものです。
例えば拉致被害者も2002年9月の訪朝前後では「8件11人」或いは「10件15人」と言われていたのですから、もし仮に平壌宣言に「拉致の解決とは何か」を当時の感覚で具体的に記されていれば、現在「特定失踪者」と呼ばれている人達の事は平壌宣言の範囲外となってしまいました。

同様に未来について考えるなら、「現在の価値観で未来を評価してはいけない」とも言えます。
時が経てば状況は変わるものですが、未来の事を考える場合、その状況の変化を前提とする場合も多いものです。

状況の変化を前提として計画・予定を立てていた場合、その前提となる変化が起きなければ、幾ら時が来たからと言って計画を実行する事は出来ません。
日本と北朝鮮の「国交正常化交渉」を考えた場合、日本政府の方針は一貫して「拉致・核・ミサイルの解決」が前提条件となっており、「国交正常化」の時は未定となっています。

今後も北朝鮮は北朝鮮で、“北朝鮮の国益”を追及する事でしょうし、現在、日本は拉致被害者の身柄を北朝鮮に抑えられているのです。
北朝鮮側から見て「何らかの得がある」と思わない事には、“交渉”は進みません。
もしも交渉の結果として一年後に国交正常化が実現するのであればそれは一年以内に拉致・核・ミサイルの解決すると言う事であり、半年後に国交正常化が実現するのであればそれは半年以内に拉致・核・ミサイルの解決すると言う事です。

それでも「拉致の解決」を無視して「国交正常化」だけを繰り返し話題として取り上げる人がいます。
もしかしたら拉致の解決を前提にしていない人や「拉致・核・ミサイルの解決」が目に入らない人がいらっしゃるのかも知れません。
しかし、それらの人が望むと望まざるとに関わらず時の流れに応じて状況は変化するものです。
はっきりとした前提条件があるにも関わらずその条件が満たされる事によって変化する状況を考慮できないのならば、それ以降の事を考えるのは無意味とも言えるでしょう。

過去の評価と現在の価値観

2005年11月02日 00時09分23秒 | 歴史・文化・思想
歴史を学ぶ時・歴史に学ぶ時に「現在の価値観で過去を評価してはいけない」との言葉がよく使われます。
確かに現在と過去では価値観が違う事も多く、過去の事を評価する際には当時の価値観を考慮する必要があるでしょう。

日本と北朝鮮の歴史において2002/09/17は、僅か三年前の事ではありますが、大きな転換点でした。
「拉致事件」についても2002/09/17以前は北朝鮮はその事件の存在すら認めておらず、日本国内の報道でも「拉致“疑惑”」との言葉が多く使われて、北朝鮮による拉致があったのか否かも見解が分かれていました。
その後も2002/10/15・2004/05/22等、いくつかの“転換点”を過ぎていますが、これらも仮に2002/09/17が無ければ大きく変わっていた事でしょう。

確かに日朝平壌宣言は調印されたものの履行されていない部分が多く、現在も拉致事件は未解決のままです。
しかし、だからと言って現在の価値観で過去(2002/09/17)を評価する事は誤りと言えるでしょう。

当時は特定船舶入港禁止法や改正外国為替法外国貿易法が成立していなかっただけでなく、改正船舶油濁損害賠償保障法も成立してしていませんでした。
また防衛を考えても、日本の有事関連7法(2004/06/14成立)はまだ成立していませんし、安全保障条約を結んでいるアメリカは同時多発テロ(2001/09/11)の影響が残っていました。

日朝平壌宣言から三年が過ぎましたが、改めて当時と今を比較して考えると複雑な思いです。
状況が整わないままに無計画に制裁を発動しても、拉致事件は解決しません。
もしも北朝鮮が人道主義に目覚めて拉致事件を解決する方向に動くのであればそれで良いでしょうが、北朝鮮が人道に目覚める事を期待していては拉致事件の解決が進むとは思えません。

前例と変化と先入観

2005年11月01日 00時03分02秒 | 歴史・文化・思想
長い歴史があると、多くの“前例・先例”が出来、その前例を研究する事で今後に活かす事が出来る事も多くあります。
だからこそ、歴史・過去を研究し歴史に学ぶ事には意味があります。

但し、前例の一面だけを捉えてしまうと、それが先入観・固定観念となってしまう事もあります。
その先入観も、時としては前例として通用する場合もあるのでしょうが、当然、中には通用しない場合もあります。
似たような状況に見えても周囲の環境が違う事で判断が変わってくる事もあります。

あまり前例が通じない人に対して、「先入観に囚われてはならない」・「この人に前例は通用しない」・「この人は前例を踏襲しない」と決め付けてしまう人もいるでしょう。
しかし、過去に「前例が通用しなかった」からと言って「前例を踏襲しない」と決め付けては、その事自体が新たな先入観になってしまっています。

「奇正の変は勝(あ)げて窮(きわ)む可(べ)からず」(『孫子』)との言葉があります。
「前例が当てはまる」と思い込んでいる場面で前例に無い事をされると予測が外れるのと同様に、「前例が当てはまらない」と思い込んでいる場面で前例に沿った事をされても予測は外れてしまいます。
臨機応変に考えて行動する人について予測するには、予測する側も臨機応変に考える必要があるのでしょう。

小泉総理の靖国神社参拝

2005年10月19日 00時09分35秒 | 歴史・文化・思想
平成17年10月17日午前10時過ぎ、小泉純一郎首相が総理大臣に就任してから5回目の靖国神社参拝靖国神社参拝をしました。
内閣総理大臣といえども一人の人間ですから神仏を信じる事もあるでしょうし、一国の首相として過去の戦争によって心ならずも命を落とされた多くの方々に敬意と感謝の気持ちを伝えるのは意義のある事でしょう。
以前のエントリーにも書いた事ですが、戦争で散った人の中には覚悟を決めて死に臨んだ人はあっても最初から死を望んでいた人はおらず、死の瞬間には覚悟が出来ていた人も含めて死者はそれぞれに無念だった事でしょう。

今回の参拝について、国内外から批判の声も挙がっているようです。
しかし、個人的な問題ですから他人・他国が「参拝するな」と言うのも筋の通らない話です。
日本人には「参拝する自由・権利」があります。
総理は以前から(国会の場でも)「適切に判断して参ります」と言って来た事を実行に移したのでしょう。

また逆に「参拝の仕方が中途半端だ」「拝殿記帳すべきだ」との声もあるようですが、これも他人が強制すべき事ではありません。
「敬意と感謝の気持ち」は心の問題なので、特に失礼な行為をしなければ形式に固執する必要はないでしょう。
私は、八百万(やおよろず)の神がいる日本では、神様も形式よりも心を重視する“おおらかさ”を持っていらっしゃるように感じています。
今後総理大臣になる人についても、それぞれの人が自身の判断で参拝したいと思えば参拝すれば良いでしょうし、参拝したくないと思えば参拝しなければ良いと考えます。
尤も、内閣総理大臣は国民の代表である国会議員に選ばれるので、国民の支持がなければ総理大臣になる事すら出来ないでしょうが。

今回の参拝は、過去4回の参拝に比べて非常に「簡素」な印象を受けました。
と同時に、それでもマスコミや特定の近隣国は大袈裟に批判しているように感じました。
これまでの参拝で、“いつ参拝しても”“どのように参拝しても”「批判する人は同じように(或いは簡素な参拝であっても以前より激しく)批判する」と言う事がはっきりしました。
今後、日本の内閣総理大臣が靖国神社に参拝する時等の参考になるのではないでしょうか。

謀反の兆しあり(2)

2005年09月28日 00時05分44秒 | 歴史・文化・思想
今回のエントリーは前回の続きです。

謀反を起こそうとしても力不足の場合、他の重臣を指して「謀反の兆しあり」との噂を流す事で、その重臣も謀反に巻き込もうとする事がありました。
領主が謀反を起こした重臣を処罰すれば領主は重臣を失う事になります。
また謀反を起こされた事によって領主の政治に疑問を持つ人が増える事も考えられますし、重臣を支持していた人からの批判が出て人望も下がり、領主の力は弱くなります。

重臣も、ただただ処罰を待つだけでなく、処罰を恐れて謀反の首領となってしまう事も考えられます。
謀反集団としては上手くいけば領主を追い落とせますし、失敗しても領主は謀反の鎮圧に力を費やす事となり、領主の力は弱くなります。
領主の力が弱くなれば、臣下の意見を聞き入れやすくなりますし、次に謀反を起こす時には成功しやすくもなるでしょう。

しかし領主と重臣との間に信頼関係があれば、このような企てが成功する事はありません。
その場合「領主は悪政を行っている」と掲げてしまった謀反集団は、「あの重臣は領主と一緒になって悪政に加担している」と言い出す事もあったのでしょうか。
本来、領主と重臣他臣下は共に政治を行うべきなのですが、謀反を起こすような臣下は本来の姿を見失ってしまうのでしょうか・・・。

謀反争いで混乱が起きるのは、領主だけでなく領民にとっても良い事ではありません。
内乱で力を消耗し、他国に攻められる隙を作ってしまった例は多々あります。

歴史に失敗例は多くありますが、やはり歴史に学ぶ事はなかなか難しいようです。