境界例と闘う銀子

6月21・22で過去1年の日記を書いた。最初のページを読んでもらえると嬉しい。

ささやかな幸せ

2006-11-16 00:44:56 | Weblog
今日も仕事に行く前は緊張していたけど、
子供達の顔を見たら、自然と笑顔が出てきた。

久しぶりに会った子供に、
「先生会いたかった~」と言われて
凄く嬉しかった。

でも、私自身が子供だから、
ついつい一緒になってはしゃいでしまう。
塾は勉強を教えるところなのにね^^;


今まで自分を良く見られることでしか
幸せを感じられなかった。
「可愛い」と言われる事で、自分に自信を持ったつもりで
喜んでいた。高い服やブランド品に固執して、
ただただ人から馬鹿にされないように
「外見」で何かと競い合っていた。


デモいくら、可愛いとか言われようと、
それは本物の自信には繋がらなかった。
一時的な喜びはあったけど、
それは本物じゃなかった。


それよりも今日、生徒に、「先生の授業がいい」
って言われた方が、何倍も嬉しかったような気がする。


私はおしゃれが好きだから、外見とかそう言うのには
これからもこだわってしまうかもしれないけど、
それは女として無くしたくないものでもあるし、
楽しんでやって行きたいと思う。


久しぶりにささやかな幸せを感じられた★


不幸の中にある、幸せと、
幸せの中にある、不幸。
どっちの方がいいのかな。

ただ前者の方が、幸せのありがたみは大きいような気がする。

社会復帰。

2006-11-15 01:44:07 | Weblog
ここ23日、もう寂しいとか虚しいとか
よく分からない感情が襲って来て、
気力も無く日記が書けなかった。



今日は2ヶ月休んでいた塾に復帰した。
塾はお金にはならないけれど、
やっぱり私がここまで続けたいと思うのは
子供が好きだからなんだと思う。


今はもう焦りが無くなった。
ゆっくりでいい。週2日のバイトだけど、
それでもいい。


外は冷たいよ。
赤ちゃんのような私は、
必死で強くなろうと、自ら外に出て、
頑張った。今まで必死に頑張って来た。


疲れがどっと出たんだと思う。
休む時期も絶対に必要なんだ。


それに今は、もう傷つくのが怖い。
すこしづつ家庭で温もりを感じて、
親に色んな事話して、
もう1度自我を形成したい。
人間は、何歳からでもやり直しが効く。
自分の心が回復するまで
いっぱい休むんだ。

石原都知事の問題発言。

2006-11-11 01:51:04 | Weblog
最近いじめの自殺問題について、メディアによく
取り上げられている。
文部省にいじめの予告文が送りつけてきている。
それに対して、今日石原都知事が発した言葉。


「弱いから死ぬわけでしょ」


私はそれを聴いた瞬間、怒りと情けない気持ちで
一杯になった。人それぞれ考え方がある事は
承知の上だし、そんな事を言う人は、現実に
腐るほど居る。


でも、テレビの前でそんな酷い言葉を聞いた
子供達はどう思う?
いじめで子供を失った親はどう思う?

個人的に自分の心の中でそう思っているなら
別に否定もしないけど、カメラの前で発した事が
許せない。


私は普段ニュースとか政治とかそんな問題について
日記を書いたことは無かったけれど、今回だけは
唖然として書かずに居られなかった。





私は知っている。
人間には防衛本能がある。
やっぱり高いところから飛び降りたいと思っても、
いざそこに立つと、震えが止まらなくなるし、
首を釣るのも平常心じゃとても出来ない。


それをあんなに幼い子が、実行するには
どんなに勇気が居ることか。
その怖さにも勝るぐらいに、苦しんでいると
言うことじゃないか。


心が痛い。
胸が締め付けられる。


私自身のいじめで自殺する子供達に声を掛けることが
出来るとすれば、「もったいない。」その一言だ。
いじめの問題は、学校を卒業したり、
転校したりすれば、絶対に終わる事なのに、
永遠には続かないのに、子供達の秘められた
可能性をそこで潰して、本当に未来があるのに。


でも、子供達は現状に耐えられない苦しさで
自殺してしまうんだと思う。

いじめは無くならない。

だから、その時、耐え抜くしかないんだ。
不登校になって逃げるのも選択肢だと思うし、
とにかく色んな選択肢がある事を、知って欲しい。

いじめに耐えられなくて、
弱くて何が悪い?
人間は弱いんだ。そして人以上に
繊細な心を持っている人達を「弱い」で
かたずけられることなのか?!!


死ぬことは弱い事じゃない。


何度も何度も言うけど、
死ぬ勇気って半端じゃないんだ。
経験して分かったんだ。


そこまでもう”希望”が見えないんだ。
そこには思考が”絶望”しかなくなっている。


弱い人間。
強い人間。

色々いるに決まっている。

弱くても、その子のよさを磨いて、
それを伸ばして欲しい。
精神的に弱い人は、傷つくことも多いけれど、
見方が周りに居れば、大丈夫だと思う。
子供達にとっては、それは親。
親が絶対的な見方であり続けることが
大事だと思う。



死なないで・・・。

まだ早いよ。


寂しいとか

2006-11-10 23:34:53 | Weblog
寂しいとかそんな感情伝えられるわけも無かった。
強がっていたから、寂しいならそんな思いもしなくていいように、


最初から1人になろうと思った。

そしたら誰にも期待しない。誰にも求めない。
そうやって人を自分からはねつける事しか知らなかった。



今日家に1人で居て、何故か凄く寂しかった。
家族が帰って来たら、涙が出てきた。
自分で「寂しかった」と言う思いを認めたくなかったけど、
寂しかった。でもそんな事言えずに、
殴ってしまった。何で親を殴ったのか、
そんな感情も理解できないまま、
何も口に出来ないまま・・・。


今日は色んな感情が混じって、
上手く現すことも出来ない。

ただ、寂しいよ・・・。


私は私の感じるまま進む。

2006-11-09 01:46:51 | Weblog
私が名古屋から帰ってきて4年半。
私はずっと、「感情を吐き出すこと」
だけを続けてきた。

20年間押さえ込んでいた感情を、吐き出す。
それだけは、絶対にいつも心に言い聞かせていた。

親に理解してもらうまで、本当に長かった。
でも、私の病気の原因を作ったお父さんは、
元々お父さん自身も病気だったせいか、
めまぐるしく変わって行った。
その点私は恵まれていると思う。

ここ4年で、自殺未遂した事は、もう数え切れない。

お父さんは言ってくれた。
「梨乃はこんなに必死で
自分を痛めつけて
教えてくれた。今の家庭があるのは
梨乃のおかげだよ。妹と弟との修復も出来てきたし
梨乃が体を張って家庭を変えてくれたんだよ。
それは、誰にでも出来ることじゃない。
利のは1番大切な事をしてくれた。
それは凄いことなんだよ」


確かに私が、訴え続けて、家庭は徐々に
変わって行った。全然お父さんと話さなかった
妹と弟も、今話すようになった。

今、私の家庭は、
狂った家庭から普通の家庭に変わろうとしている。

それがとても嬉しくて、
温かい。

私は家を出た方がいいと思っていたけど、
この家庭でおきた悲劇は、この家庭で
修復していくのが大事だと思う。
私は赤ちゃんに帰って、
もう1度やり直したい。
幸いそういう環境が、今出来るようになった。

「甘え」との区別は良く分からないし、
どんなやり方をしたら、病気とうまく付き合って
行ける様になるのか分からないけれど、
私は私の感じた道を選ぶ。

23歳。










私は今産まれたんだ。

やっと生理が来た。

2006-11-09 01:16:42 | Weblog
ずっと遅れていた生理がやっと来た。
精神的に追い詰められていたせいか、
頭を打ったショックか分からないけど、
やっとホルモンが正常に動き出してくれた。


今日は少し気力があった。
テレビを見て心から笑える自分が居た。
嬉しかった。焦る気持ちも少し治まり、
今出来ることだけをしようと思った。
ゆっくりゆっくりでいい。
元々待てない性格の私が、
そう思えるようになって来た。


波にゆっくり乗って行けたらいいなと心から思います。

気力も何も。

2006-11-06 22:24:06 | Weblog
頭を手術してから、明らかにおかしい。
まだ術後そんなに経っていないから、当たり前かもしれないけど、
心身ともに、苦痛の日々が続いている。


日常生活に支障をきたすのは、
左肩がまだ繋がっていないから、荷物とか持てないのと、
歩いたら酷く頭痛がすることだ。
今の状態では、買い物すらままならない。
あと、生理が止まっている。


でもやっぱり1番きついのは、心が壊れている事だ。
まず気力が本当に無い。
今まで経験したことが無いぐらい気力が無い。
感情も少し鈍っている。
鈍っていても何故か分からないもやもやしたものだけはあって、
じっくり構えることが出来ない。
焦って焦って、空回りばかりしている。
変に将来の事とか、ずっと考えたりして、
不安になって、居ても経っても居られなくなる。
こんな時に将来の事を考えたって、
ろくなこと考えないのに。
気力の無さに焦ってしまう。


私は


もうずっと心から笑っていないような気がする。