函館にある障害者の作業所で働いていたタッカが、札幌市内の農園で農業修業を始めて7月で8カ月がたつ。
「障害者も働ける農園を開きたい」。
その志を胸に畑や鶏舎で汗を流す毎日だ。
作業所利用者や仲間から、タッカの愛称で親しまれてきた高島啓之さん(42)。
記憶障害などが起こる高次脳機能障害者の作業所で、3年間就労支援などを行ってきた。
そこで感じたのは、障害者の多くが働く意欲がありながら、就労先が限られてしまう実態。
「受け入れ先がないなら作ればいい」。
昨年2月、農園開業を決意し作業所を退職。
一から農業を学ぶため、農園に住み込み、朝6時に起きて100㌔ほどの養鶏用の飼料を作って運ぶ。
畑の種まきや水やり、鶏舎の掃除もこなす。
40歳を過ぎてからの挑戦。
月給は作業所時代の3分の1ほど。
妻と子供は函館に残し、資金をためながら技術を学ぶ日々が続く。
農園は開業場所も時期も未定だが名前だけは決めてある。
「ユメこえ農園」。
夢を語り合う声に満ちた場所にしたいからだ。
この数カ月で体重は5㌔落ちたが「志だけは寸分も変わってない」。
引き締まった表情で力強く語った。(酒井聡平)
「障害者も働ける農園を開きたい」。
その志を胸に畑や鶏舎で汗を流す毎日だ。
作業所利用者や仲間から、タッカの愛称で親しまれてきた高島啓之さん(42)。
記憶障害などが起こる高次脳機能障害者の作業所で、3年間就労支援などを行ってきた。
そこで感じたのは、障害者の多くが働く意欲がありながら、就労先が限られてしまう実態。
「受け入れ先がないなら作ればいい」。
昨年2月、農園開業を決意し作業所を退職。
一から農業を学ぶため、農園に住み込み、朝6時に起きて100㌔ほどの養鶏用の飼料を作って運ぶ。
畑の種まきや水やり、鶏舎の掃除もこなす。
40歳を過ぎてからの挑戦。
月給は作業所時代の3分の1ほど。
妻と子供は函館に残し、資金をためながら技術を学ぶ日々が続く。
農園は開業場所も時期も未定だが名前だけは決めてある。
「ユメこえ農園」。
夢を語り合う声に満ちた場所にしたいからだ。
この数カ月で体重は5㌔落ちたが「志だけは寸分も変わってない」。
引き締まった表情で力強く語った。(酒井聡平)