こころ
2008-03-09 | 本
夏目漱石の超有名な小説ですが、今まで未読でした。あ~あ。なんでこういう小説を学生の時にたくさん読んでおかなかったのかなぁ、と激しく後悔。だって、若い時にしか感じられないものってたくさんありますよね。こういうのに感動した、とか興奮したとか・・・。年をとるにつれて、経験をつむにつれて、こういう新鮮さが失われてる・・・気がする。このまま、ダラダラ年をとり続けて、私は一体どうなっちゃうんだろう、とか、ふと思ったりすると、怖くなったします。
いや、この小説を読んだから感じたってことじゃないですけどね。時々、思ったりするっていうことで。
でも、この小説、高校生のときに、教科書かなんかで、ちょっとだけ抜粋して出てきたんですよね。このときは、話の前後もわからず、こういうもんなんだと、読み流してきたけど、最初から読んでみると、こういう話だったんだ~って今初めてわかったわけです。なんか、これがもったいないなぁ~って気がして。なんで、あの時、教科書だけで満足してたんだろう。なんで、最初から読んでみたいなぁ、って思わなかったんだろう。読んでみると、全然違った感想になるのに。
もう一度、高校生の頃に戻って、教科書とかにでてくる小説をすべて制覇してみたい気持ちでいっぱいです。志賀直哉なんか最高なのになぁ。あの時は何も感じなかったけど。あの時、ちゃんと読んでればどんな感想を持ったのかなぁ、ってすごく気になります。きっと、今とは違った感想だったんだろうなぁ。
学校の国語教師も、小説の授業のときは、ちゃんと生徒に教えてあげればいいのに。最初から読んでみると面白いぞって。記憶の中に、一度も教師に「最初から読んでみたら」といわれたことがない。これってすごいもったいないことだと思うな~。ゆとりとかどうとかじゃなくて、何もしらない子供達に、強制ではないにしろ、なにかきっかけや興味を持つようなアドバイスをしてくれてもいいのになぁ。
って、本の感想とはかけ離れてしまいましたが。
素直に本の感想に行きましょう。
いまの私の腐った頭では、先生と主人公の「わたし」がどうしてもただならぬ関係に思えてしょうがない。Kと先生もね(笑)だって、私の中では、先生は完全に、『絶望先生』の糸色望だし、「わたし」は久藤君だし、Kは一旧さんだし(笑)先生総受けってことで。ほ~ら、今の私はとても正常な頭じゃないのさ。
先生は妻という最愛のものを得るために、人間として尊いもの、友情や理性を投げ出してしまって、「わたし」に会うことによって、だんだんそれが甦ってきて、最後には・・・みたいになってしまったと思うんですよね。
一部は先生と「わたし」の出会いと、親交。二部は「わたし」が故郷に帰って、病気の父親の死に際にいる場面。三部は先生の遺書になっています。
最初に先生の人柄の奥に隠された秘密にひかれ、いったん先生から離れて、最後に先生のひみつを告白される、という構成が面白いです。
先生が「わたし」に慕われまくってるのに萌ます(笑)いや、まったくそういう小説ではないんですけど、昔の小説って結構、こういう内容が多いんですよね。師弟で傾倒しあってるっていうか。同性の繋がりが強いんですよね。昔の方がそういうのに寛容だったのも・・・って思っちゃったりして。インテリにはゲイが多いって言うじゃないですか~。昔、小説を書くって言うのは、相当インテリで金持ちじゃなきゃできないことじゃないかな、って思うと、自然とそういう匂いがしちゃうのも当然じゃないかな、と。
話がそれましたが、先生や「わたし」の心情が深く描かれていて、題名どうり「こころ」が描き出されている小説でした。なんかうまく感想がかけませんでしたが・・・。この時代のこういう小説って、作家と登場人物が少なからず、シンクロしてる部分があって、原因があって結末がある、っていう推理小説みたいなはっきりしたものがないので、感想が書きにくいんですよね~。まぁ、そういう作家の思想みたいなものが、色濃く出てる作品は、人によっていろいろ解釈できるところが魅力だったりするんですけどね。作家のことを知れば知るほど、小説が面白くなるところもあるし。
また夏目漱石関連の小説を読んでみたいです。今度は、友達に借りたちょっと社会派かな~っていう現代小説を読むつもりです。
いや、この小説を読んだから感じたってことじゃないですけどね。時々、思ったりするっていうことで。
でも、この小説、高校生のときに、教科書かなんかで、ちょっとだけ抜粋して出てきたんですよね。このときは、話の前後もわからず、こういうもんなんだと、読み流してきたけど、最初から読んでみると、こういう話だったんだ~って今初めてわかったわけです。なんか、これがもったいないなぁ~って気がして。なんで、あの時、教科書だけで満足してたんだろう。なんで、最初から読んでみたいなぁ、って思わなかったんだろう。読んでみると、全然違った感想になるのに。
もう一度、高校生の頃に戻って、教科書とかにでてくる小説をすべて制覇してみたい気持ちでいっぱいです。志賀直哉なんか最高なのになぁ。あの時は何も感じなかったけど。あの時、ちゃんと読んでればどんな感想を持ったのかなぁ、ってすごく気になります。きっと、今とは違った感想だったんだろうなぁ。
学校の国語教師も、小説の授業のときは、ちゃんと生徒に教えてあげればいいのに。最初から読んでみると面白いぞって。記憶の中に、一度も教師に「最初から読んでみたら」といわれたことがない。これってすごいもったいないことだと思うな~。ゆとりとかどうとかじゃなくて、何もしらない子供達に、強制ではないにしろ、なにかきっかけや興味を持つようなアドバイスをしてくれてもいいのになぁ。
って、本の感想とはかけ離れてしまいましたが。
素直に本の感想に行きましょう。
いまの私の腐った頭では、先生と主人公の「わたし」がどうしてもただならぬ関係に思えてしょうがない。Kと先生もね(笑)だって、私の中では、先生は完全に、『絶望先生』の糸色望だし、「わたし」は久藤君だし、Kは一旧さんだし(笑)先生総受けってことで。ほ~ら、今の私はとても正常な頭じゃないのさ。
先生は妻という最愛のものを得るために、人間として尊いもの、友情や理性を投げ出してしまって、「わたし」に会うことによって、だんだんそれが甦ってきて、最後には・・・みたいになってしまったと思うんですよね。
一部は先生と「わたし」の出会いと、親交。二部は「わたし」が故郷に帰って、病気の父親の死に際にいる場面。三部は先生の遺書になっています。
最初に先生の人柄の奥に隠された秘密にひかれ、いったん先生から離れて、最後に先生のひみつを告白される、という構成が面白いです。
先生が「わたし」に慕われまくってるのに萌ます(笑)いや、まったくそういう小説ではないんですけど、昔の小説って結構、こういう内容が多いんですよね。師弟で傾倒しあってるっていうか。同性の繋がりが強いんですよね。昔の方がそういうのに寛容だったのも・・・って思っちゃったりして。インテリにはゲイが多いって言うじゃないですか~。昔、小説を書くって言うのは、相当インテリで金持ちじゃなきゃできないことじゃないかな、って思うと、自然とそういう匂いがしちゃうのも当然じゃないかな、と。
話がそれましたが、先生や「わたし」の心情が深く描かれていて、題名どうり「こころ」が描き出されている小説でした。なんかうまく感想がかけませんでしたが・・・。この時代のこういう小説って、作家と登場人物が少なからず、シンクロしてる部分があって、原因があって結末がある、っていう推理小説みたいなはっきりしたものがないので、感想が書きにくいんですよね~。まぁ、そういう作家の思想みたいなものが、色濃く出てる作品は、人によっていろいろ解釈できるところが魅力だったりするんですけどね。作家のことを知れば知るほど、小説が面白くなるところもあるし。
また夏目漱石関連の小説を読んでみたいです。今度は、友達に借りたちょっと社会派かな~っていう現代小説を読むつもりです。