年賀状を整理していたら オリンピックの時には 是非一処にとか 泊まらせて
とかいう文面が4,5通あった
えっ あと6年 生きているかしら 家族は笑って100までは、、、と言う
考えてみると 私は今まで2回オリンピツクに出会っている
1回目は小学校2年生の時だったと思う
ドイツ ベルリンで行われた
オリンピックのために 父が電蓄を買ってくれた その頃
ラジオのある家もあまりなかつた時代である
当日は親類や ご近所の方もいらっして 客間の四角い大きな電蓄の前できいた
ラジオ放送を今でも覚えている
水泳の 前畑嬢が 世界1になった時の アナウンサーが
勝った 勝った 前畑勝った 勝った と叫び皆泣いて喜んだ
その後 こんな歌が流行り未だに覚えている
負けた ゲネンゲル (ドイツの女子水泳選手)優しく抱いて夢をみるような やさしい 彼女 (前畑さんのこと) マラソンの孫(そん)選手もすばらしかった 皆万歳万歳で大変だった そして 敗戦後の東京オリンピック この頃 まだ若く貧乏でテレビは未だ無く 聖火台だけ見て満足していた やはり 水泳がすばらしかった 生活が大変だったので あまり覚えていない そして2020年 オリンピックを3回みられる幸せものになれるでしようか、、、、、