つぶやき城ー。のブログ

日本の城、歴史的建造物の旅日記
※個人的観点

大多喜城@千葉県

2023-11-23 13:00:00 | 続100名城
2023年11月23日

千葉県城巡りの旅、ラスト4城目は大多喜城。
ここまで、全てが計画通りの一泊2日の旅。

千葉県には82城もの城跡があると言われています。
尋常ではない数です。
その中で100名城に選出されているのは、下総国の佐倉城のみ。

続100名城に選出されているのは、同じく下総国の本佐倉城、そして上総国の大多喜城になります。

今回の旅の目玉はやはり最後の大多喜城です。

久留里城から大多喜城まで車で移動。
紅葉シーズンなので、道中至る所で観光の方が多くいました。

大多喜城は里見氏が惣無事令の違反を名目に上総を没収された後、徳川家康がこの一帯を支配。

そして、徳川四天王の本多忠勝が初代大多喜藩として城主となり、大多喜城は近世城郭に生まれ変わりました。

その後、本多家→阿部家→青山家→稲垣家→松平家と城主は変わるものの、明治維新まで生き残りました。


大多喜城入り口には無料駐車場も完備。



そして、まず先に現れるのは県内最古の水道水路跡があります。
最後の城主、松平正質の第に考えられたそうです。

岩を切り裂いたような穴で、覗くと遠くに出口の穴が見えます。
全長5.8km、その内4kmがトンネル内を通っています。


 
次に見えてくるのは空堀。上には二の丸があります。

地形を削り生かしたような圧巻の空堀です。近世城郭ながら、山城のような防御機能が良いですね。



アスファルトで整備された道を進むと、本丸に辿り着きます。

本丸は標高70m。



こちらも削り落としたような地形です。
本丸跡には土塁も残っています。



資料館もあり、甲冑なども観覧できます。
真ん中は本多忠勝の甲冑ですが、甲冑を支える台は真田六文銭。



千葉県にある城跡の地図。この数には圧倒されます。
里見家、北条家、上杉家、千葉家、徳川家など有名な家柄が、この地を治めたり激戦を繰り広げたので、興味深い県です。



本丸跡には現在、復興天守がありますが2022年からは入ることができません。

本多忠勝時代に三層三階の天守があげられたそうですが、その後焼失。

1835年の図面と映し絵を参考に1975年に鉄筋コンクリート構造で復元。

ちなみに、この天守が復元天守か復興天守か模擬天守かは今でも議論となっています。

しかし、今では大多喜町のシンボルとなっていることは間違いありません。



先ほど通り過ぎた二の丸跡に向かいます。
切通しの階段を登れば二の丸跡です。



姫路城のような土塀で取り囲む城も大好きですが、この山城感も個人的には好きです。





広めな敷地の二の丸跡。





二の丸跡の脇には腰曲輪のような細長い曲輪が残ります。



一度降城して、大多喜町の駅の方に向かいます。
電車の脇には門を模した建築物があります。
街をあげての雰囲気作りは本当に素晴らしい。
いすみ鉄道のレトロな電車とのコラボは格別。



大多喜城のもう一つの見どころは、城の麓にある大多喜高校の中にあります。



大多喜城の唯一の現存とされる薬医門が大多喜高校内に移築保存されているのです。

一般の方も普通に学校に入って観覧することができます。

ワタクシは祝日に行ったので、部活をしている学生しかいませんでしたが、平日なら多くの学生がいる中で観覧することになります。



これ、大事!
学生さんのための敷地であることを忘れてはいけません。



城の門には種類があります。
大多喜城は薬医門。



薬医門の特徴は横から見た時に分かります。
妻側(側部)が切妻屋根を乗せたような作りになっています。



鎌倉時代から室町時代の武家屋敷でよく使われていたようです。

この薬医門は大多喜城の二の丸御殿の門を移築したようです。



さらに大多喜高校の薬医門を先に進むと、井戸があります。

こちらは本多忠勝が築城の際に掘らせた井戸とされています。

底知らずの井戸と呼ばれ、周囲17m深さ20mで当時は日本一の大井戸だったそうです。



高校の校舎と天守のコラボもなかなか良い景色です。



大多喜町は房総の小江戸と呼ばれていて、昔ながらの建物や街並みが残っています。



城下町の雰囲気があって素晴らしい。
やはり大多喜町としては全面的に本多忠勝を推してるようです。

有名な武将でしたからね。

御城印や武将印は大多喜駅前の大多喜城観光本陣にて販売中。



最後は大多喜の中心部をぶらりと散歩し、食事をして2日間の素晴らしい旅は終わりました。

千葉県はとにかく広いので、電車での移動はやや困難かもしれませんが、車でなら近い距離に幾つも城跡が存在するので、計画的に行けば周りやすいです。

行政が動かないと、城は世間一般的には忘れ去られた存在となってしまいます。

しかし、どの城跡にも分かりやすい遺構の看板があったり、模擬であっても何かしらの復元がなされていたり、各エリアでしっかりと観光の起爆剤として行政が力を入れている印象でした。

今回の城巡りでは山城の魅力に気付くことができました。

城×食事

地元にも観光の方にも人気の、とんかつ亭有家さんでランチ。
創業1981年の老舗

人気メニュー、わらじとんかつ定食に海老フライを単品オーダー。
衝撃的な大きさのとんかつ!しかし、三種類のソースがあるので味変しながらペロリと完食。



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久留里城@千葉県

2023-11-23 11:00:00 | その他城
2023年11月23日

千葉県城巡りの旅、三城目は君津市に移動して久留里城にやってきました。

久留里城の起源は不明とされていますが、中世には里見氏、近世では黒田氏など多くの城主を迎え入れた城。明治維新後の廃城令まで存在していました。

天守があったとされ、天守台跡がしっかり残っているようですが、昭和53年に天守台の脇に復興天守が建てられ、天守台は大事に保存されています。



車で入り口を上がると無料の駐車場があります。
駐車場にある売店で御城印も売っています。



まずはゆっくりと歩きながら二の丸跡に向かいたいと思います。

割と急な勾配の上り坂です。



ちょうど紅葉の時期なので、紅葉も綺麗に色付いています。



まずは、上がってすぐに堀切を見ることができます。
崖崩れを起こさないように、舗装されていますが、この堀切をしっかり残したあたりは素晴らしい。

逆に言えば、こんなに堀切の形がハッキリと分かりやすく、真下から覗くことは普通ならできないのでこれはレアスポットです。

当時はこの堀切がある尾根が通り道だったようですね。









整備された道の脇には曲輪がいくつか広がります。


二の丸跡の下にはお玉ヶ池があります。



二の丸跡の向かい側には鶴の曲輪という名称の曲輪があります。

細長い形をした曲輪なので、鶴の頭に似ているからという理由でしょうか。

この曲輪の周りは全て切岸となっていて、急な崖です。





二の丸跡には無料で入れる資料館があります。

そして、ここまで登って気付いたのですが、令和5年の地震によって天守閣の鯱瓦などが破損落下したことにより天守閣には入場禁止。

さらに令和6年の台風によって天守閣に向かう道が崩落したことにより、天守閣に向かう二の丸から先は立ち入り禁止区域となってしまいました。



ひとまず、二の丸脇の眺望台にて景色を眺めます。







山々に囲まれたエリア。この麓には三の丸があったようです。

ここから先には行けないので、せっかくですから降城して三の丸の方に向かいます。



三の丸あたりからの景色。

左手には先ほどの資料館。右手には少しだけ天守閣が見えます!



二の丸後の資料館にいらしたスタッフさんに聞いたら、現在天守閣が見えるのはここだけのようです。



三の丸の前あたりにある手前の林には、当時は水堀があったようです。

一般的な中世の山城だったと思われますが、近世になるにつれて拡張されて中世とミックスしたような城郭だったのではないかと想像してしまいます。

忘れ去られた城がたくさんある中で、天守まで建てて現代まで歴史を守ってきた君津市だから、きっと再建してくれると信じています。

そして、また行ける日を一つの楽しみにしたいと思います。



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稲村城@千葉県

2023-11-22 16:00:00 | その他城
2023年11月22日

千葉県城巡りの旅、ニ城目は稲村城。

結論から言いますと、館山城に行ったなら稲村城に是非寄って欲しい!

稲村城は里見氏三代、義道が居城とした城とされています。1533年頃に廃城になりましたが、それまでは里見氏の本城だったと言われています。

2012年には国指定跡に指定されています。

館山城からは車で10分程だったと思います。

国道128号線を走っていると、リサイクルショップベイツーというお店があります。
その手前を曲がると、内房線の電車が走っています。

そこに車を止めることができ、登城口までは歩いて5分程です。

看板がないので少々分かりづらいですが、城跡の近くに来ると丁寧な案内看板があるので分かりやすいです。



約64mの小高い山に稲村城はあります。
天気は快晴。山城巡りには絶好な日です。



ススキを眺めながら田んぼ道を進みます。



ここが稲村城の登城口です。



水往来と言い、切通しで徐々に高さを増していき、最終的には大人の身長程の高さになりました。



森に入ると岩を切って道を通しています。
自分の身長よりも高い岩の間を通り抜けるので、その素晴らしさに圧倒されます。



廃城になってから、いくつもの時代が経っていますが、状態も良く貴重な遺構だと思います。



水往来を抜けると中郭部に出ます。
この中郭部の反対側にも水往来があり、本来なら登城口になっているのですが、現在は通行ができないとネットにあったので断念。



一応、降城後に反対側からの景色だけ撮影しました。

中郭部を90度曲がると主郭へと続きます。
案内看板があるので、迷うことなく先に進むことができます。



右手には何段にも折り重なった曲輪があり、下まで見下ろすことができます。



横から見ると巨大な半円を描いています。

もし稲村城を攻める場合、この半円の中に追い込まれたら逃げようがないなと、妄想しながらしばらく眺めます。



周りには竹も多く生えていて、こんな山道を歩いていると、小学生の時によく森を探検したり秘密基地を作ったことを思い出します。



山城では定番の堀切。

尾根をあえて切り落とすことで、敵が簡単に通れなくなります。

中世の城郭らしさが至る所にあり、見どころが満載です。



堀切を通り越し、最後の坂を登り切れば主郭部になります。



最後は虎口となっていて、最後の最後まで中世城郭らしさを見せてくれます。



主郭部は広く壮大。
北側と西側は急斜面の要害になっていて、防御機能に優れた城です。





主郭部の尾根側は土塁で固められています。



写真では分かりづらいですが、高さもそこそこある立派な土塁でした。



北側には滝川が流れており、外濠の役割を果たしているようです。



海も見えて絶景。
この景色、いつまでも見ていられます。

しかし、当時はここで里見家内での激戦が繰り広げられた城でもあります。

廃城になって表舞台から消えた城ですが、これだけの遺構が残っていることで、国指定跡にもなり時空を超えて、現代で魅了し続けています。

案内看板や、遺構の説明看板もあるので分かりやすいですし、道も整えられているので、その細かな努力に感服しました。

観光でも行きやすい館山城とは別の魅力があり、中世の城郭を存分に楽しむことができます。


城×食事
帰りは南房総市の御食事処わたなべさんで美味しい海の幸を頂きました。






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館山城@千葉県

2023-11-22 14:00:00 | その他城
2023年11月22日

千葉県城巡りの初陣は館山城からスタートです。

以前は館山市、南房総市、鴨川市、鋸南町を安房国と呼び、里見氏が室町時代から戦国時代、江戸時代にかけて支配しており、今もこの地に根付いています。

そして、館山城は里見氏最後の居城だった為、終焉の地となっています。

館山城は現在城山公園となっていて、本丸跡には模擬天守が建っており、八犬伝博物館になっています。

麓には無料の駐車場もあり、公園としてしっかりと整備されている印象です。



麓の駐車場あたりからのショット。
天気にも恵まれて模擬天守が映えます。



まずはメインとなるコースから入場していきます。

道も整備されていて歩きやすいです。
掲げられた幟が雰囲気を高めてくれます。



遺構かは不明ですが、向かう途中の道の両サイドは切岸のような急な斜面になっています。



桜も植樹され、春には最高のお花見スポットになっていると思われます。



山頂には望楼型の模擬天守が建っています。
模擬天守でもやはり城の外観はカッコいい。



山頂本丸からの景色は絶景。



天守閣風建築物の最上階からの景色は絶景です。



海と山に囲まれた城です。



この辺りの一帯は、古戦場跡や城跡、陣屋など歴史の宝庫です。



大陸の形がハッキリと分かります。

城で絶景を見るといつも思うのですが、時代が変わって街並みがどんなに変わっても、海や山などの自然は昔から変わらない。

この景色を戦国の武将達も見ていたんだろうな。と考えるだけでずっと眺めていられます。



模擬天守から見た本丸跡。
本丸を囲むように腰曲輪があります。

帰りに寄ってみよう。



帰り道は来た道と反対から一旦下山します。
別ルートは大きな堀のような土塁のようになっていて、道が整備されています。



段々になっていて、高さも結構あります。

一旦、下山してからは山の周りをグルっと周りつつ八遺臣の墓側から再度、登城します。



こちらの登城口は道も狭く山道です。
こちらの方が山城感があってテンションが上がります。



至る所に曲輪があります。

館山城はほぼ遺構が残っていないらしいのですが、それらしきものを見るとお宝を発見したような高揚感が押し寄せます。


こちらは櫓台跡。

この場所はネットで事前に調べてから行ったのですが、模擬天守にいるスタッフさんに聞いても櫓台跡は分からないと言っていたので、櫓台跡としての認識は浸透はしていないようですね。

再度、模擬天守のある本丸跡に行き、最初に登城したポイントから下ります。



切通し?堀?


本丸を囲むように曲輪が広がっています。
腰曲輪と呼ばれ、山城ではよくあるスタイル。

山城の弱点でもある城の左右の防御を高める役割があります。



標高70mほどの小さな山なので、地元の方のハイキングコースにもなっているようです。

観光客も意外と多くて驚きました。

江戸時代に破却され、歴史的遺構が少ないと言われる館山城。
日本には忘れ去られた城も多くあります。

しかし、模擬天守でもここに天守があるだけで人は集まり、歴史は受け継がれます。

それだけで模擬天守には価値があるのかもしれません。

館山城は今は公園なので綺麗に整備されていますが、城の裏側は山城っぽさもちゃんと残っているので面白い城跡でした。

城×食事
近くにある道の駅とみうらで浜焼きを食べました。
房総半島は海の幸も豊かで素晴らしいエリアです。





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上山城@山形県

2023-11-03 17:00:00 | その他城
2023年11月3日

東北城巡り五城目は、山形県にある上山城。
最上氏の最南端の城塞で、伊達家や上杉家との攻防の舞台となった地でもあります。

山形城からは車で20分程。

山形県上山市にあります。

上山といえばやはり温泉。
城下町は温泉街となっていて、すこぶる雰囲気が良いです。

そんな、かみのやま温泉の小高い丘に上山城があります。

当時の遺構はほんの一部を残すのみとなっています。

上山城の始まりは南北朝時代。
その後、同じ山形県にある米沢を当時は納めていた伊達家と、この城を取られたり取り返したりを繰り返し、戦国末期は最上義光が納めました。

江戸時代は藩主が次々と変わりつつも、上山藩は幕末まで生き残りました。

昔は本丸に三重の天守、各所に櫓門がある近世城郭だったそうです。

現在は、二の丸跡に模擬天守が建っています。

城の内部は上山市の博物館です。



この日はちょうど城祭りだったようで、甲冑を着た武将隊がたくさんいました。

模擬天守自体には歴史的な価値が少なくとも、歴史を伝え続けるスポットとして存在しているのでそれはそれで素晴らしいことだと個人的には思います。



模擬天守の最上階からの景色は絶景。
夕暮れが近く太陽が低かったので、出羽の山々とリンクして素晴らしいショットに!







上山城に上がってきた道。
虎口になっています。



西内堀は、堀の唯一の遺構です。
上山城は明治維新後、堀なども埋められた為、このほんの一部のみが残っています。





裏から見た上山城。
模擬天守ではありますが美しいです。

温泉街なので、観光で来る方も多い地だと思います。

観光に来た方にも上山市の歴史を伝える場所。そして、地元のシンボルとして愛されています。

ちょうどお祭り日だったので、小さな子どもたちも多くいて楽しんでいるシーンを見て、ほのぼのしました。


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