『みんなのお寺』 ブッダによる幸せの種がまかれた園

宗派を超え、国境を超え、時を超えて、仏教・ブッダの教えの真理に触れる事の出来る幸せの精舎を目指す『お寺』です

仏法広まりますように

2007年11月29日 | 修行日記

Mr.・・・さん、コメント有難うございます

ブッダの智慧を広めるためのさらなる励みになります

ブッダの智慧がご家族の皆様に幸せをもたらしますように


合掌

以心伝心の花

2007年11月28日 | 修行日記
空間を超え、時間を経て、私が美しいと思った心が伝わったのならば

まさに

以心伝心ですね

心をもって、心を伝える

言葉でも、文字でも、絵でも、写真でも、表情でも、ゼスチャーでも、伝える手段はたくさんありますが

要は心の意図するところを伝えるためにそれらの手段を使っているだけなんですよね

肝心かなめは、心を伝える

仏の心を伝えるのが私の仕事です



合掌

禅定②下

2007年11月26日 | 修行法 『戒・定・慧』
心という器には五つのふたがあります

① 貪欲のふた
② 怒り・悪意のふた
③ 心が沈む・眠気のふた
④ 心がそわそわする・後悔のふた
⑤ 疑いのふた

この五つのふたがそれぞれの悪感情を心に閉じ込め、心の汚さを保たせるのです

煩悩であり、悪魔であるものです

悪魔はマーラといって(殺すもの)という意味です

マーラという言葉が中国で魔という漢字になり、それに悪を付けて悪魔となったのです

怖ろしい悪魔・煩悩の心を閉じ込めている蓋(ふた)がある、とは面白い発想ですね

仏教界ではその五つのふたを五蓋と言います

これら五つの蓋を心から外しておけば、心の悪感情がとどまらないという事です

そのため、心が静まった状態にして、これらの蓋を外し、それらの感情を捨離します

先に示したお経にあるように

「世間に関する貪欲を捨て(捨)、貪欲の消えた心をもって生活し(離)、貪欲から心を浄めます」

このように、五つの蓋を次々に捨離していきます

そして五つの蓋が無くなって、煩悩が捨離された瞬間『欲界』を超えるのです

欲の世界にいることすら気付かない日常の中で、この欲界を一瞬でも超えれば、ブッダが説いてくれている覚りの大切な意味・素晴らしさが実感できるのではないでしょうか

さらに覚り・涅槃(ニルバーナ)に入る為には三つの世界を超えなければいけません

一番低い世界が、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天人の住む欲界です

二番目が色界、物質のみの世界です

三番目が無色界、物質も存在しない世界です

このように瞑想の中で欲界を超え、次に色界に入っていきます



弥生さんへ

2007年11月26日 | 修行日記
きれいな花だったでしょ

私も散歩中に撮った花だったので名前はわかりません

そのうちわかる時が来るかもしれませんね

誰か知りませんか?

禅定②上

2007年11月25日 | 修行法 『戒・定・慧』
「かれは、世間に関する食欲を捨て、貪欲の消えた心をもって生活し、貪欲から心 を浄めます。悪意と怒りを捨て、悪意のない心をもって生活し、すべての生き物 を益し、思いやりの気持ちをもって、悪意と怒りから心を浄めます。沈鬱と眠気 を捨て、沈鬱と眠気から離れて生活し、光明を想起し、注意力と明瞭な意識を身 につけ、沈鬱と眠気から心を浄めます。心の浮動と後悔を捨て、落ち着いて生活 し、内に平静な心をもつ者は、心の浮動と後悔から心を浄めます。疑うことを捨 て、疑いを脱して生活し、もろもろの正善なる教えに対する疑いのない者は、疑 いから心を浄めます。」


それでは瞑想に入ります

まず瞑想を始めるには心の中の感情の動きの波をすべて静めていくことが大切です

しかし私たちは心の中の感情の波の現れ出る所も、その行き着く所も見出すことができません

感情の波の正体をも知らないのです

でもその感情の波が不意に治まった時に心を一点に集中すると、我々はとんでもない力を発揮することができます

しかしそれは一過性のものです

ブッダはその感情の波の正体を我々に提示し、その感情の波を抑え心を集中させる方法を以前に用意してくれていました

① 高貴な戒めで心を清らかに保つことで、自己の感情の汚い部分を浮き彫りにしていく

② 感覚器官の制御により堅固(けんご)な門によって外から入ってくる悪感情の波を防ぐ

③ 正念によって自分を客観的に眺める能力を身につけることで、自分の心の中の感情の波に気付き、そして抑える

④ 高貴な満足によって、少欲知足を身に付け貪りの荒波のもとを生み出さない

これらを出来るだけ詳細に順に座りながら心の中で観想していくことによって、心の中の悪感情の波が治まっていきます

美しく清らかで透きとおった波立つことのない湖のように、できるだけ心を落ち着かせていきます

その状態になって初めて、心にかぶさっている五つの悪のふたを取り除くのです

続く・・・・・

禅定①

2007年11月23日 | 修行法 『戒・定・慧』
「かれ(修行僧)は、この高貴な一連の戒を身につけ、この高貴な感覚器官の制御 を身につけ、この高貴な注意力と明瞭な意識を身につけ、この高貴な満足を身に つけて、森・木の根元・山・峡谷・洞窟・墓地・薮地・露地・積んだ藁といった 人里離れた寝起きの場所に親しみます。そしてかれは托鉢から戻り食事の後、両 足を組み身体をまっすぐにし、面前に注意力を集中して坐ります。」


これまでに述べた『戒』によって身につけた、高貴な『行』を心に保ちながら、仏教瞑想に入っていきます

行を保ち、場所を選び、坐り方を示してくれているお経です

戒定慧の修行法②③で見つけた事柄を身につける?

身に付けるって言われると服や帽子など物質的な物かと思いがちですが、仏教では心的な部分を物質とはっきり線引きをしない傾向があります

『唯識』なんかになるとこの世に存在するすべての物質を自己の心が創り出したもの、という極端な考えまで出てきます

余談ですが一世を風靡した「マトリックス」という映画を作った人は仏教の唯識から影響を受けて、映画を作ったという事です

いま眼に映る世界全てを自分の心が作り出したもの、という見方はまさに唯識そのものです

話は戻りますが、戒・感覚器官の制御・注意力と明瞭な意識・満足を身に付けるとは、心に付けておく、心にできる限り常に念じ、日常生活の中で実行しておくという事です

次に場所ですが、森・木の根元・山・峡谷・洞窟・墓地・薮地・露地・積んだ藁といった人里離れた場所に座する場所を見つけるのはなかなか難しい事です

できる限りそれに近い場所を選べたらと思いますが、とりあえず雑念が入りにくい場所を選べたらいいと思います

自分の部屋でやる場合は、電気を消しカーテンを開けて外光を入れる・気が散りそうな物が視界に入らないよう整理しておくなどの工夫も有効だと思います

坐り方ですが、あぐらをかき背筋を伸ばすだけでいいと思います

時間帯は特に選びませんが、私は早朝や、寝る前にするように心がけています

持続時間は気にしなくてもいいと思います

ブッダの智慧の学びが進むにつれて、徐々に延びていくと思います

以上の事を文頭に示したお経に沿って瞑想を始めていきます

智慧の共有による歓び

2007年11月23日 | 修行日記

仏教ファンさん、ありがとうございます

ブログを書き続ける励みになります

ブッダの智慧を共有できることは誠に嬉しい限りです

改めてブッダの智慧を念頭に置きながら精進していきたいと感じた次第です

すべての問題を解決する方法

2007年11月19日 | 社会への提案

① 問題は何か

② 問題の原因は何か

③ 問題が解決している状態を想定する

④ 問題が解決している状態になる為の道を歩む


四聖諦(ししょうたい)というブッダの教えです

ただこれだけを見つめて実行すれば、すべての問題は解決します


野良猫の食事

2007年11月15日 | 修行日記

一皿のえさをみんなで食べている野良猫たち

お参りにいった先の奥さんがエサをあげているそうで

エサをあげているうちに猫が増えていったそうです