私は貝になりたい(2008年版)

2011年01月07日 | 映画
『私は貝になりたい』
2008年公開の邦画。
見た日:2011年01月07日 (2回目)
ジャンル:戦争もの、家族もの、人生とは
感想:終戦の日前後にまた見たい。
人生のアップダウンを3回。いや、散髪屋の親方から駆け落ちしたときから数えると4回。

清水豊松:中居正広
清水房江:仲間由紀恵
西沢卓次:笑福亭鶴瓶

感想:
初めてみたときもDVDだった。たしか2009年ころ。
今回2回目、結末を知っている分、"change block"(死刑囚収容棟から一般の監房への移動)を言い渡されたときのみんなの反応が、悲しい。看守たちはどういう気持ちだったのだろう。自分が悪者になりたくないとか、みんなをがっかりさせたくないとか、いろんな気持ちで結局ウソをついたのだろう。看守たちも彼のことが好きだった。でも彼らも仕事なのだ。豊松が上官の命令で、アメリカ兵捕虜を殺そうとしたのと、看守である彼らが豊松を絞首刑にすることとは、結局同じ。違いは裁判(所詮戦勝国の軍法会議だが)を経たかどうかと命令書があるかどうか。B29から落下傘で脱出した米兵を処刑することが悪いと知りながらそれに立ち会ったのか、もしそうなら、なぜ上司に反論しないんだ と裁判で言ってたが、じゃあ、看守はもし豊松に非がなく、再審すれば判決がひっくり返ると確信しているとしたら、死刑執行を止めるべきだったのか。紙の命令書というエビデンス(後日さまざまな証明となる書類)があれば何やってもいいのか。
相手を個人としてどう思っていたかどうかについて、彼らは日本を爆撃し、多くの建物を破壊し、日本人を殺戮したが、もちろん志願兵もいたが、それも一種の仕事だった。
国家が戦争すると、このように個人の気持ちや考えは踏みにじられるのだ。

(マイケルムーアの華氏911でアメリカの志願兵は、そもそも所得の低い層で教育程度があまり高くないところからの出が多いという問題を指摘していた。マイケル・サンデル先生も著書志願兵についての議論をしてましたね。

また、自分に子供ができてから見るのとその前とではやはり実感が違う。
もしあの時代に自分が生きていたら、もしかしたら彼のような状況に置かれたかもしれない。そうしたらやっぱり悲しいよ。。

あらすじ
赤紙で召集されて、死の危険がある兵役にはいり、上官にしごかれ続けた戦争が終わり、散髪屋を奥さんと営んでやっと平和な生活が戻りつつあった矢先の逮捕。一方的な軍事法廷での裁判、そして、死刑判決。刑務所にいれられた時は、なんでそうなったのかを受け止められない気持ちと、同じ牢の大西三郎(草剛)が次の日の朝に執行されたのとで非常に絶望する。同じく死刑囚となった軍の上司である矢野中将(石坂浩二)からは謝罪の言葉と、この件は自分だけに責任があり部下は無罪であるという信念を聞き、少しお互い心を開くことができたが、そのあと彼も死刑執行されてしまう。その後、奥さんと子供2人が訪ねてきたころから少しずつ生きる希望を見出していく。再審請求の嘆願書集めに奔走する房江。目標の200通が集まり、また講和条約締結後には巣鴨プリズンがなくなり、戦犯自体も恩赦で釈放されるのではないかという話まで聞こえてきた矢先の、"change block"。そして、実は釈放ではなく、執行。ここで、もう一度希望から絶望のどん底へ突き落とされる。

何も知らずにひたすらお父ちゃんを待って、たくましく生きる房江と近所の人、ちょっとずつ成長していく子どもたちの描写がより悲しさを誘う。

中居正広、仲間由紀恵、はまり役だったと思う。
仲間由紀恵さんはもう魔性とかいわずに、この路線でいけばいいのではないでしょうか。
音楽がかっこいいと思ったら、やっぱり久石譲でした。
最後のミスチルの歌は不要。雰囲気壊れた。
久石譲BGMのエンドロールで締めてほしかった。

彼らの家の近くにあるとされる、たびたび出てくる緑でおおわれた断崖絶壁はどこだろうとみると、
隠岐がロケ地らしい。