蝦夷犬(エゾイヌ)

奥羽越列藩同盟の東北北海道さらに新潟県をテーマとして、地域の新聞から記事を選び、勝手なことを書きたいと思う。

自分の心 見据え 生きて 無着成恭さん死去

2023-07-26 22:01:00 | 日記
河北新報電子版 朝刊
令和5年7月26日 23/28

無着成恭氏は、どのように偉かったのだろう?
一度、電話を差しあげたことがあった。
けんもほろろと言う言葉が、もっともふさわしいだろう。
基本的に、私は礼儀作法はうるさい方である。
言葉遣いから、何から何までも、無礼であったはずはないと信じている。
これまで数千数万と言う方々と話をさせて頂いてきたが、無着氏ほど傲慢に応対されたことは、皆無とまでは言わぬが、記憶にない。
もちろん、教育についてご指導を仰ぎたいと、最初に申し上げた。
その次に、自分の子について説明し始めて、問題児になる状況について話した瞬間に、彼は勝手に育てれば良いと言い放ち電話を切られたのだった。
あれが教育者?
既に高名な方だったが、呆気に取られ、あとに物凄く腹が立った。

電話をするまでに相当に逡巡し、知人の学校の教頭とかベテランの先生数人に相談して、無着氏に相談してみるよう助言を頂いた上で、失礼を詫びながら、電話させていただいたのだった。
それが1分も話をしないうちに一方的に切られた。
相手の都合を尋ね、了解を受けて、さてと説明を始めた瞬間だから、意味が分からない。

間違いや人違いなどは可能性はあるだろう。
あるいは、田舎者ゆえ、滑舌が悪くて聞き苦しいことはありうると思う。
以前は、大きめの音楽プロモーターから小椋佳の声質だと褒められたことがあるくらいで、今から半世紀近く前のことだから、そこまで自信をもって話が出来ていた訳では無いが、酷かったとも思わない。
最近は歳も歳なので、くどくなっていることは否定しないが、当時は30歳そこそこだったので、今ほど酷くはなかっただろう。

昔から、ワンセンテンスに盛り込みすぎると批判されることはあった。
話しする時に息継ぎが下手で、ズラズラズラ〜っと喋りっぱなしになることはある。
だが、一度もお会いしていない相手に夢中になって畳み掛けるような真似はするわけも無い。
それなりに、講師などと言う、人様の前で話す機会も少なくなかった。
そういえば、卒業式の来賓講演に招かれて、不条理として無着氏について話すことはあった。
思いもかけない場合に、他人に誤解を受けることを話したのだった。

半世紀にも渡って、埋めネタのように、雑談に笑い話としてご紹介する話題をいただいたのだから、おいしい話と言うべきだろうか?
だとしても、売れないコンサル業のようなことに、引き合いの雑談なので、これまでいただいた謝礼金の数パーセントと計算してみても、10万円に届くだろうか?
多くは、企業の立ち上げから人材募集などと、切った貼ったの修羅場の専門分野。
教育に関連するとは思えるが、雑談から一歩も出る話題でもない。
不愉快さが残るので、収支はマイナスに思う。

まま、猛獣に出会い頭に噛みつかれることも、人生にはあるのかとも思う。
目の前でむちゃくちゃにあしらわれるなら、プライドのために、白い手袋を投げつけて、決闘を申し入れることはゼロには思わない。
ヨーロッパの騎士なら、あるべき姿だと思う。
増して、サムライの心意気を持つべきだと自認する気分はあるのだ。
ご先祖さまに申し訳が立たない。

とっくの昔に、くたばっただろう?
あれ以来、半世紀も音沙汰を知ることは無かった。
そもそも、生きているステージも違い、風の便りも耳にしなかった。
そう思っていたが、憎まれっ子、世にはばかるを地で行った彼ゆえ、冥福の「め」くらいは、自分としても気持ちはある。
閻魔大王にチクるなら、天国なんか行ける奴じゃないよ。
ハリ地獄、血の池地獄、などなど。
大したことじゃないなあ?
永遠に続いても、学習したなら、逃げる手立てはありそうじゃ無いか?

そうそう、数日前に友人に「拝み屋」さんについて教えたのだった。
100人にひとり、本物がいるかどうかの巫女修行。
無着氏がどうだろうが、彼の名声で騙されたと思う方もいるだろう。
感謝する人がいても不思議ではない。
結局は、そのような存在だったと、私には思えるのである。
瀬戸内寂聴のように。


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