21世紀のデカメロン Decamerone del duemila

映画と世界史のあれこれ


植村 GIulio 光雄

70.孔子の教え

2011-11-24 | 映画

 映画「孔子の教え」は,まるで孔子の思想を紹介する教育映画みたいなタイトルですが,ちゃんと孔子の生涯を描いたドラマで,原題は単に「孔子」です。
孔子を演じるのは,「アンナと王様」でタイのラーマ4世を演じ,「パイレーツ=オヴ=カリビアン/ワールドエンド」にも出演して世界的俳優となったチョウ=ユンファです。
 物語は,ほぼ「史記」の孔子世家に書かれている孔子の生涯を描きますが,各所で映画ならではの脚色が加えられています。
 孔子は「史記」にある通り,老子に会って別れに際して言葉を贈られます。もちろん史実ではないでしょう。老子の思想は孔子や儒家の思想への批判を含んでおり,老子はつねに老人として描かれますが,孔子よりのちの人物だろうと思われます。その思想は,おそらくさまざまな人の思想を一人の人物のものとしてまとめ上げたものでしょう。映画ではそのあたりを考慮してか,老子との出会いは孔子の思い出の幻想的な場面として描かれています。
 悪女とされる衛の霊公夫人の南子は,実は鋭く孔子の苦悩を理解していたことになっています。「史記」の記述では,ただ誘惑しようとしたらしいことがほのめかされているだけです。最近の映画やドラマなどでは,歴史上の女性に新たな解釈を加えて重要な役割を与えることが多いですね。従来の歴史に登場するのは男性ばかりなのは,もちろん男性中心の世界観によって構成されたものだからです。
  また,「史記」では夾谷の会談で孔子は機転を効かし,主君の危機を救うとともに相手の面子も守ることによって交渉を成功させました。しかし,映画では牛車が立てる砂埃と,驚いて飛び立つ鳥で,相手にこちらも軍を配備していたと誤解させるのです。これは少しやりすぎですね。孔子の教えと矛盾が起こりそうです。
  孔子は,仁と礼を強調しました。仁とは一言で言うと真心であり,その真心があってこそ社会生活のルールである礼もうまくいくと考えたのです。これは親や年長者への尊敬である孝悌,自分や他人への誠実さである忠恕と説明されます。その孔子が,いくら主君を助けるためとはいえ,相手をだます策略を使うことを潔しとするとは考えられません。
 「三尺下がって師の影を踏まず」という言葉があります。これはまさに仁と礼の関係を表した言葉です。弟子が先生を尊敬しているから,先生の影を踏むのももったいないとして三尺下がって歩いたというのです。それはあくまで弟子の側の問題であって,決して先生が前を歩きながら,弟子に対して「オレは偉いのだ。だからお前たちは影を踏んではならんぞ」と言う訳ではありません。しかし,この言葉の出典が,すでに江戸時代の寺子屋の教科書であることでもわかるように,先生すなわち支配者に都合の良い道徳です。中国では前漢の武帝時代に儒学が王朝公認の学問すなわち官学とされ,日本でも江戸時代に受け入れられることになった理由はこのあたりにあります。
 1970年代,プロレタリア文化大革命の時代に孔子と儒教思想は「批林批孔」で徹底的に批判されました。毛沢東を暗殺しようとした林彪への批判と,孔子への批判がなぜ一緒になるのかよくわかりませんが,「批孔」には当時の首相周恩来を追い落とそうという意図があったそうです。
 それにしても,なぜ日本語タイトルは「孔子の教え」にしたのでしょうか。原題通りの「孔子」や「孔子の生涯」ではなく。

孔子の教え [DVD]
クリエーター情報なし
アミューズソフトエンタテインメント
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 69.1911 | トップ | 71.サルトルとボーヴォワール »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

映画」カテゴリの最新記事