『みんなのお寺』 ブッダによる幸せの種がまかれた園

宗派を超え、国境を超え、時を超えて、仏教・ブッダの教えの真理に触れる事の出来る幸せの精舎を目指す『お寺』です

格差社会を感じる今日この頃

2007年11月15日 | 修行日記

今日子どもに読んだ紙芝居

二匹のサルがいた

二個のリンゴを拾って一つずつ分け合った

次に三個のバナナを拾った

どちらが二個をもらうか喧嘩になった

それを見ていた象が三個目を半分に分けてくれた

一個半を平等に分け合い、喧嘩が収まった

はたから見ていたら、当たり前の簡単な話

子どもさえ理解できて正しいと思う理(ことわり)を

できない人が一杯いるから

ため息の出るようなニュースや事件、出来事やストレスが一杯あるのでしょうね

禅定に入る前の三つの事柄・その③

2007年11月15日 | 修行法 『戒・定・慧』


満足(少欲知足が心を自由にすることを確認する学び)

「修行僧は身を包むだけの衣と腹を満たすだけの托鉢による食物で満足し、かれは どこへ行くにもそれだけで出かけます。それはたとえば、翼のある鳥が飛ぶ場合 に、翼をもって飛ぶようなもので、ちょうどそれと同じように、修行僧は身を包 むだけの衣と腹を満たすだけの托鉢による食物で満足し、どこへ行くにもそれだ けで出かけます。」

昔の出家修行者は乞食するための鉢と身を守るための衣だけを所有物としていました

自分の所有物を最小限にとどめて、修行に専念するのです

我々が苦しむ原因は様々ですが、結局生きていくためのもの荷物を増やすための行動の結果によって苦しんでいると思います

お金にしろ食べ物にしろ服、家、車など

物だけではなく時間もそうです

出勤時間が自由なら、それだけで交通渋滞の中でも焦らずに運転できるでしょう

それらの荷物や束縛を最小限にとどめ、贅沢をせず、少しのもので満足すれば、減らした分だけ心の荷物は減り、その分苦しみは減ると思います

荷物を増やすために必死に働く必要が無くなるので、お金もそんなに必要なくなります

持っているものが少なければ少ないほど、とらわれるものが無くなって、何ものにも束縛されずに自由自在に動くことができるのです

鳥は羽根だけを使って大空を自由に移動します

羽根だけだから自由に移動できるのです

荷物を持っていたら自由に移動できません

我々は出家修行者のように、鉢と衣だけでは生きていけません

だから修行ができませんという事ではなく、所有物は沢山あってもそれらの所有物に心が束縛されず、いつでも手放すことができますよ、というくらいの気持ちでいることで、欲張りにならず、心が軽くなり心を自由に保つことができるのです

心の荷物を減らした分だけ、苦しみは減ります

お金が増えれば増えるだけ、物惜しみの苦しみの気持ちとそれを守るための苦しみが増えるでしょう

欲張る気持ちを捨てて、少しのもので満足し、足る事を知る

この気持ちを保つ、覚りのための大切な心もちです

クモの糸と花びら

2007年11月13日 | 
クモの糸に引っかかった、花びら

引っかかったのが虫なら、クモは食べにくるだろうけど

引っかかったのが花びらなので、クモは食べにこないでしょう

もしかしたら花びらが綺麗なので、遊びに来るかもしれない

でも、花びらを飾って遊ぶのは人間ぐらいかなぁ

花が綺麗だと思っているのは人間ぐらいかなぁ

クモは花をどう思っているのかなぁ

クモは花を綺麗だと思っているのかなぁ

綺麗だと思っている訳ないでしょう

花は花だと思っているだけでしょう

花は花だと思っているだけでしょう

花は花だと思っているだけだから、美しいとか醜いとか思わないでしょう

美しいとか醜いとか思わないから、欲しがったり嫌ったりしないでしょう

欲しがったり嫌ったりしないから、それを得られなくても遠ざけられなくても苦しんだりしないでしょう


禅定に入る前の三つの事柄・その② 下

2007年11月13日 | 修行法 『戒・定・慧』

人は自分のことを棚に上げても、他人のことを批判している場合が多々あります

それはなぜか?

自分のことを棚に上げるのは、自分の姿・行いは目に見えないので他人と比べて客観的に見ることができないから批判されるべき所を見逃がしているのです

他人のことを批判しやすいのは、他人の姿・行いは目で見れるので他人と比べ客観的にみることができて批判されるべき所をしっかり見ることができるからです

人間、自分の事はとっても見えにくいのです

でも自分自身を客観的に、第三者的に見ることができれば、自分の間違った所をしっかりと批判できて、そこを指摘し、自分をコントロールすることができるのです

それを出来るようになる為に、先に挙げたブッダのお経のに書いてあることを実行するのです

私が尊敬するお坊さんの一人、テーラワーダ仏教界の長老・アルボムッレ・スマナサーラさんが広めておられるヴィパッサナー瞑想はこの正念の事だと私は解釈しています

スマナサーラ長老の言葉を借りれば、自分自身を実況中継するそうです

前を見ています
後を見ています
腕を曲げています
腕を伸ばしています
食べています
飲んでいます
噛んでいます
のみ込んでいます
排便しています
排尿しています
歩いています
立ち止っています
坐っています
眠ります
目ざめます
語ります
黙ります

という風に

これを意識して続けていけば段々と自分の心の中の煩悩・悪魔にも気付くことができるようになっていく

貪っています
怒っています
憎んでいます
過ちを隠そうとしています
後悔しています
嫉妬しています
物惜しみしています
偽っています
ゴマをすっています

という風にその瞬間に気づくことができるようになる

このような心の中の煩悩の悪魔に気づき、それらを段々と支配・コントロールして抑えることができるようになっていくのです


禅定に入る前の三つの事柄・その② 上

2007年11月12日 | 修行法 『戒・定・慧』

注意力と明瞭な意識
(正念・サティ・ヴィパッサーナなどの名称で知られている、今自分がしている事を客観的に気付いている状態を保つ学び)

「修行僧は進むにも退くにも、明瞭な意識をもって行動します。前を見るときも、後を見るときも、明瞭な意識をもって行動します。腕を曲げるときも、伸ばすときも、明瞭な意識をもって行動します。大衣を着け、鉢をもち、通常衣を着けるときも、明瞭な意識をもって行動します。食べ、飲み、噛み、のみ込むときも、明瞭な意識をもって行動します。排便・排尿するときも、明瞭な意識をもって行動します。歩き、立ち止まり、坐わり、眠り、目ざめ、語り、黙するときも、明瞭な意識をもって行動します。」

このブッダの教えを守り、今の瞬間の自分の体の動き・心の動きに気付き続ける事で自分の感情に支配されなくなっていきます

人間はいったん感情的になってしまうと自分を見失いやすくなります

そして後から、しまった!と思う事でもやってしまい、後悔しても後の祭りということがよくあります

私自身、正念を入れ続けようと普段から気をつけているのですが、油断するとすぐに正念が入らなくなり自分の感情の奴隷になってしまうことがあります

そしてふと気づくと、しまった!と思う事をやってしまっているのです

しかし感情的になっている時でも、自分の心の状態に客観的に気付くことができるとその感情をその場で抑えることができるのです

続く・・・・・

環境破壊の根本

2007年11月12日 | 環境問題
動植物は周りの自然環境にその身を合わせる

自然環境はそのままで破壊されず、自然環境と調和を保つ


人間は周りの自然環境を人間に合わせる

自然環境は変えられ、破壊され、自然環境の調和を狂わす


人間が周りの自然環境にその身を合わせれば

自然環境の破壊を防ぎ、自然環境は調和を取り戻す

禅定に入る前の三つの事柄・その① 下

2007年11月11日 | 修行法 『戒・定・慧』
美味しい!気持ちがいい!いい匂い!という情報を無視して放っておくと
食べたい!飲みたい!吸いたい!という気持ちが先行してしまい
栄養が偏り肥満になり、健康を損ない病気という苦しみの階段を知らず知らずの内に昇っ
て行くのです 

服・食べ物・飲み物・家・音楽・テレビ・映画・車・お金なども同じことです

自分に入ってくる全てのもの・情報を正しく適切にとらえないと、それは悪魔に化けて自
分を苦しめ、他人を損なうのです

ブッダは「〇〇したい!」という欲望を煩悩の悪魔としてとらえました
心から生じ続けてくる欲望の悪魔を放っておくと、心の中でどんどん強くなって最終的には様々な形でその身を滅ぼすと教えてくれています

心を汚し続けてくる悪魔からこの身を守るための門と例えたブッダ

かつて中国の強大な都が、塀で城を囲み、門だけを通して必要なものを得たように

六つの感覚器官をわが身を守る門として

気を付けなさい!

とブッダは教えてくれているのです

以上が六つの感覚器官を守る教えです

このことに気付き続ける事は、日頃から訓練しないと無理です

ブッダ以外にこの気付きを発見して、訓練法を発見した人を私は知りません

その訓練法が次の『注意力と明瞭な意識』(正念・サティ・ヴィパッサーナなどの名称で知られている、今自分がしている事を客観的に気付いている状態を保つ学び)です

われわれ日本人は何気なく箸を使っていますが、西洋人に使ってみてと言ってもまず無理でしょう

子どもの時に、箸を使いたい!という強い意欲を持ってやっと出来るようになった難しい技です

そのようにブッダの素晴らしい智慧を得たい!強い意欲を持って修行を少しずつ、こつこつと続ければ必ず良い結果が訪れるでしょう

禅定に入る前の三つの事柄・その① 上

2007年11月11日 | 修行法 『戒・定・慧』
①六つの感覚器官を悪から守る
(眼・耳・鼻・口・体・心の感覚器官から入ってくる悪の情報からこの身を守る学び)

「修行僧は眼によってものを見る場合、その全体相にも捉われず、その細部にも捉われません。この眼という感覚器官を制御しないで生活する結果として、もろもろの食欲と憂悩という悪不善の状態がはいり込むことになりますから、かれはその制御につとめ、眼という感覚器官を保護し、眼という感覚器官の制御を達成します。
修行僧は耳によってものを見る場合、その全体相にも捉われず、その細部にも捉われません。この耳という感覚器官を制御しないで生活する結果として・・・」

ブッダのお経の一部です
難しい言葉が並んでいますが、簡単に説明しますと、これは六つの感覚器官、目・耳・鼻・
口・体・心の一つひとつから入ってくる情報をフィルターにかけて、悪不全につながって
いく情報を無視し、入らないように気をつけていきなさいという事です

ここで例えを使って説明します
自分を人間そっくりに創られたロボットとします
電源のスイッチをオンにします

眼というカメラが自分の目の前の色を認識します
我々は普段、五感(眼・耳・鼻・口・体)を使っていますから目に見える対象をとてもリ
アルな動きのある物体としてみます
しかし実際、眼は様々な光に反射した色のみを認識するのです

また耳というマイクが音のみを判断します

鼻と口と体に代わる機械は存在しているかもしれませんが一般的に普及していないので説
明できませんが、鼻は香りのみを、口は味のみを、体は温度・触感のみを認識します

心は少し複雑で人工知能をもったコンピュータで、五感から得た情報と過去の情報・経験
にもとづき、偏見を作り出す

そしてそれぞれが好き嫌い・快不快・苦楽、〇〇は美しい、〇〇は醜い、などと判断する
のです

以上の六つの感覚器官から得た情報にもとづき、体全部を使って様々な行いをします
その行い(業)にもとづいて
様々な結果(報い)を受けていくのです

続く・・・・・

もしも世界が100人の村ならば

2007年11月11日 | 修行日記
もしも世界が100人の村ならば
もし現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで、
全世界を人口100人の村に縮小するとしたらどうなるでしょう。

その村には…

57人のアジア人
21人のヨーロッパ人
14人の南北アメリカ人
8人のアフリカ人がいます。

52人が女性で
48人が男性です。

70人が有色人種で
30人が白人

70人がキリスト教以外の人たちで
30人がキリスト教徒

89人が異性愛者で
11人が同性愛者

6人が全世界の富と59パーセントを所有し、
その6人ともがアメリカ国籍

80人は標準以下の居住環境に住み
70人は文字が読めません

50人は栄養失調で苦しみ
ひとりが瀕死の状態にあり、
ひとりは今、生まれようとしています

ひとりは大学の教育をうけ
そしてひとりだけがコンピュータを所有しています

もしこのように縮小された全体図から私たちの世界を見るなら、
相手をあるがままに受け容れること、
自分と違う人を理解すること
そしてそういう事実を知るための教育がいかに必要かは火を見るより明らかです。

また、次のような視点からもじっくり考えてみましょう。
もしあなたが今朝、目覚めた時、健康だなと感じる事ができたなら…
あなたは今週生き残ることのできないであろう100万人の人たちより恵まれています

もしあなたが戦いの危険や、投獄される孤独や、獄門の苦悩、
あるいは飢えの悲痛を一度も経験したことがないのなら…
世界の5億人の人たちより恵まれています

もしあなたがしつこく苦しめられることや、逮捕、拷問または死の恐怖を
感じることなしに教会のミサに行くことが出来るなら…
世界の30億の人たちより恵まれています

もし冷蔵庫に食料があり、着る服があり、頭の上には屋根があり、寝る場所があるなら…
あなたはこの世界の75パーセントの人々より裕福で
もし銀行に預金があり、お財布にもお金があり、
家のどこかに小銭の入った入れ物があるなら…
あなたはこの世界の中で最も裕福な上位8パーセントのうちの一人です

もしあなたの両親がともに健在で、そして二人がまだ一緒なら…それはとても稀なこと
もしこのメッセージを読むことができるなら、
あなたはこの瞬間2倍の祝福を受けるでしょう。
なぜならあなたのことを思ってこれを伝えている誰かがいて、
その上、あなたはまったく文字の読めない
世界中の20億人の人々よりずっと恵まれているからです

昔の人がこういいました。
わが身から出づるものはいずれわが身に戻り来る、と。

お金に執着することなく喜んで働きましょう
かつて一度も傷ついたことがないかのごとく人を愛しましょう
誰も見ていないかのごとく自由に踊りましょう
誰も聞いていないかのごとくのびやかに歌いましょう
あたかもここが地上の天国であるかのように生きていきましょう

このメッセージを人に伝えてください、
そしてその人の一日を照らしてください。

「もしも世界が100人の村ならば」
作者不詳
訳:なかのひろみ

ヤフーのポータルサイトの中から見つけたメッセージです
とても大切なことを伝えているメッセージだと思ったので載せてみました


禅定に入る前の三つの事柄の説明

2007年11月10日 | 修行法 『戒・定・慧』

七つの戒めで自分の体・口の行いを清めてから、禅定に入る前に以下の三つの事柄の獲得に努めます


① 六つの感覚器官の制御
(眼・耳・鼻・口・体・心の感覚器官から入ってくる悪の情報からこの身を守る学び)

② 注意力と明瞭な意識
(正念・サティ・ヴィパッサーナなどの名称で知られている、今自分がしている事を客観的に気付いている状態を保つ学び)

③ 満足
(少欲知足が心を自由にすることを確認する学び)


簡単に説明しましたが、次回から一つずつ解りやすく説明できたらと思います

どんどん専門的な用語も出てきて分かりにくくなってくるとは思いますが、人間としての究極の幸せな生き方に近づいていく事に比べたら、そんなに難しいことではありません

私から言わせたら、すべての面において人間としてのレベルアップにつながります

どんなダイエットにも勝るダイエットができますし、すべての体と心の苦しみにも免疫力が付きます

また科学的な思考回路が鍛えられますので、知能が洗練されていきます

細かい事を挙げればきりがないくらい多くの利益をもたらしてくれるのです

最終的には今より優れた自分に生まれ変わることができます