『みんなのお寺』 ブッダによる幸せの種がまかれた園

宗派を超え、国境を超え、時を超えて、仏教・ブッダの教えの真理に触れる事の出来る幸せの精舎を目指す『お寺』です

禅定①

2007年11月23日 | 修行法 『戒・定・慧』
「かれ(修行僧)は、この高貴な一連の戒を身につけ、この高貴な感覚器官の制御 を身につけ、この高貴な注意力と明瞭な意識を身につけ、この高貴な満足を身に つけて、森・木の根元・山・峡谷・洞窟・墓地・薮地・露地・積んだ藁といった 人里離れた寝起きの場所に親しみます。そしてかれは托鉢から戻り食事の後、両 足を組み身体をまっすぐにし、面前に注意力を集中して坐ります。」


これまでに述べた『戒』によって身につけた、高貴な『行』を心に保ちながら、仏教瞑想に入っていきます

行を保ち、場所を選び、坐り方を示してくれているお経です

戒定慧の修行法②③で見つけた事柄を身につける?

身に付けるって言われると服や帽子など物質的な物かと思いがちですが、仏教では心的な部分を物質とはっきり線引きをしない傾向があります

『唯識』なんかになるとこの世に存在するすべての物質を自己の心が創り出したもの、という極端な考えまで出てきます

余談ですが一世を風靡した「マトリックス」という映画を作った人は仏教の唯識から影響を受けて、映画を作ったという事です

いま眼に映る世界全てを自分の心が作り出したもの、という見方はまさに唯識そのものです

話は戻りますが、戒・感覚器官の制御・注意力と明瞭な意識・満足を身に付けるとは、心に付けておく、心にできる限り常に念じ、日常生活の中で実行しておくという事です

次に場所ですが、森・木の根元・山・峡谷・洞窟・墓地・薮地・露地・積んだ藁といった人里離れた場所に座する場所を見つけるのはなかなか難しい事です

できる限りそれに近い場所を選べたらと思いますが、とりあえず雑念が入りにくい場所を選べたらいいと思います

自分の部屋でやる場合は、電気を消しカーテンを開けて外光を入れる・気が散りそうな物が視界に入らないよう整理しておくなどの工夫も有効だと思います

坐り方ですが、あぐらをかき背筋を伸ばすだけでいいと思います

時間帯は特に選びませんが、私は早朝や、寝る前にするように心がけています

持続時間は気にしなくてもいいと思います

ブッダの智慧の学びが進むにつれて、徐々に延びていくと思います

以上の事を文頭に示したお経に沿って瞑想を始めていきます

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