『みんなのお寺』 ブッダによる幸せの種がまかれた園

宗派を超え、国境を超え、時を超えて、仏教・ブッダの教えの真理に触れる事の出来る幸せの精舎を目指す『お寺』です

戒め⑥

2007年11月03日 | 修行法 『戒・定・慧』

五つ目の戒、それは『不両舌』です

「こちらの人々の仲を悪くさせるために、こちらで聞いてはあちらで告げるとか、あるいは、あちらの人々の仲を悪くさせるために、あちらで聞いてはこちらで告げるということをしません。仲の悪い人たちを結びつけ、仲のよい人たちの仲を一層よくし、和合を喜び、和合を好み、和合を悦び、和合を作ることばを語っています」ブッダの教えです

人は自分の善悪の基準に沿って人と付き合います

そして相手が自分の思いに叶う人であれば仲良くし、自分の思いに叶わない人であれば嫌います

嫌っている人が自分に嫌な事をして来れば、その人に怒りを感じ、恨みを持ち、仕返しをしようとします

その仕返しの1つが陰口をたたき、相手を仲間外れにして、相手を不幸に陥れるという行為です

仏教では他の幸せを願う立場が大切だと考えますし、怒り・恨みというものを特に悪い部類の煩悩として考えます

二枚舌を使う『両舌』という行為をやめる

人を不幸に陥れる言葉をやめる

悪意を持った言葉を離れることで心を清らかに保つ


きれいな布にはきれいに色が染まります

汚れが付いた汚い布にはきれいに色が染まりません


心の汚れを取り除いてから

きれいな心にブッダの智慧をきれいに染めるのです

戒めはそのために守るのです


ブッダの修行法『戒・定・慧』

2007年11月03日 | 修行法 『戒・定・慧』

戒・定・慧の修行法は原始仏教聖典に説かれているもっとも古く信頼性の高い修行法です

仏教の基本をしっかりと押さえ、無駄がありません

この修行の進め方は非常にシンプルです

まずは『戒』

決められた戒めを日常生活の中で守っていきます

それをしっかりと守れるようになっていくにつれて心も清らかになっていきます

次に『定(禅定)』

これはわかりやすく言えば座禅です

ここで言いたいのは日本の禅宗のような広い意味合いではなく、ただ座ってブッダの智慧を思い続ける事です

『戒』で心が清らかな状態にしてから心を『定』めます

次に『慧(智慧)』

これは『定』が進むにつれて自然と身についていきます

『智慧』という煩悩の悪魔と戦う武器を増やしていく事で、際限なく攻め続けてくる悪魔から身を守り、苦しみを遠ざける事ができます

これらの3つの行程を進んでいくと着実に覚りの頂点に近づくことができると思います

輪廻からの解脱まではいかないかもしれませんが、この世の多くの苦しみを和らげてくれます

また、来世、来世以後に善き所へ生まれ変わる助けとなってくれるでしょう

『おかげさま』はブッダの縁起②

2007年11月03日 | 真理

覚りの世界に住む事が出来ればこの世に存在する全ての苦しみから解放されます

その為には『出家信者』になって世俗を捨て離れ、厳しい戒律のもとで修業をしなければなりません

覚りまでの道のりを山登りに例えたら、我々『在家信者』はその山の頂に上ることは不可能ですが、途中までは登る事ができます

途中で後ろを振り返れば自分が苦しんでいた世界を少し高い所から見る事ができます

そこは『欲界』と言って欲望が渦巻く苦しみの世界です

再び上を目指して険しい道を登りながら、頂上から降りてきた人の話(お経)を聞き、覚りの世界を求めて登り続けるのです

山の途中の少し高い所から後ろを眺めると、『おかげさま』というブッダの縁起の恩恵に授かっている人の心は自己中心的な欲望の世界から離れています

その人は覚りの山をすでに登り始めている訳ですから、その時に覚りの世界をのぞくことができます

まことに清らかで、美しく、楽しく、安らかなその世界を、この『みんなのお寺』でお伝えできたらと思います