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蝦夷犬(エゾイヌ)

津軽三味線 響き合い頂点 仙台の福士さん姉妹 2大会で快挙

河北新報 電子版 朝刊
令和5年6月28日 16/26

津軽三味線は、ご存知の通り、青森県津軽地方で演奏されていた三味線奏法である。
最初は、正月などで家々を回って歌や演奏、漫才などを行なう地方特有の門付(かどづけ)と言う風習のひとつだった。
20世紀初頭に、ボサマ(お坊様)と呼ばれている盲の演奏家がいた。
名前は神原の仁太坊(1857-1928)と言う。
本名を秋元仁太郎と言う。
彼の演奏は生活のために編み出されたものであったが、その奏法に惹かれた何人かが継承した。

継承した中に、津軽三味線が今日のように三味線だけでも充分魅力ある奏法に仕上げた白川軍八郎が居た。
彼もまた4歳で失明して、9歳になって、同じ金木町に住んでいた仁太坊に弟子入りし、同じように津軽三味線の原型になった演奏をしていた他の演奏家たちの奏法も取り入れて、15歳の頃になると独自の奏法にたどり着いた。

今日のように三味線だけでの奏法に仕上げた著名な演奏家に高橋竹山が居る。
竹山も幼くして失明し、生活のために津軽三味線を覚え、独自の境地にたどり着くまでは、16歳から各地を流して演奏をして歩いた。
もっとも、晩年になると、竹山の名声を慕い遠くから青森までそのためだけで聴きに行く人が続出したと聞いている。
誰だったか、思い出せないのだが、雪の青森県に到着して演奏を聴き、宿をとることも忘れて聞き入ったことを随筆で読んだ記憶がある。

近年の津軽三味線は、若い演奏家が続出して、それぞれが素晴らしい演奏を披露してくれるので、私のように、たまに聴きたい程度の不真面目なファンともつかない者にとって、選ぶにも知識が追いつかない現状である。

今回は弘前市で行われた世界大会の初心者クラスで、お姉さんの福士奏(かなで)さん16歳が優勝、青森市での日本一決定戦では妹の福士あみなさんが出場部門で優勝と、姉妹で素晴らしい成績だった。
宮城県には、何人もの著名と言って良い演奏家が居る。
浅野祥くんなどと呼ぶと叱られるだろうか?
昨日もFMで彼のおしゃべりと演奏を聴いたばかりだった。
隠れファンくらいには入るだろう。
須貝麻由さんも華やかな演奏である。
柴田三兄妹は当然、ご存知の方は多いだろう。
他にも大事な人を思い出せないかも。
福士姉妹の今後に期待している。
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