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蝦夷犬(エゾイヌ)

奥羽越列藩同盟の東北北海道さらに新潟県をテーマとして、地域の新聞から記事を選び、勝手なことを書きたいと思う。

風車数55→34基に 専門家 イヌワシに影響「再見直しを」

2023-07-27 23:20:00 | 日記
河北新報電子版 朝刊
令和5年7月27日 24/30

グリーンパワーインベストメント(東京)が盛岡の奥に風力発電事業を計画しているが、計画圏内にイヌワシの営巣地区があり、岩手県は計画全体の再検討を行うよう、事業者側に申し入れをしていた。
事業者側は、申し入れにしたがって風車数を55から最大34基とすることに決定したという。

発電事業を見直して、エネルギー全般の未来への設計計画をバランスのとれたものするのは、現代の我々ができる未来への責任だろうと思う。
原発も含め、ソーラーパネルなどによる大規模な自然破壊を無秩序に行うなど、あってはならぬことがまかり通る現状は、責任を放棄した無責任な行政の証左として、未来から糾弾されるのは間違いない。

修正は未だ間に合うと思うが、だからと言えど、ギリギリの瀬戸際を駆け足で走っている状況には、限られた選択のみが見えているような不確かさだけが際立っている。
警報が鳴り、赤ランプが点滅し続けているのには、相違無い。
立ち止まる猶予などあるわけも無い。
高山や深海などでの危機的な状況が、ちょっとしたミスで破滅的な被害をもたらすように、人間が、特に日本人が、悲観する現状にいることは、みんなが認識しておく必要がある。

それぞれは地域性は否定できない。
岩手県は小沢王国だった。
北海道も新潟県も、東北全部も、牛耳っている頭がちがっているだけで、構図は同様と言って良いだろう。
どこぞの輩によるATM化が行われて、国民などは奴らにとって食う餌にされている。
薄々か、ハッキリとかは違っても、この変な意識は同様に、みんなが認識してしまっている。
ここまでバレているんだ。
暴動が起きても不思議じゃない。
日本人は穏やかな国民性があるので、選挙を唯一の方法と、唯唯諾諾と政党政治で推薦された候補者に票を集めてきた。
だが、もうここまでだ。
この数年が分水嶺。
日本はひっくり返る時期に来た。


自分の心 見据え 生きて 無着成恭さん死去

2023-07-26 22:01:00 | 日記
河北新報電子版 朝刊
令和5年7月26日 23/28

無着成恭氏は、どのように偉かったのだろう?
一度、電話を差しあげたことがあった。
けんもほろろと言う言葉が、もっともふさわしいだろう。
基本的に、私は礼儀作法はうるさい方である。
言葉遣いから、何から何までも、無礼であったはずはないと信じている。
これまで数千数万と言う方々と話をさせて頂いてきたが、無着氏ほど傲慢に応対されたことは、皆無とまでは言わぬが、記憶にない。
もちろん、教育についてご指導を仰ぎたいと、最初に申し上げた。
その次に、自分の子について説明し始めて、問題児になる状況について話した瞬間に、彼は勝手に育てれば良いと言い放ち電話を切られたのだった。
あれが教育者?
既に高名な方だったが、呆気に取られ、あとに物凄く腹が立った。

電話をするまでに相当に逡巡し、知人の学校の教頭とかベテランの先生数人に相談して、無着氏に相談してみるよう助言を頂いた上で、失礼を詫びながら、電話させていただいたのだった。
それが1分も話をしないうちに一方的に切られた。
相手の都合を尋ね、了解を受けて、さてと説明を始めた瞬間だから、意味が分からない。

間違いや人違いなどは可能性はあるだろう。
あるいは、田舎者ゆえ、滑舌が悪くて聞き苦しいことはありうると思う。
以前は、大きめの音楽プロモーターから小椋佳の声質だと褒められたことがあるくらいで、今から半世紀近く前のことだから、そこまで自信をもって話が出来ていた訳では無いが、酷かったとも思わない。
最近は歳も歳なので、くどくなっていることは否定しないが、当時は30歳そこそこだったので、今ほど酷くはなかっただろう。

昔から、ワンセンテンスに盛り込みすぎると批判されることはあった。
話しする時に息継ぎが下手で、ズラズラズラ〜っと喋りっぱなしになることはある。
だが、一度もお会いしていない相手に夢中になって畳み掛けるような真似はするわけも無い。
それなりに、講師などと言う、人様の前で話す機会も少なくなかった。
そういえば、卒業式の来賓講演に招かれて、不条理として無着氏について話すことはあった。
思いもかけない場合に、他人に誤解を受けることを話したのだった。

半世紀にも渡って、埋めネタのように、雑談に笑い話としてご紹介する話題をいただいたのだから、おいしい話と言うべきだろうか?
だとしても、売れないコンサル業のようなことに、引き合いの雑談なので、これまでいただいた謝礼金の数パーセントと計算してみても、10万円に届くだろうか?
多くは、企業の立ち上げから人材募集などと、切った貼ったの修羅場の専門分野。
教育に関連するとは思えるが、雑談から一歩も出る話題でもない。
不愉快さが残るので、収支はマイナスに思う。

まま、猛獣に出会い頭に噛みつかれることも、人生にはあるのかとも思う。
目の前でむちゃくちゃにあしらわれるなら、プライドのために、白い手袋を投げつけて、決闘を申し入れることはゼロには思わない。
ヨーロッパの騎士なら、あるべき姿だと思う。
増して、サムライの心意気を持つべきだと自認する気分はあるのだ。
ご先祖さまに申し訳が立たない。

とっくの昔に、くたばっただろう?
あれ以来、半世紀も音沙汰を知ることは無かった。
そもそも、生きているステージも違い、風の便りも耳にしなかった。
そう思っていたが、憎まれっ子、世にはばかるを地で行った彼ゆえ、冥福の「め」くらいは、自分としても気持ちはある。
閻魔大王にチクるなら、天国なんか行ける奴じゃないよ。
ハリ地獄、血の池地獄、などなど。
大したことじゃないなあ?
永遠に続いても、学習したなら、逃げる手立てはありそうじゃ無いか?

そうそう、数日前に友人に「拝み屋」さんについて教えたのだった。
100人にひとり、本物がいるかどうかの巫女修行。
無着氏がどうだろうが、彼の名声で騙されたと思う方もいるだろう。
感謝する人がいても不思議ではない。
結局は、そのような存在だったと、私には思えるのである。
瀬戸内寂聴のように。

竹細工・虫の音楽会 宮城・大和の大水さん制作

2023-07-24 12:41:00 | 日記
河北新報電子版 朝刊
令和5年7月24日 13/24

新聞記事は法的に表示出来ないので、物を見ていただくにはホームページを見ていただくのが良いだろう。
確かに、プロの制作と言えば言える訳だが、趣味で作っているうちに、欲しい人から頼まれて販売していて、このようになったと見える。





ベニザケ 陸上養殖成功 すし、刺身を試験販売

2023-07-21 07:45:00 | 日記
河北新報電子版
令和5年7月21日

ベニザケはヒメマスの海洋型。
身の色がオレンジで、美味。
養殖成功により、アニサキスなどの寄生虫の心配が消える。
世界初の養殖技術の成功によって、他の魚種にも技術が転用できる可能性がある。
当初は価格がどうしても高い水準にならざるを得ないが、需給バランスでこなれた価格が実現できるようになるだろう。

また、他の魚種で成功している非常に多くの養殖技術を組み合わせて転用することで、新しい商品を生み出せるだろう。
考えてみれば、実に多くの未来が開かれる。
コストの面などから、海外生産に容易に走りやすいが、出来るならじっくりと、国内生産で醸成させ、より多くの技術との組み合わせも探って欲しい。

福島のスーパー「ニチイ」、NTT東日本、岡山理科大学の合同での開発である。
案の定というか、早速海外に技術を輸出したいなどとの文言が記事中に見られる。
いずれの企業も、経営は難しい局面だろう。
これまでも、技術輸出によって、小の虫を生かして、大の成果を捨てるような商業者が多い。
観光農園に外敵を呼び込み、イチゴや葡萄の品種を盗まれて、本来得られただろう収入を捨てるバカバカしいことが行われてきた。
お人好しな甘さは国内利益を捨てるだけでは無い。
国際競争力を自ら手放して、唯唯諾諾(いいだくだく)と赤貧に甘んじ、日本全体に迷惑をかけることに気が付かない。
ましてや、日本政府そのものが売国奴の集まりになったような現在の状況なら、自らの利益だけではなく、同胞を守るためにも、良く考えてから行動したい。

極彩色の御座船 海上巡る 塩釜みなと祭 みこし渡御

2023-07-19 13:20:00 | 日記
河北新報電子版 朝刊
令和5年7月18日 1/22

昨日、書いて投稿していたハズのブログが消えてしまった。
思い起こしてみれば、YouTubeをご紹介するリンクが変で、気に入らずに削除してしまったものらしい。
大変失礼しました。
まあ、根がドジな奴なので、お許しくださいm(_ _)m

鳳凰丸、龍鳳丸の御座船に導かれる、塩釜みなと祭りが17日に行われた。

日本三大船祭りと言われてはいるが、大東亜戦争後の1948年に、戦後復興を願って始められた、歴史的に若い祭りではある。
広島県宮島町の厳島神社の管絃祭(かんげんさい)、神奈川県舞鶴町の貴船神社の貴船祭り、それにこちらの宮城県塩竈市の塩釜みなと祭りなのだが、もう少々詳しくご紹介させていただきます。
陸奥国一ノ宮、志波彦神社・鹽竈(塩釜)神社のそれぞれは、様々な謂れがあって、塩釜神社の中に別宮として志波彦神社が建てられています。
明治時代の神仏分離の影響もあったのでしょうが、このような、由来が別々であった神社がひとつになっているのも、本当の意味からはどうであるべきか、門外漢ですが考えることが多いものです。
二神社がひとつの祭りで良いのかどうかも、曖昧と言えばそう思えるので、いかにも日本的だと許容する部分でしょうか?

しばらくぶりで、今回は見応えのあみなと祭りになったようです。