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つれづれのままに・・・WebLog

心に移り行くよしなしごとを不定期更新で書き留めます

守りの要

2006年07月21日 07時32分31秒 | 教育・科学・スポーツ
「何を今更・・・」と思われるかもしれませんが、何かと話題の多かったドイツでのワールドカップが終了しました。
時間が経ってしまったのでこのブログに書くかどうか迷いましたが、何となく書いてみます。
特別な期待をしていたわけではありませんが、私の地元・富山県出身の柳沢選手の良いプレーが見られなかったのはやはり残念でした・・・。

日本はチームとしては残念な結果に終わりましたが、引退を表明した中田選手等、個々には良いプレーをした選手がいました。
その中でも私が大会前から大会中まで注目していたのは守りの要・ゴールキーパーの川口能活選手のプレーでした。
ワールドカップが始まる前から日本嫌いな人からはインターネット上で誹謗中傷もされていたようで、何かと注目された選手です。
私には10年前のアトランタオリンピック・ブラジル戦で雨霰のようなシュートを防いだ活躍の印象が今でも強く残っており、最後まで淡い期待を抱かせてくれました。

しかし考えてみれば、ゴールキーパーが他の選手よりも目立って“活躍”するような試合はチームとしてはあまり望ましいとは思えません。
ゴールキーパーの近くにあまりボールが来ずにゴールキーパーが実況のテレビにあまり映らない試合、相手に雨霰の如くシュートを撃たれない試合こそが望ましいのではないでしょうか?
この辺り、ゴールキーパーのファンにとっては複雑なところなのかも知れませんが。

ゴールキーパーは守りの人・防ぐ人であり、チームが“守勢”の時にこそ活躍します。
「撃つ」と言う“攻撃の派手さ”はありませんが、それでも「守り」「防ぎ」は重要です。
いくら「守り」があまり活躍しない方が平穏であっても、大事な地を守り、“攻撃”以上の活躍をして帰国した戦士は大きな拍手で迎えたいものです。

釣りの上手な人・下手な人

2005年11月10日 00時10分36秒 | 教育・科学・スポーツ
先日のエントリーどれだけウマそうでもエサだけ取られてたら、エサ代がいくらあっても釣れんわな(笑)(Unknown さん)とのコメントを頂きました。
確かに、釣りの初心者や下手な人は餌だけを取られてしまう事も多いようです。
しかし釣り上手な人は、経験等から“潮の目”や“魚の動き”を読んだ上で魚が好む餌を選んで用いますので、餌を取られてばかりという事はないようです。

勿論“潮の目”や“魚の動き”が読めなければ餌を無駄にしたり全く釣れなかったりと言う事もあるでしょう。
ただ、釣りに限らず、下手な人・初心者は「他の人も上手く出来ない」と考えてしまいがちですが、実際には人それぞれで「太公望」と呼ばれる人もいるのです。
初心者や下手な人には“潮の目”を読む事は難しいのでしょうが、上手な人の中にはその“潮の目”をちゃんと読んでいる人もいるのです。
「太公望」と呼ばれる人には「太公望」と呼ばれる人にしか解らない“境地”があるのかも(このように書いている私も、それ程釣り上手ではありません)知れません。

また、釣りには集中力が必要ですから、周囲の人が口を出すのは邪魔になる場合も多い事でしょう。
例え釣り下手な人であっても、“釣り下手”や“潮の目が読めない事”を自覚している人は釣り上手な人の横で余計な口を出す事はないのでしょうが・・・。

釣りにおいても、自分の“眼の正確さ”や“力量”を知れる事で無駄を減らす事が出来るでしょう。
しかし、“潮の目”を読めないだけでなく何事も自分の基準で考えようとしてしまう人は、やはり「太公望」には程遠いと言えるのでしょう。

釣りと餌と餌の代金

2005年11月08日 00時02分50秒 | 教育・科学・スポーツ
最近、魚釣り(スポーツフィッシング等)の話を聞く機会が増えました。
TVの報道では少し前に流行っていると言うのを見ましたが、私の周囲では少し遅れて流行り出したのでしょうか?
私も最近は時間が無くて釣りをする機会は減りましたが、以前はよく魚釣りに出掛けました。

昔から「釣りの名人」は太公望と言われていました。
殷の時代の中国で、呂尚という人物が釣りをしている時に周の文王に出会ってその作戦参謀になり(のちに周は殷に代わって中国を平定、呂尚は斉に封じられる)、太公望と呼ばれた事に始まるそうです。
元祖・太公望である呂尚の釣り糸には餌は付いていなかったとの説もあるようですが、それでも諸侯である文王、更には周の天下を“釣り上げた”のですから、流石は「釣りの名人」と言った所でしょうか。
しかしながら現在の釣りにおいては、全く餌を付けずに釣る事は出来ず、やはり餌は必要になります。

釣りをする人の中にも、その魚の餌が苦手・餌に触りたくないと言う方も多いようですが、その餌を魚が食べるからこそ釣りが出来るのです。
人間と魚とでは釣餌に対する見方も違うのでしょうが、餌は(魚の立場から)「美味しそう」なものでなければ意味が無いのです。
ルアー(疑似餌)も半永久的に使える物ではありませんし、食べられない物を餌に似せる事もあって凝った物は細工も細かく高価です。
物によっては本物の餌を使うよりも却って“餌代”が掛かる事もあるようです。

「釣る事に人生を掛けている」ような人であれば、釣果が無い事は人生に関わる事となります。
使える餌代にも限りはあるのでしょうが、あまり餌代を惜しみ過ぎるようでは、釣果を望む事も出来ません
これでは「太公望」には程遠いと言えるでしょう。

野球が面白くない

2005年10月30日 07時07分08秒 | 教育・科学・スポーツ
標題の通りなのですが、どうも最近「野球が面白くない」と感じるようになりました。
以前はもっと面白いものと思っていたのですが、プロ野球だけでなく高校野球も面白く感じません。
私だけが面白くないと感じているだけでなく、野球中継の視聴率も低下しているようです。

何故「面白くない」と感じるようになったのか、考えてみました。
どうも大きな理由として、「球場内よりも球場の外が盛り上がっているように見える」事があるように思えます。

演劇でも“舞台裏”を見せられてしまうと、本編が素直に楽しめなくなる事があります。
舞台裏は舞台裏としての楽しみ方があるのかも知れませんが、本編の前に舞台裏のドタバタした部分を詳しく見てしまっては“本編”の方が興醒めしてしまいます。
本編の舞台が終わった後で、舞台裏のこぼれ話を少しだけ知るのは趣もあるのでしょうが・・・。

野球は毎年・毎シーズン行われるものですから、今シーズン後の舞台裏はそのまま来シーズン前の舞台裏になります。
舞台裏を秘めておく事で、“見えない事による楽しみ”も出て来るのではないでしょうか。

「サポーター」と「フーリガン」

2005年09月01日 07時07分28秒 | 教育・科学・スポーツ
前回のエントリーにまた興味深いコメントを頂きました。
確かに、いつオウンゴールするか解らないような選手や、勝手な速攻・無理な速攻ばかりの選手は困りものです。
目を離すとオウンゴールしそうな左サイドに、いつ勝手に速攻仕掛けるかわからない右サイド。
こんなチームがあったら司令塔も疲れるでしょう。
それでも大失点しないとしたら、もの凄く運が強いんでしょうね(笑)(MF八咫烏 さん)
しかし、速攻が巧い選手・速攻を得意とする選手を試合に出しておく事で、相手が速攻を警戒して作戦の幅を狭めると言う効果はあります。
このように存在するだけで相手への牽制になる選手の存在は頼もしいのですが、かと言って、その選手がチームの戦術や司令塔の支持を無視して単独で速攻をするのであれば困ります。
どのような戦術を用いるか・誰を司令塔にするかは、試合前のミーティングで決めておくべき事なのです。

また、チーム事情や戦況を理解していないような観客が「速攻の方が良い」と思い込んで「速攻しろ速攻しろ」と騒ぎ出すのは、見ていてもあまり気持ちの良いものではありません。
ましてや「点が入らないのは速攻しないからだ」「速攻すれば確実に点は取れる」と決め付けたり、「速攻をしない監督や司令塔を替えろ」「速攻しないのは八百長だからだ」等と騒ぎ立てるのも困りものです。
これでは「サポーター」ではなくて「フーリガン」と呼ばれる存在となってしまいます。
あまり「フーリガン」が増えてしまっては、一般の「サポーター」が遠ざかり、そのスポーツ全体の人気に翳りが出て来るかも知れません。

チーム競技における戦術の統一

2005年08月31日 00時09分26秒 | 教育・科学・スポーツ
サッカーやラグビー等のチーム競技では、右陣と左陣・前衛と後衛の連携が必要となります。
速攻や遅功等の戦術・作戦は様々でしょうが、右陣と左陣・前衛と後衛の連携と方針の統一は必要です。

すばやく速攻するのもじっくりと遅功するのも戦術・作戦の違いの問題であり「どちらか一方だけが正しい」ものでもなければ「どちらか一方は間違っている」ものでもありません。
チームの事情や状況によって使い分ければ良いのであり、同じような状況であっても監督や“司令塔”の判断でその選択がなされるのでしょう。

しかし、監督や司令塔が“じっくりと遅功”と言う戦術・作戦を取っているのに、一部のプレーヤーだけが勝手に速攻の動きをしたらどうなるでしょうか?
チームとしての統一性は失われ、周囲との連携も取れず、相手に攻められる隙を与える事となるでしょう。

監督や司令塔でもないプレーヤーは「自分が戦術・作成を決める」「自分が決めた戦術・作戦が正しい」と独善的に考えているのかも知れません。
いくら“戦術・作戦の違いの問題”とは言っても、このようなチームの統一した方針を無視するプレーは“間違い”です。
このように方針を無視して連携を損なう選手は、いくら個人的に高い技術を持っていても、試合に出してはならないでしょう。

勝敗を取るか好悪を取るか

2005年08月24日 20時49分25秒 | 教育・科学・スポーツ
先日のエントリーに興味深いコメントを頂きました。
コメントで返信しようと思っているうちに時間が経ってしまったので、新たなエントリーとして書きます。
昔から馬が大好きで、競馬に興味を持ち始めて、3年になるでしょうか。最初の一年は勝ちもせず負けもせずで、チョンチョン。これはなかなかいいな~。と思っていたら、それ以降勝てなくなりましたよ。私の場合は、強い馬や嫌いな馬を買わない傾向にあるようです。そこそこの高額配当を期待しているのでしょうかね。ryulyu_001さんの言うように一度好みを忘れてみようかしら…(hinatade さん)
hinatadeさんに限らず“好み”というものは誰にでもあるものでしょう。
好みのものを応援したくなるのはよくある話で、ここから物事に入って行く人も多いのではないでしょうか?

とは言え、いくら好きでも負ける事はありますし、好きなものが全く勝てなくなるという事もよくある話です。
そのような時には、負けても好きなものの応援を続けるか勝つ方を応援するか、どちらかになるのではないでしょうか?

前者の場合、負けたからと言って勝った方を恨むのは筋違いですし、勝った方を中傷しても弱い者が強くなる訳ではありません。
好悪に拘るか勝敗に拘るかと言う事になるのでしょうが、好悪に拘るのであれば勝敗を度外視して応援するのもまた一つの楽しみ方なのでしょう。

しかし、勝敗に拘るのであれば勝つ方・強い方を応援すべきなのでしょう。

勝ち馬に乗る

2005年08月18日 01時55分58秒 | 教育・科学・スポーツ
競馬ではどんなに応援しても、負けた馬に投票した馬券は“紙屑同然”となってしまいます。
勝とうと思うなら、気に入らない馬であっても勝つ馬に投票しなくてはなりません。

人によっては、馬の走り方に好みがある人もいらっしゃるようです。
しかし、気に入った走り方の馬が負け、気に入った走り方の馬が勝つ事もあります。
その場合は、勝ちを諦めて負ける馬に投票するか勝ちを求めて気に入らない走りの馬に投票するか、どちらかを選択しなければならないでしょう。

殆どの場合に於いて勝利は手段に過ぎません。
勝利する事よりも勝利によって何を得るかが重要になります。
「好み」に拘るのか「勝利」に拘るのか「得る物」に拘るのか、人それぞれであり、だからこそ投票が分かれるのでしょう。

いくら嫌いな馬であっても、勝つ馬には勝つだけの理由があるものです。
一度好みを忘れて勝敗の理由を考えてみるのも良いかも知れません。

将棋とボクシング

2005年07月31日 11時30分43秒 | 教育・科学・スポーツ
昨日のエントリーハリぼんさんからトラックバックを頂きました。
ハリぼんさんは将棋とボクシングついて書かれていますが、格闘技等のスポーツと将棋とで、戦い方に共通する点があるのは興味深く読ませて頂きました。

ハリぼんさんは弱い者ほど攻めなければ勝てないとタイトルを付けていらっしゃいますが、確かに「弱いからこそ攻める」と言う事もあるのでしょうね。
そして、それを見た素人が「攻めているから強そう」と思ってしまうのでしょうか。

将棋とボクシングでは違う点も(当然の事ながら)多々あります。
ボクシングには死角が生じる事がありますが、将棋では相手の駒は全て見られます。
ボクシングでは相手と自分とで動きのスピードが違う事がありますが、将棋は一手ずつ交互に指します。
ボクシングでは怪我をすれば次の試合に影響しますが、将棋ではどれだけ駒を取られても次の対局の駒に影響する事はありません。

短い時間で考えただけでもこれだけ違う点がありながら、それでも「相手に攻めさせながらカウンターで相手の隙を突く」戦い方が共に通じるのは、改めて深く考えさせられるところです。
この戦い方は他の事にも応用出来るのではないでしょうか。
実際に名人巧者と言われる人は、既に応用しているのかも・・・。

攻めるタイプ・攻めさせるタイプ

2005年07月30日 00時26分10秒 | 教育・科学・スポーツ
格闘技の経験のある方や格闘技に詳しい方には解り易い事なのでしょうが、格闘家には「自分から積極的に攻めまくるタイプ」や「相手に攻めさせながらカウンターで相手の隙を突くタイプ」等があるようです。
これは何も格闘技に限らず、サッカーやバスケットボール等のスポーツでも言える事かも知れません。

これらは、言わば“流儀の違い”とでも言うべきもので、「どちらが良い」とか「どちらが悪い」というものではありません。
また、同じ格闘家であっても相手や状況によって戦術を使い分ける人もいるようです。

一般的には、素人等のよく解らない人から見れば、「攻めまくるタイプ」の格闘家の方が動きが大きい上に解り易く、“ウケ”も良いようです。

私も過去にあまり詳しくない格闘技をTVで見ていて、「攻めまくるタイプ」の格闘家が激しく攻撃している姿を見て「このまま勝つのでは・・・」と思ったがありました。
ところが詳しい人によれば「いや、あれは攻めさせられているだけだ」との事で、実際にその試合では果敢に攻めていた筈の側が気が付けば負けていました。

やはり経験を重ねた“玄人”には、素人には解り得ない“勝負の勘”があるものなのでしょうか?