21世紀のデカメロン Decamerone del duemila

映画と世界史のあれこれ


植村 GIulio 光雄

47.COMANDANTE(コマンダンテ)

2007-06-29 | 映画

 「COMANDANTE(コマンダンテ)」は,キューバの最高指導者フィデル=カストロにオリバー=ストーン監督がインタビューを行ったドキュメンタリーです。

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 現在は闘病中のカストロも,この映画が撮られた2002年には元気で,カーキ色の軍服で現れます。どこにでもあるデジタル時計(ブランドは不明)を腕にはめ,そして意外にもナイキのシューズを履いています。
 インタビューは3日間のべ30時間以上にわたり,3台のハンディカメラで撮った映像はつねに揺れています。オリーバー=ストーンは,可能な限り密着してインタビューしようと,移動のさいもカストロと体をくっつけるように車に乗りこみます。映像も,まさにレンズがカストロの顔にくっつくかと思われるほど「寄り」で撮っています。みんなが知りたがるゲバラとの話や,キューバ危機の事情,さらに2000年に起こったキューバ人少年のアメリカから本国への送還事件なども話題に上りますが,とくに新しい話が出たわけではありません。ただし,すでに知っている情報でも,当事者,しかもカストロの口から聞くと重みがあります。また,さすがにカストロ,話をそらすのも上手です。独裁者かどうか聞かれ,「私は自分自身の独裁者であり,国民の奴隷だ」と,まるでプロイセンのフリードリヒ2世のようなことを言います。
 オリバー=ストーンのインタビューは個人的な話題にも踏み込み,好きな映画や俳優を聞かれたカストロは,ハリウッド映画の「グラディエーター」や「タイタニック」をビデオで見たこと,女優ではソフィア=ローレンやブリジッド=バルドーが好きだったこと,そしてチャップリンの映画はもう一度見たいなどと答えます。女性関係については,答える義務はないと考えていると言いますが,それでもオリバー=ストーンのバイアグラのジョークには,笑いながらつきあってくれます。

訪問先の学校や路上では,学生や市民に「コマンダンテ」「コマンダンテ」と呼びかけられ,握手を求められるシーンが出てきて,カストロがいかにキューバの人々に愛されているかわかります。
 しかし,日本などでは,同じキューバ革命を戦った同志ゲバラの方が圧倒的に人気がありますね。その理由は,第一にもともとゲバラがハンサムであったことがあげられるでしょう。
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 最近,ゲバラの死からわずか2年後につくられた映画「革命戦士ゲバラ!」がやっとDVDになりました。ゲバラを演じているオマー=シャリフは確かによく似せていますが,やはり本物には及びません。そして,理由の第二は,ゲバラは革命家のまま死んだけれど,カストロは革命家から政治家にならねばならなかったことがあげられます。革命家は純粋に革命をめざせばいいけれど,政治家は現実と妥協しなければなりません。
 実はわたしの殺風景な部屋にも,ただ一枚,ゲバラの写真が飾ってあります。そして,下の写真はわたしが撮った,ゲバラとカストロの,想像上の再会の場面です。

「やあ,たいへんだったね」

「そうなんだよ。あのね…」

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46.女帝(エンペラー)

2007-06-24 | 映画
 「女帝(エンペラー)」は,シェークスピアの有名な悲劇「ハムレット」を,舞台を中国の五代十国時代に移して,描いています。時代設定を,あえて五代十国としたのは,唐が滅んだあとの混乱時代で,皇帝を殺してその弟が即位するという物語にふさわしいと考えたのでしょう。また,当時は北方に契丹の遼という強国があり,原作のデンマークとイングランドの関係に置き換えやすかったからとも考えられます。するとこの国は,五代のうちでも契丹の援助を受けて建国し,契丹に滅ぼされた後晋あたりが想定されているのでしょうか。
 皇妃ワンと皇太子ウールアンは,「ハムレット」のように本当の親子ではなく,ワンは昔ウールアンの恋人でした。ところが,ウールアンの父である皇帝と結婚させられ,さらにその皇帝を殺した皇帝の弟,ウールアンからいえば叔父のリーの妻となったという設定です。そして,物語は,ハムレットにあたる皇太子ウールアンではなく,皇妃ワンを中心に展開します。彼女は,最初は愛するウールアンの身を守るため,リーに身を任せますが,その性的な魅力にも惹かれています。最後にリーが毒杯をあおいで死ぬと涙を流し,ウールアンが剣に塗られた毒でやはり命を落とすと,やはり涙を流します。しかし,その後,彼女は自ら皇帝に即位しようとします。
 また,「ハムレット」ではハムレットに愛を告白されたオフェーリアは,父親の宰相ポローニアスにたしなめられて父の言いつけに従うと誓います。ところが,ハムレットの悩みをオフェーリアへの恋がうまくいかないからだと考えた父が命じると,今度はハムレットに近づきます。そして,ハムレットに冷たくされ,さらに誤って父を殺されると,入水自殺をしてしまうのです。このように,オフェーリアは運命に翻弄される弱い女性でした。しかし,「女帝」でオフェーリアにあたるチンニーは,父に婚約の破棄を迫られようが,ウールアンが皇妃ワンを愛していようが,ひたすらウールアンの孤独を慰めようと献身的な愛を貫きます。最後に毒を飲んで死ぬとき,ウールアンの腕のなかで「まだ,寂しいですか」と聞き,「お前がいるから寂しくない」という言葉に満足して死んでいきます。ところで,なぜ「女帝」を「エンペラーemperor」と訳したのでしょう。普通は「エンプレスempress」ですよね。念のため「empress」を英英辞典で調べると,「wife of an emperor(皇帝の妻=皇后) ;female ruler of an empire (帝国の女性支配者)」となっていました。「エンプレス」では「皇后」のイメージが強いからでしょうか。あるいは男たちを,結果的にみんな殺して皇帝の位についたため,あえて「エンペラー」なのでしょうか。ただし原題は「夜宴(banquet)」です。
 「ハムレット」といえば,慶応大学は,商学部の世界史の入試問題で,「シェークスピアの作品のうち『生きるべきか死ぬべきか,それが問題だ(To be or not to be : that is the question.)』という名せりふが記されている作品のあらすじを,60字以内で述べなさい」というのを出題し,受験生を驚かせたことがあります。世界史の入試問題では,普通は「…作品名は何か」です。「あらすじ」は世界史の入試問題では酷ですよね。

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45.300(スリーハンドレッド)

2007-06-06 | 映画
 「300(スリーハンドレッド)」は,紀元前480年ペルシア戦争中のテルモピレーの戦いで全滅したスパルタ軍を描いた映画です。
 テルモピレーとは「熱い門」(映画の中では“hot gate”と言っています。途中に温泉が湧いていたそうです。)を意味し,海岸に山が迫った狭い通路で,スパルタ軍が数の上で圧倒的に優勢だったアケメネス朝ペルシア軍をここでくい止めようとしたのです。しかし,裏切りにあって抜け道をペルシア軍に知られ,結局レオニダス王に率いられた300人のスパルタ軍は全滅しました。この勇敢なスパルタ軍の話はギリシアに広まり,ギリシア側はサラミス海戦で勝利し,映画の最後に出てくるプラタイアの戦いにも勝利して,ペルシア軍を撃退することに成功したのでした。
 原作は,「シン・シティ」でも知られるフランク=ミラーのグラフィック・ノベルすなわちコミックです。 映画はその原作に忠実に作られたようで,スパルタ兵士たちが,兜を被ってマントをまとい,スネあてまでつけているにもかかわらずパンツ1枚なのは,原作の設定です。もちろん,本当のスパルタ兵は重装歩兵として鎧はつけていたはずです。映画の冒頭,レオニダス王の思い出としてスパルタの厳しい掟が示されます。すなわち,子供が生まれるとすぐに選別されて病弱な子供は山に捨てられ,さらに7歳になると親から離され,戦士として厳しい訓練が施されます。これは,いわゆるスパルタ教育として有名ですが,スパルタというポリスの特殊な事情が背景にありました。古代ギリシアには,多くのポリスという都市国家が成立していました。ポリスはもともと外敵から自分たちのポリスを守る戦士共同体でしたが,スパルタは先住民を征服して成立したポリスで,自分たちスパルタ人の何倍もの人数の自由を制限されたペリオイコイと呼ばれる人々たちや,何十倍もの農奴のようなヘイロータイを支配していたのです。だから,スパルタの場合,他のポリスのように外敵に備えるだけではなく,自分たちが支配しているペリオイコイやヘイロータイの反乱などにも備えなくてはなりません。他のポリスの市民たちは,農業に従事しましたが,スパルタの市民たちはペリオイコイに商工業を,ヘイロータイに農業をやらせ,自分たちはひたすら戦争だけを行う戦士だったのです。スパルタの厳しい教育はこのようなスパルタの特殊な事情から生まれたのであり,ただ厳しくすればいいというわけではありません。それだと,昔私たちが中学生や高校生の時にいた,脳味噌まで筋肉のような体育教師のようになってしまいます。だから,この映画の中でスパルタ兵士たちは「自由を守るため」と戦いを正当化しますが,それは支配者としてのスパルタ人の自由でしかありません。ギリシアの他のポリス,たとえば民主政治で有名なアテネでさえ,もちろん奴隷制をもっていました。また,ペルシアの使者が来たとき,「アテネの男色の哲学者」といってアテネを馬鹿にするセリフが出てきます。それはプラトンの「饗宴」のなかで,ソクラテスが愛(エロス)について少年への愛を論じているあたりをさしているのです。
 ただし,古代ギリシアで同性愛は普通のことであり,むしろ男性の同性愛はスパルタに多かったそうです。それにしても,この「300」という映画のタイトルは何とかならなかったのでしょうか。配給側も,それはわかっていたようで「スリーハンドレッド」と読ませていますが,ギリシアの物語に英語でタイトルつけてもピンときません。「テルモピレー」か「スパルタ」でよかったと思うのですが,許可されなかったのかも知れませんね。

300 (字幕版)
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