城好き設計士の放浪

日本の城、歴史的建造物の旅日記
※個人的観点

山崎城@京都府

2023-12-10 15:00:00 | その他城
2023年12月10日

関西方面の城巡りニ城目は京都にある山崎城です。

明智光秀が本能寺の変で織田信長を打ち、備中高松城(岡山県)にいた羽柴秀吉が中国大返しと呼ばれる凄まじいスピードで戻って明智軍と戦いました。

その際にこの天王山付近に羽柴秀吉は陣を張り、明智光秀に勝利。

羽柴秀吉は標高270mの天王山の山頂に山崎城を築きました。

天主もあり、高層建築物があったとされています。

翌年、大阪城の工事が本格化したことで山崎城は破却。時の城となりました。



勝龍寺城のあるJR京都線、長岡京駅から一駅。山崎駅が搭城口の最寄駅となります。

ローカルな駅。
この一帯は山崎合戦で激戦を繰り広げた地であるものの、今はすごくのどかな街並み。

京都の駅から比較的近いのに、景色が変わります。



この山崎駅から歩いて5分ほどで、天王山の登山道に到着。





京都では紅葉真っ盛りで、紅葉が色付いています。素晴らしいタイミングでの訪問でした。



上り口から歩いて10分ほどで宝積寺に到着です。
ちなみに、この金剛力士像は鎌倉時代のもので重要文化財となっています。

さらに、山崎合戦で羽柴秀吉が本陣を置いた場所がこの宝積寺とされています。

山崎城にはこの本堂の脇から入城します。



金剛力士像の門をくぐると、三重塔が現れます。
一夜之塔と呼ばれ、別名は秀吉一夜造りの塔です。

山崎合戦で勝利した秀吉は合戦で亡くなったものたちを弔うために、一夜で建立したという逸話が残っているそうです。

出だしから見どころが満載です。


宝積寺の本堂脇から標高270mの天王山の山頂。山崎城へ向かいます。



険しい道ながらも整備されているので登りやすい。
しかし、それなりに登山の心構えが必要です。







登り始めてから約20分くらいかな。
休憩のできる広い曲輪が現れます!

そこからの景色は絶景。
ここで事前に買っておいた、おにぎりを食べながら休憩ー。



山の8合目あたりに石碑があります。



そして石碑の近くには展望テラスがあります。
この松の木に羽柴秀吉が志気を高めるために旗印を掲げたと言われています。



展望テラスには布陣の説明もあるので、照らしながら景色を眺めると、一層当時とリンクできるので何時間でもこの景色を見ていられます。





絶景です。この景色は「京都の自然二百選」に選出されています。



いよいよ山頂まであと少し。
自玉手祭来酒解神社の鳥居をくぐります。



神社の神輿庫。こちらも重要文化財で、鎌倉時代中期の建築物です。



神殿の脇を進んで、山頂を目指します。



向かう途中、幾つもの曲輪や土塁などがあります。
堀切のような遺構も見つけられました。

山城感があって素晴らしい。想像を膨らませながら、遺構を探すのが山城の楽しみ方。





主郭が近づくにつれて、虎口になっていたりと防御機能も増えて、雰囲気が出てきて心が躍ります。





やっと主郭部に到着です!
ゆっくり登って1時間弱でした。

山城だから味わうことのできる、攻略後の達成感!



秀吉が築城してから、すぐに破却された城ですが、石垣などの遺構が所々に残っています。

秀吉は天下を統一して、家康が天下を取った後も豊臣家の影響力が強かった故、秀吉が作った城は壊してさらに大きい城に作り変えられたりしたので、あまり遺構が残っていないんですよね。

そう考えると、この山崎城は貴重な歴史の足跡といえます。

破却されて歴史の表舞台から消えた城だからこそ、遺構が当時のまま残っています。



標高270mのこんな険しい場所によく高層建築物を作ったなと感じます。





天主のあった場所が天王山の山頂となります。主郭よりも若干小高くなっています。



天主を囲むようにいくつも曲輪が広がります。



井戸の跡も残っています。
この標高なので水は出ないので、ここで溜めていたと推測されています。

標高が高い山城ほど防御は最強ですが、生活に必要な物資や水の確保は重要課題です。

帰りは登ってきた道を素直に下りました。
帰りは15分〜20分程度で下山できました。

本能寺の変後に天下を決める大一番となったのが、この天王山付近で起きた山崎合戦なので、そんな重要な一戦の事を、「天王山」と呼ぶようになったと言われています。

山崎城は天下を左右した情景に思いを馳せながら絶景を楽しむことができるのでオススメです。

山道には秀吉が天下を取るまでの軌跡を案内看板と共に学ぶこともできます。

山崎合戦を明智光秀側の陣から見るなら勝龍寺城、羽柴秀吉側の陣から見るなら山崎城。

歴史の分岐点を一日で同時に楽しむことができるエリアでした。



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