3.探訪レポート
2021年7月20日(火) 北陸ツアー下見1日目<越中探訪>③
この日の探訪箇所
稚児塚古墳 → 富山市考古資料館 → 王塚古墳および各願寺 → 勅使塚古墳 → 富崎墳墓群 → 富崎千里古墳群 → 勝興寺(越中国府跡) → 柳田布尾山古墳および古墳館 → 桜谷古墳群 → 越中国分寺跡
富山市考古資料館を見学した後は、いよいよ本格的な古墳めぐりを開始しますよ。
王塚・千坊山遺跡へ向けて車を走らせていると、前方に多摩の横山のような丘陵が見えてきました。
呉羽山丘陵です。
ツアーでは王塚・千坊山遺跡群を銘打っていますが、広い遺跡群の中のどこを案内するか、実地踏査をしながら考えようと思います。
もっとも魅力的なのは、王塚古墳と勅使塚古墳という2基の前方後方墳です。
そのため、まずはその2基を訪れることを前提に周囲を調べてみますが、大型バスが停められる場所を探さなければなりません。
やってきたのは「富山市婦中ふるさと自然公園」の駐車場です。
駐車場への進入路は、道幅は大丈夫であるものの樹木が枝を道のほうに張っているため高さがちょっと心配ですが、他に止められそうな場所はありません。
ひとまず周囲の看板を見て情報収集です。
ここから王塚古墳は歩くとしたらちょっと遠い。
先日、久留米に行った時も話が出ましたが「曲水の宴」をやったんですね。
ウォーキングコースの看板も時には参考になります。
王塚古墳に行くのは古墳にもっと近い停車場所を探す必要がありますが、せっかくですから各願寺に参拝してから行ってみましょう。
各願寺は、北叡山と号する真言宗の寺院です。
本堂はこちらで、本尊は薬師如来です。
文化財の説明。
縁起はこちらに書いてありました。
不動堂。
ところで、先ほど訪れた富山市考古資料館の展示パネルで遺跡全体と現在の場所を確認しておきましょう。
遺跡群全体はこんなに広いんです。
その中でも、これから歩こうと思っている王塚古墳や勅使塚古墳の周辺はこのようになっています。
では、王塚古墳に近接するため、もう一段高い場所にある「ふれあい広場」の駐車場へ車で移動します。
来てみると現地は今でも駐車スペースはありますが、進入路の枝も張り放題ですし、あまり積極的には利用されていないようです。
でもとりあえず、ここから古墳へ歩いて行ってみます。
東側には富山平野が見えますね。
茶色い建物は「ふるさと創生館」ですが、古代史ツアーとは関係がないので訪れません。
というか、人気が感じられません・・・
道路には案内図があります。
案内図に書いてあるかんぽの宿は現在はやっていません。
さらに先へ行くと王塚古墳の看板が見えました。
やはり、この辺では最高所に位置します。
標柱発見!
でも説明板のほうへ行ってみますよ。
ここに書いてある通り、王塚古墳は墳丘長58mの前方後方墳で、前方後方墳としては北陸で4番目の大きさを誇ります。
築造時期に関しては、このあと訪れる予定の勅使塚古墳よりも遅いとされており、そうなると4世紀前葉でしょうか。
説明板には「約1700年前」とありますが、『王塚・千坊山遺跡群』(大野英子/著)でも具体的な築造年代は記されていません。
墳丘図はご覧の通り。
方位は図の左下のコンパスを見てください。
説明板の場所から木の枝を避けつつ下草を踏みながら古墳へ近づくと、私が一番好きなアングルの場所に出ました。
手前が前方部、奥が後方部ですよ。
東側に回ってみます。
真夏にしては歩きやすい方ですし、墳丘にも登りやすいです。
前方部には段築は認められず、これは前方後方墳ではありがちです。
後方部を見ると傾斜がストレートではないですが、これは段築があったあとではなく経年劣化だと思われ、墳丘図の等高線を見ても段築らしきものはありません。
前方部の墳頂。
後方部に登りますよ。
中規模の古墳ですが、前方部を見下ろすと前期の古墳らしく結構な高低差があります。
前方後方墳に登ったら絶対にチェックするべき箇所が、後方部のエッヂ部分ですよ!
おー、角が決まってますね!
王塚古墳は歩きやすくていい古墳です。
周堀は全体にはめぐっておらず、西側には浅く堀状になっているためそれが周堀跡かもしれません。
墳丘図を見ると後方部西側には造出様なちょっとした張り出しがあるでんすよね。
王塚古墳の史的意味付けなどについては、王塚・千坊山遺跡群を全体的に訪れてから語ろうと思います。
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4.補足
5.参考資料
・『王塚・千坊山遺跡群』 大野英子/著 2007年