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【神社】唐松神社・唐松山天日宮@秋田県大仙市協和境下台

2017-12-02 | 神社・仏閣
以前参拝しに行ってとても印象的だった神社の紹介です。

2006年8月 東北を巡るイワクラと聖地探訪ツアーに参加したおり、わざわざ遠回りをしてまでもどうしても訪れたかった一社が今回ご紹介する秋田県大仙市協和境下台に鎮座する唐松神社でした。

からまつばし 羽州街道の上淀川から蛇行する淀川沿いを少し走ると前方に森林が見え来ます。この森の中に唐松神社が鎮座しています。

唐松岳 かつての唐松神社の元宮があるそうです。

いよいよ、ここから境内の神域となります。

愛子大神・多福大神の碑 (愛子大神:迦具土神の事で、当地の物部氏の氏神で火結神)

神代文字(物部文字)で「ヒフミヨイ・ムナヤコト」と読み解けます。

参道 ここは珍しい下り宮となります。

社殿 おびただしい数のオーブが乱舞しています。
祭祀:息長帯姫命・迦具土神・天祖三神
社伝によれば、三韓征伐に加わった物部膽咋連(もののべいくいのむらじ)が、神宮皇后が付けていた腹帯をいただき、この地にきて神社を創建したと伝えています。またここは、別名「韓服宮」とも言うそうです。まさに文字通り「韓を征服した」から付いた名称で、皇后自身が帰路この地に立ち寄ったという伝承もあるそうです。
また、ここが下り宮な理由としては、一般的にはかつて社殿があった唐松山の地主の怒りを買ったためとも。
また朝廷に敵対した祖神ニギハヤヒを低地に祀り蔑ませることで朝廷側への配慮を図ったとも言われています。

 当日は、朝から小雨混じりのあいにくの天気でしたが我々が訪れいざこれから参拝しようと思った矢先。
突然の激しい雷鳴と風雨に、思わず社務所兼ご自宅へ退避させてもらうことに。
宮司さんの取り計らいで、ここで昼食を摂らせてもらっているとお茶とスイカをご馳走になってしまいました。
こちらの宮司さんは代々女性が努めておられているそうで、祖神ニギハヤヒの子孫でもある物部氏一族なのだそうです。
雨の止むのを待っている間、別室の祭壇のすだれ越しに天日宮が見えました。
いつ雨が止むのかも判らい状況だったので「せめて写真だけでも…」と、お願いしたところ快くすだれを上げて戴けました。

すだれを上げると目の前に天日宮のその全容を観ることが出来ました。
堀の周囲を玉垣で装飾された円墳の様な中央に日の宮は鎮座しています。実に不思議で特異なお社です。

 天日宮の建立とその様式は、何でも秋田物部氏に伝わる古文献に基づき忠実に再現したものと伝えられていますが、物部家に伝わるその古文献は、代々の当主が文献を一子相伝で継承し、余人に見せることを禁じてきた曰くありの文献でもあります。
現在その一部が公表されているのみで、殆どは未公開のままとなっているようです。
その一部のみ公開されている文献(物部文書)によれば、ニギハヤヒは豊葦原中ツ国、千樹五百樹が生い茂る実り豊かな美しき国を目指して鳥見山(鳥海山)の山上、潮の処に降臨したと伝えニギハヤヒはその国を巡ると、逆合川の日殿山に「日の宮」を造営した。
後にニギハヤヒは畿内に降臨し、後裔の物部氏が神宮皇后の安産祈願と香具土神、宮毘姫命の御霊代を併せて大和国に社殿を建立したと記されているそうです。
崇仏戦争に敗れた物部守屋の一子那加世が東奥の地に分け入り数代の後、元宮である現在地唐松山頂にお祀りされたと由緒を伝えています。
 作家の原田 実氏によれば、「鳥海山に降臨したニギハヤヒとは、東北に寓居する物部氏の祖霊召喚に応じた神霊としてのニギハヤヒだったのではないか。そう考えれば、畿内に降臨したはずのニギハヤヒが東北の地にも降臨したとしておかしくはない。」と、解いています。

そうこうしていると、いつしか雨もやみ日も差すような天気に。これはラッキー♪
まさしく天日宮に居合わせた我々に対しての歓迎のシルシなのでしょうか?!
せっかくなので拝殿の周囲を散策することに。


雨で、玉垣が光り輝き美しい。


円周状に綺麗に積み上げられた玉垣 意味ありげに置かれているキーストーンが気になります。


唐松山天日宮 拝殿

拝殿の裏手には、3つの石が祀られています。向かって左から 抱石男石(授かる)、 玉鉾石(結縁子安)、 女石(安産)とかけ天日宮の正面で願い事を心で唱えながら男性は右回りに進んで玉鉾石を撫で、女性は左周りに進んで抱石男石・玉鉾石を撫でる行為を三回繰り返すと願いが成就すると言われています。
かなり霊験あらたかだったようでここが古くから「安産・子授け」の神様として、女性たちの信仰を集めるようになったのだそうです。

もうひとつ境内には怪しい臭いのする場所が存在しています。

神池の中央にやはり玉垣が円周状に組まれた小島がありました。

裏手より望む

池にスロープがある事から禊場のようにも思えます。

中央の小島を良く観察すると...。

ん!?こっこれは!!男性器のシンボル?? 中央の碑には「高天原・高天原」と陰刻されていました。
背後の大きな碑には「天日宮 玉鉾神社 唐松神社」とあります。

そしてその延長線上の裏手に「玉鉾大神」と陰刻された石碑が建っていました。
謂れでは、そもそもこちらが本来の天日宮だったそうで、その様式が似ているのも当然と言えるでしょう。

さらに気になった箇所がありました。

禊場のスロープより小島に通ずる部分を良く観察すると何か橋のようなものが架けられていました。
何でしょう?その先端を更に観察すると...。

あきらかにこれは「鉾」である事が分かります。玉鉾神を祀っているわけですから何か謂れがある事は確かでしょう。
何かを封じるがごとく小島に突き刺さる「鉾」…。
果たしてこれは、何を意図しているのでしょうか?

ここを訪れた時 あれほど雷雨が激しかったのに我々が、いざこれから天日宮へ参拝しようとした矢先。
今までの風雨がピタッと止まりまさに「天から日がさす」が如く天日宮を照らし玉垣の光り輝く美しさは久しぶりに身震いが致しました。
以前、超歴の夏調査で香川は屋島を訪れた際に、これも偶然知り合った占い師から「あなたの祖先は物部氏」と言われたことを想いだしました。
そもそもここを遠回りをしてまで工程に組み入れたのが自分で、やはりこの神社に呼ばれて何かご縁があるのかも知れない。と、思った感慨深い一社なのでした。

唐松神社御朱印
(訪問日:2006年8月)
【マップ】


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