城好き設計士の放浪

日本の城、歴史的建造物の旅日記
※個人的観点

仙台城@宮城県

2023-08-15 14:00:00 | 100名城
2023年8月15日

宮城のお城といえばやはり仙台城。
伊達政宗が関ヶ原以降建てたお城で、明治維新までの270年に渡って伊達家仙台藩が治めていました。

地元の方はだいたい青葉城と言っています。

仙台城は標高130mの青葉山に建てられた山城です。
城の東側は広瀬川による64mの断崖絶壁。南は竜ノ口渓谷の80mの深い谷。

弱点の北側には高さ17m、全長179mにも及ぶ巨大な石垣で防御されています。


メインは大手門跡の入り口から登っていくのですが、今日は巽門・清水門跡から登っていきます。



おそらく築城当時のと思われる野面積みの石垣を見ることができます。







至る所に昔の石垣の遺構があって、見どころが満載です。



そして北側には最大の見どころ巨大な石垣が見えてきます。

この標高の山城に高さ17mの巨大な石垣は迫力があります。

石垣は切込接。ちなみに、この石垣は3代目らしく、東日本大震災の際に石垣が崩れた際、石垣の中から伊達政宗時代の石垣が出てきたそうです。



近くで見るとより迫力を感じます。



ちょうど観光で歩いている人と比べると、如何にこの石垣が巨大なものか分かります。


仙台城には天守閣がありませんでした。
理由としては諸説あるようですが、天守閣を作るには莫大な資金が必要です。

天下泰平の時代に入った時なので、そのお金を町づくりのために活用したと言われています。

天守閣はありませんでしたが、この地に大広間がありました。
内部は伊達政宗らしい派手な金であしらわれ、桃山様式の豪華絢爛な広間だったようです。
畳430畳。およそ600人は入ることができたという、日本最大の本丸です。

それも今では礎石しか残っていないので残念ではあります。


やはり伊達政宗といえばこの銅像です。



仙台城から見る景色は絶景です。
建物や景観は変われど、ここから見ている空や山や川は今も昔も変わらない。

伊達政宗はこの景色を見て何を考えてたのだろう。
などと考えるのが個人的に好きなのです。



本丸跡地には今は何もありませんが、以前は懸造の建築物がありました。
懸造とは崖などに張り出した建物。京都の清水寺も懸造です。

伊達政宗が仙台を居城とする前の米沢城にも懸造があったらしく、伊達政宗が好んだ建築様式なのかもしれませんね。


昔はこの石垣の上に櫓が二基あったそうです。
しかも三重櫓。正保3年の地震で被災したらしい。ここに三重櫓が二基あったということを想像しただけでワクワクします。

天守閣はないけど、天守閣に匹敵する迫力があったに違いありません。


今、仙台城に唯一ある建物がこの大手門脇櫓。



ここに巨大な大手門があったらしく、脇櫓と含めて元は国宝になっていました。

明治維新後、廃城令によって本丸は解体。二の丸はその9年後に焼失。
陸軍が仙台城に置かれ、唯一残っていた大手門と脇櫓は仙台空襲で焼失してしまいました。


なんとも悲しい結末。
そして、現在ではこの脇櫓だけは復元された状態です。

仙台城に観光に来た人たちは、何もなくて驚くようです。

しかし、2038年までにこの大手門が復活する計画があるようです。

できたら、そのほかの建築物も自分が生きているうちに復元してもらいたい。

あの大広間を死ぬまでに見てみたいものです。


仙台城の麓の資料館には伊達政宗の胸像があります。

なぜ顔と胸だけなのか。

実は仙台城の山頂にある像は二代目です。

第二次世界大戦で、物資が乏しかった日本は全国の銅像を回収しました。

伊達政宗像も回収されたそうです。
一度溶かして武器や弾にされるはずだったのでしょうが、この顔と胸を残した状態で塩釜という地に捨てられていました。

そして、仙台城に戻ってきたということです。

歴史は深いです。


戦国武将の中でも人気が高い伊達政宗ですから、観光客も凄く多かったです。

仙台城は歴史的価値の高い建築物も多く、資料や写真も残っているので復元は不可能ではないのかと思います。

仙台市の取り組みに期待したいと思います!


城×食事
みそ壱


仙台市内に幾つか店舗がある、みそ壱。


赤黒ネギみそラーメン。間違いない!

詳しくは↓↓

白石城@宮城県

2023-08-14 13:00:00 | 続100名城
2023年8月14日

30年ぶりくらいに来た白石城。
大坂夏の陣の後、江戸幕府は一国一城令を布令します。

仙台藩の居城は仙台城(青葉城)で、明治維新までの270年間もの間、伊達家の居城であり続けました。

しかし、白石城は残り続けました。
伊達政宗の右腕でも片倉景綱が居城として、代々受け継がれていました。

幕末の廃城令で解体され建物全てを破却されたそうですが、1995年に木造で復元されています。

当時は幕府に配慮して天守閣ではなく大櫓と呼ばれていたそうです。

白石市は宮城県の下に位置して福島に非常に近い位置にあります。

白石城は伊達家のものになったり、上杉に取られたりを繰り返し、最終的には関ヶ原で上杉から伊達政宗が奪還して江戸時代も仙台藩の領地として残りました。



登っていくと立派な石垣が見えてきます。


石垣の上に立派な三重櫓。
戦後の木造復元が行われた天守閣では高さ広さともに日本最大級らしいです。



本丸に入る第一の門。大手一ノ門。
下から登ってくると、ぐるっと180度曲がって一ノ門をくぐるようになっています。



門の下には狭間も大量に設けられていて、防御に優れた作りになっています。


ちなみに、白石城は伊達家が統治していましたが、豊臣秀吉によって白石城は蒲生氏のものとなります。

その後、上杉領となりますが関ヶ原を契機に再び伊達領となります。

エリアとして如何に重要な拠点だったかが伺えます。


大手一ノ門の先には大手ニノ門が待ち構えます。
枡形門でさらに極端に入り口が狭くなっているので、敵が攻めてきた際はこの空間で立ち往生するものが増えて、かなりの戦果が期待できると思われます。



大手ニノ門も忠実に木造復元されています。


大手ニノ門を潜ると、本丸跡に出ます。そして奥には天守閣。



天守閣下には井戸なども残されています。



天守閣の中。
かなり立派な作りになっています。

忠実に再現しているらしく、かなり技術評価も高いそうです。

これだけ大きな建物ですが、東日本大震災の時は石垣も含めて無傷だったらしい。



中には片倉景綱、伊達政宗などの甲冑が飾られています。

赤い甲冑には六文銭!

白石城と片倉景綱と真田家は実は深い繋がりがあります。

後ほど!



天守三階には外で景色を眺めることができます。
出入り口は華頭があしらわれています。


先ほど通ってきた大手一ノ門と大手ニノ門を上から眺めます。

上から見るとすごく変わった形をしているのが分かります。

一ノ門からニノ門までにギュッと狭まり、ニノ門の目の前で枡形になっています。





木造の巨大な建物を見ると、日本の建築技術は凄いと思い知らされます。

木の打ち継ぎ方や切り欠きなど、間近に見ることができます。


大手ニノ門と天守閣。
城らしくて良いショットです。

仙台城には天守閣が元々なく、その他の建築物も全く復元もされていないので、この白石城は宮城としては貴重なお城といえます。



破風も見事で、張り出しの下は石落としになっています。
野面積みの石垣も素晴らしい。



天守閣下にある資料館にも真田幸村の甲冑が飾られています。
グッズも伊達政宗、片倉景綱、真田幸村と揃えられています。

ワタクシの好きな武将、伊達政宗と真田幸村の甲冑が並んでいるのはテンション上がってしまいます。

大坂の陣で大活躍した真田幸村。大阪夏の陣で伊達軍と激突しました。

そして、真田幸村が亡くなる前日に敵の東軍である伊達軍に子供や妻達を託しました。

その後、真田幸村の子供たち5人を匿う形で江戸を抜けて、仙台に帰ってきたといいます。

そして、この白石城の二の丸で匿いながら養育したとされています。

真田家は信州上田ですが、仙台でも繁栄したのはこの白石城があったです。


そして、幕末に幕府軍と新政府軍が激突した明治維新。
仙台藩を含めた越後、東北勢は奥羽越列藩同盟を結んで新政府軍に対抗。

その軍議はこの白石城で行われました。


小さな城ですが、歴史上では奥の深い話が、たくさん詰まった白石城です。