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徒手体操

2006年05月26日 | 男子新体操の歴史

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徒手体操
徒手体操と検索して見るとまたいろいろ出てくるね。
昭和50年台の文献では、創作徒手体操として、授業に取り入れている。
女子新体操が国際化する前は、日本では徒手体操部として、団体徒手体操選手権大会に参加している。後の新体操競技と名前が変わる。国体種目の団体徒手体操は、ラジオ体操第2が規定演技だったりしたわけだ。女子は、ヨーロッパや旧ソ連(ロシア)などで行われていたバレエやダンスを基本とした芸術体操が行われていてその大会を視察しに行った。その後、その大会に参加するために、徒手体操の演技からバレエを基本としたスタイルの女子新体操が確立されてきた。日本の徒手体操はもともと男女ともに行っていたので、男子は現在でもその徒手体操が男子新体操としての大会として存続されており、現在の個人競技の種目と合わせて新体操というようになった。
愛知県では、体操競技の大会が団体徒手体操と器械体操の合計点で争われていた時代があり、その団体徒手体操をしているチームが10以上あった時期があると聞いたことがある。それは体操の底辺を大きく膨らませていたことになったのかも知れない。
もちろん学校体育の中で器械運動という部分では、ドイツ体操が大きく影響し日本では公園には鉄棒、体育館にはマットと跳び箱がある。30年前の体操日本を支えた世代の人たちは学校体育で体操を用い、選手の底辺拡大や授業の中に多くの体操要素があったように思われる。
現在では、学校体育の種目に球技が数多くなってきており体操というカリキュラムが少なくなってきている。
今の子供たちの運動不足や体力低下などの問題も大きな問題となっている。

手具体操にしても、健康医療を目的とした棒やこん棒、リングがあり、スウェーデン体操というものがアメリカへ渡り、日本に入ったのは、筑波大の前身の明治時代のことである。これらの体操のことを軽体操とか普通体操といっていたらしい。その創始者はリングというがこのリングもその人の名前から来た語源なのかは定かでない。また、こん棒のことをインディアンクラブといっていたのは、アメリカから伝えられたものだったからのだろうかこれらの手具体操は、新体操の種目として存在しており、運動会や体育祭でもマスゲーム(集団演技)として、デンマーク体操も多くの影響を体操会に与えている。

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