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蝦夷犬(エゾイヌ)

カマ神38点 表情豊かに 大崎市図書館で展示会 来月2日まで

河北新報電子版 朝刊
令和5年6月26日 13/22

私の母方の実家は、幼い頃は伯父夫婦が守っていた。
既に祖父母は他界していたが、庭の広い大きな家で、玄関から入ると、土間にカマドがあり、土間続きの上がり部屋には囲炉裏があった。
当時は、伯父は2度目か3度目だったかの再婚した伯母がいたが、赤坂だったかの芸者だったのを引かせて嫁にしたとかで、えらく粋な伯母だった。
長いキセル(煙管)を巧みに使って、いつもタバコをふかしていた。

伯父は引き込む前は、何度か勘当させられた遊び人だったらしく、自分の名前を染め抜いた法被姿でハーレーダビッドソンのオートバイにまたがり、粹がっていたと聞いた。
私が物心のついた頃には市会議員などをして真面目に生活していた。



伯父よりも年上の姉の伯母が、面白おかしく、伯父の遊びが止まないので、祖父母が東照宮に財産の半分を差し上げてしまったら、閉口した伯父がようやく家に戻って仕事を始めたのだと、食事の時に伯父を冷やかすと、戻る家が無くなったら行くところが無いと、酔った伯父が悲しそうにつぶやいたりした。

囲炉裏には時々木がくべられて、広い部屋中が煙っている時もあった。
そうすることで虫除けと天井のカヤが燻されて、家の強さが増すんだと聞いた。
もちろん、カマドにも木が燃えていて、炊きあげた釜から直接よそって食べたご飯は甘くて、町に住んでいる家で食べるご飯とは雲泥の美味さに感じたのだった。
自宅も当時はカマドで炊いていたはずだが、なぜだったのだろう?



カマドの上の壁の柱に煤けた怖い顔の大きな面があって、火の神様なので、家を守ってくれているのだという。
囲炉裏の周りは、誰が座るのかは決まっていて、掘りごたつ風に足を下ろし、吊るされている鍋に入った具材が煮えるのを待つ時間は、とても楽しみだった。



カマド神、釜神などと呼ぶが、幼い頃から見慣れていた。
友人の家なども、古い家も少なくなかった。
何処にも、釜神様を見ることはあった。
無い家もあった。



中学生の頃に、父親が亡くなり、弟や妹の面倒を見ている同級生がいて、田植えなどを仲の良かったグループで手伝いに行ったりすると、仕事の終わりには、砂糖や漬物を肴に酒が振る舞われるのだったが、釜神様は同級生が囲炉裏の主(あるじ)の席に座ると、優しい顔で彼を見ているようで、その頃には、屋敷の守り神と言うことは実感としてあった。



中学生で、大人の代わりをする奴は、少なかったが、近所やら親戚などは、そう言う場合には、大人と同様に、酒もタバコも禁止されたことはほとんど無かった。
学校にまでタバコなどを持っていけば、もちろん怒られたが、実質上の立場を尊重する時代だったように思う。
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