21世紀のデカメロン Decamerone del duemila

映画と世界史のあれこれ


植村 GIulio 光雄

73.釈迦(1961)

2015-10-11 | 映画
 「釈迦」は,仏教を開いたガウタマ=シッダールタ,すなわち釈迦の物語です。釈迦は出身部族の「シャカ族の聖者」という意味の釈迦牟尼を略した名です。また,仏陀ということもありますが,それはこの映画の中でも使われるように「悟りを開いた者」の意味です。
 製作は,今から54年前の1961年です。ハリウッドで前年に「ベン=ハー」,同年に「スパルタクス」の2本の古代ローマを舞台にした歴史大作が公開されており,それに対抗して日本で作られたオールスターキャストの大作です。ただ,全体に画面に出てくる群衆や兵士などの人数が少なく,宮殿や岩などがいかにも張りぼてに見えます。制作費は5億円とも7億円ともいわれていますが,「ベン=ハー」は54億円でした。
 オープニングのクレジットには,往年の映画スターの名が並びます。その順番なのですが,市川雷蔵,勝新太郎,本郷功次郎と,主役の釈迦を演じる本郷功次郎が3番目になっています。この映画では,釈迦は悟りを開いたあとは,シルエットと声しか出てきません。画面に出てくる時間が少ないのです。それはそうとしても,初めから最後まで画面に出てくる,悪役ダイバ=ダッタ役の勝新太郎が2番目で,一エピソードの登場人物に過ぎないアショーカ王の子クナラ役の市川雷蔵がトップなのです。市川雷蔵と勝新太郎は当時の大映の二枚看板でしたが,市川雷蔵の方が格が上だったのでしょう。男優は市川雷蔵,勝新太郎,本郷功次郎,川口浩はすでに亡くなっています。それに比べて女優は山田五十鈴は亡くなりましたが,京マチ子,山本富士子,月丘夢路は存命で,中村玉緒はバリバリの現役でテレビに登場しています。
 さて,映画でも悟りを開いたあとの釈迦はシルエットでしか登場しませんでした。実際にも仏教では,もともと釈迦の姿を絵に描いたり像に刻んだりはしませんでした。イスラーム教でも,開祖ムハンマドの姿はほとんど絵に描いたり,像に刻んだりはしません。例外的にミニアチュールに描くことはありますが,その場合は顔に覆いをすることになっています。それはムハンマドは神ではなく預言者に過ぎないからです。
 仏教の場合は,その教え自体が他者に祈るものではなく,自ら悟りを開くために修行するものだったことが原因です。アショーカ王時代のサーンチーの仏塔を実際にインドまで見に行ったことがありますが,日本の鳥居のような形をした門にはびっしりとレリーフが彫られていましたが,仏陀の姿はどこにもありませんでした。
 以前にも書きましたが,西北インドに住んでいたギリシア系の人々に仏教が広がると,彼らは自分たちの習慣から釈迦の像を造ってしまったのです。こうして仏像が造られ,拝むようになりました。そして,仏教はヒンドゥー教に押されてインドでは衰退します。ヒンドゥー教のビシュヌ神はよくいろいろなものに変身する神様で,釈迦もビシュヌ神の変身したものだということになりました。
 そこで仏教は東南アジアや中国・朝鮮,そして日本に伝わって発展しました。日本ではさかんに仏像が造られ,元々インドの言葉で書かれたものを中国語に訳した仏典を,そのまま漢字で音読みしているのが,いわゆる一般的なお経です。もちろん,宗教は歴史的に変遷していくものですが,もし釈迦が今の日本の仏教を見たら驚くでしょうね。
 私は信仰心はありませんが,それでも仏像は大好きで,とくに京都の三十三間堂の千一体の千手観音には心を奪われます。私には,地球の危機(日本の,ではありません)が訪れたら,突然カシャーン・カシャーンと起動して,地球を守るために次々と飛び立つドローンのように思えて仕方がありません。作られた当時の意識は,意外とこれに近かったのではないでしょうか。
釈迦
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