城好き設計士の放浪

日本の城、歴史的建造物の旅日記
※個人的観点

若林城@宮城県

2024-02-17 12:00:00 | その他城
2024年2月17日

先週の熊本県から今週は福島県で現場視察があった為、週末は仙台市へ。
桃太郎電鉄並みの移動距離です。

宮城県といえばやはり伊達政宗。

そして伊達政宗が築き、居城としたのは仙台城です。
一国一城令により、一つの藩に一つの城しか持てない時代でしたが、62万石を有した仙台藩には3つの城と21の要害がありました。

要害とは一国一城令に配慮した呼び名で、実際は軍事施設なので城と同等。

3つの城とは仙台城、白石城、そして若林城。

実は若林城は仙台の方でも知らない方が多いのです。
伊達政宗の為に1928年に築城し、伊達政宗が亡くなった1636年に廃されました。
政宗自身が細部まで指揮して築城したと言われています。

元は伊達政宗の隠居城と言われてきましたが、研究の結果で実際の執務も若林城で行ったとされています。
伊達政宗の晩年は、仙台城には年に一度行く程度だったようです。

ある意味では幻の城かもしれません。

市営地下鉄河原町駅から徒歩10分程度。



Googleマップの上空写真。
城郭の形がハッキリと分かります。

東西400m、南北350m、土塁の高さ5m。
仙台にも近世城郭の平城があったのですね。



若林城はもしかしたら日本で最も入城するのが困難な城かもしれません。

ちなみに、標柱と説明板があるこの場所が大手門跡。



実は若林城は現在、宮城刑務所になっています。
高い土塁の上には高い塀があり、中を覗くこともできません。

平和な江戸時代に築城された城は、400年の時を超えて難攻不落となっています。



広い宮城刑務所ですが、土塁が綺麗に見えるのはおそらく、隅のこのアングル。

5mの土塁に堀幅約20mの堀跡が巡っていて、土塁や門の配置から戦を意識した城とも言われています。

土塁の高さが際立っています。



刑務所職員の駐車場には入れない為、少し離れた場所からのショット。

塀を作る際に堀の上部を削ってしまったそうです。
本来はもっと高い土塁でした。



若林城の周りには水路が巡っています。

伊達政宗は若林城の築城と共に城下町の整備も行いました。

若林城は今でも発掘調査が続いています。

これまでの発掘調査で若林城の大型建築物は、仙台城の二の丸に移築されたことが判明。

しかし宮城刑務所がある以上、若林城が観光スポットになることはないでしょう。

仙台藩の貴重な遺構なだけに、やはり残念な気持ちになってしまいます。

これ以上、近づくことができない為に若林城の散策は終了です。




しかし、これで終わるわけにはいきません。

調べたら若林城の大手門が移築されていることが判明。


場所は仙台駅から歩いて15分程の若林区新寺にある松音寺にあります。

この一帯はお寺の密集地であり、伊達家に所縁のある寺院が多く存在します。

松音寺に移築されたと言われる山門は、城門らしい威厳ある立派な門です。



裏からのショット。
控柱も梁も木材をしっかりと感じる三間一戸の薬医門。

仙台市登録有形文化財に指定されています。



年季が入った桟瓦葺。
門の上部の丸瓦は三つ巴。しかし、土塀の丸瓦は伊達家の三引両紋です。



門の正面には若林城門と書かれています。

仙台藩二代藩主、伊達忠宗から拝領したと伝わっています。



切妻造り。



土塀の丸瓦は伊達家の三引両紋。
この瓦こそが伊達家との繋がりを意味する確固たる証。



松音寺の鐘楼門。
寺院の門でありながら、鯱が上がっています。



鯱は仙台藩では伊達一門の証だったので、関わりある建築物なのかと思ったのですが、調べても移築などの情報を得ることが出来ませんでした。

ものすごい気になります。

仙台藩には多くの城があったにも関わらず、現存建築が皆無に近いので、本当に若林城の城門であればかなり貴重です。

若林城は大人気の武将、伊達政宗の城なのでもっと多くの方に知って貰いたいものです。



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