注意力と明瞭な意識
(正念・サティ・ヴィパッサーナなどの名称で知られている、今自分がしている事を客観的に気付いている状態を保つ学び)
「修行僧は進むにも退くにも、明瞭な意識をもって行動します。前を見るときも、後を見るときも、明瞭な意識をもって行動します。腕を曲げるときも、伸ばすときも、明瞭な意識をもって行動します。大衣を着け、鉢をもち、通常衣を着けるときも、明瞭な意識をもって行動します。食べ、飲み、噛み、のみ込むときも、明瞭な意識をもって行動します。排便・排尿するときも、明瞭な意識をもって行動します。歩き、立ち止まり、坐わり、眠り、目ざめ、語り、黙するときも、明瞭な意識をもって行動します。」
このブッダの教えを守り、今の瞬間の自分の体の動き・心の動きに気付き続ける事で自分の感情に支配されなくなっていきます
人間はいったん感情的になってしまうと自分を見失いやすくなります
そして後から、しまった!と思う事でもやってしまい、後悔しても後の祭りということがよくあります
私自身、正念を入れ続けようと普段から気をつけているのですが、油断するとすぐに正念が入らなくなり自分の感情の奴隷になってしまうことがあります
そしてふと気づくと、しまった!と思う事をやってしまっているのです
しかし感情的になっている時でも、自分の心の状態に客観的に気付くことができるとその感情をその場で抑えることができるのです
続く・・・・・