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明治神宮体育大会と昭和初期のスポーツについて (平成14年8月5日 受付)
大阪教育大学紀要 第IV部 門 第51巻 第2号485~499頁(2003年2月)
おおたよりやす
太 田 順 康*
ながせ さとこ
長 瀬 聡 子**
*保健体育講座 **聖母女学院
論文より
はじめに
「明治神宮体育大会」は,オ リンピックをモデルに,大 正期から昭和初期にかけて行わ
れた総合体育大会である。
最盛期は夏,秋,冬 季あわせて23種 目が参加,戦 後の国民体育大会のモデルとも言われ
ている。このように 「明治神宮体育大会」は,戦 前の我国唯一の総合体育大会であるが,
意外にも先行研究,特 に日本体育史関係の文献にはあまり詳 しく取 り上げ られていな
い。1)これは 「明治大帝の遺徳を偲ぶ」 という開催目的そのものの政治色彩が強いこと,
後年は軍部と同調 し,軍 国化に荷担 したことなどは,ス ポーッ関係者にとっては暗い過去
でもあり総括 しきれていない問題も含んでいる。 また戦時中の出来事で もあること,戦 後
の民主化運動などから史料が消失・廃棄されている場合 もあり,史 料その ものが少なくこ
れまで報告された論文は多くない。
このような出来事ではあるが,幸 い本学図書館 に 『明治神宮体育大会報告書』や写真帳
が,第1回 大会から第13回大会 まで所蔵 されている。(第9回 が欠号)そ こで,本 研究で
は本学の蔵書を参考に 「明治神宮体育大会」の目的,実 像,意 義を明 らかにし,当 時のス
ポーッ界との関連から,その存在意義や功罪にっいて考えていく。
考察
我々が行ってきた男子新体操競技は、2008年の国体を最後に国体種目から外され休止扱いとなった。
その国民体育大会より以前に行われていた明治神宮国民体育大会にも、その種目の記録が残されていることが分かった。
国民体育大会の前身である「明治神宮体育大会」は、第1回から第13回が開催され行われていた。
大正13年にはじまり昭和18に幕を閉じた明治神宮体育大会の大会開催の記録をまとめたもの
その中に、各競技種目の開催年がまとめてある。〈(表3)神 宮大会 競技種 目および別競技 名称 の変遷〉
第2、3回に始まったのが、マスゲームであり、体操(現在の体操競技)が始まったのが第5回(昭和4年)で、
集団体操(現在の新体操)が行われたのは、第10回(昭和14年)ではないか。
体操種目の開催も行われ、体操と集団体操がある。現在の体操競技と、新体操競技である。
この集団体操こそが、我々の行ってきた男子新体操の歴史である。
一般に「戦後」という概念は、昭和20年8月15日正午の玉音放送後が、日本人にとっての戦後という理解であるならば、
この文献により男子新体操は、「戦後」から行われていたという概念が、くつがえされたことになる。
「戦前」の明治神宮体育大会の歴史から男子新体操の競技が行われていたといってよいのではないか?
となると、
「戦前の明治神宮体育大会から、現在の男子新体操競技は行われていた。」
ということになる。
昭和5年に大日本体操連盟が設立され、今の日本体操協会がある。
私は、男子新体操は、球竿、棍棒が入ってきた明治時代が始まりと考えていて、欧米のスポーツである野球やテニスなどの競技よりも歴史があると考えている。
歴史をさかのぼって大正、昭和期に来たが、明治時代にさかのぼって男子新体操を考察してみたい
どうしたら、男子新体操は日本の国技だと証明することができるでしょうか?