日本史大戦略 ~日本各地の古代・中世史探訪~

列島各地の遺跡に突如出現する「現地講師」稲用章のブログです。

稚児塚古墳|富山県中新川郡立山町 ~径46mを誇る富山県最大の円墳~

2021-07-27 15:48:02 | 歴史探訪
 

3.探訪レポート                         


2021年7月20日(火) 北陸ツアー下見1日目<越中探訪>①



この日の探訪箇所
稚児塚古墳 → 富山市考古資料館 → 王塚古墳および各願寺 → 勅使塚古墳 → 富崎墳墓群 → 富崎千里古墳群 → 勝興寺(越中国府跡) → 柳田布尾山古墳および古墳館 → 桜谷古墳群 → 越中国分寺跡


 最近は北陸新幹線に立て続けに乗っています。

 北陸新幹線は、今までは全然なじみが無かったのですが、最近急に北陸新幹線の沿線と縁ができてきたようです。

 今日は「かがやき501号」にて富山を目指しますよ。

 遊びじゃなくて仕事です。

 「かがやき501号」が大宮を出るのは6時41分ですから、家を出る時刻は少し早いですが、それでも乗り継ぎがよくて意外と楽に来れます。

 新幹線に乗り込むと、車内はガラガラ。

 車内で今回の下見の予習をしていると、あっという間に軽井沢を通過し、長野に到着しました。

 かがやき号は大宮の次は長野に停まり、つづいて富山、そして終点の金沢です。

 長野を出てしばらくすると、右側車窓に海が見えてきました。

 私の席は山側ですが、お客さんがほとんど乗っていないので窓側の席に移動して海を眺めます。

 ときたま撮影。



 夏の日本海はすごく綺麗。

 8時半に富山に到着しました。

 かがやき号に乗れば、大宮から1時間50分ほどで富山に来れちゃうのだ。

 すごいね。

 お、路面電車!





 普段見慣れないものを見られるのは嬉しい。





 タウンワークには私も昔よくお世話になりました。



 ちなみに、ご高齢の方のアルバイトは、男性の定番が警備員で女性の定番が清掃員ですが、男性であっても清掃の仕事をお勧めしたいです。

 清掃の仕事は1日中手を動かして作業をしていますから、時間が経つのが早くて、それなりの充実感を得られますよ。



 あ、路面電車を見てはしゃいでいる場合じゃないですね。

 レンタカー屋さんに行かなければ。

 さて、本日は富山県内をめぐりますが、その一発目は稚児塚古墳です。

 主たる目的地は富山駅から西の方なんですが、稚児塚は反対の側にあります。

 でも、車ならそんなに遠くないので寄ってみましょう。

 まったく土地勘がない場所を走るのも楽しいですね。

 ダスキンの時は毎日のように車を運転していましたが、いまはこういった時しか運転できないため、運転も楽しむようにしています。

 常願寺川を渡り、しばらく車を走らせていると右手前方の住宅の向こうに古墳の杜らしきものが見えてきました。

 右折して直進すると・・・



 あれですね。



 古墳へ向けて突進していきます。

 ・・・あれ、なんだこの踏切は!

 異様に幅が狭い。

 自動車通行禁止の標識があります。

 「小特は除く」と書いてありますが、こういう標識は見たことがない。

 仕方ないですね。

 古墳側から見た踏切。



 この幅は普通の車は無理ですね。

 ナヴィはこの踏切を渡るように指示してきましたが、こういう罠がいきなり現れますから、古墳めぐりは一時も油断できません。

 でも南側から線路沿いに普通に来れますからご安心ください。



 ご安心くださいって、誰に言っているのでしょうか。

 墳丘の周りは周堀の跡がはっきり分かります。





 説明板がありました。



 これによると、稚児塚は、径46.8mのやや大型の円墳で、県内で唯一葺石が葺かれた古墳だそうです。

 先ほど見たのは周堀に間違いないようで、四角形が優勢な北陸地方においては特殊な存在、というかもろにヤマト王権の影響を受けた古墳といえるのではないでしょうか。

 墳頂には階段がついてます。



 お、こちらの説明板はすごい文章量!



 渾身というか入魂の説明です。

 ※註:おそらくこれを書いた方は多くの方に読んでいただきたいと思っているはずなので、読みやすいように分割して写真を掲載します(著作権の関係などで問題がありましたらご連絡ください)。



 付近には多くの古墳があるようで、そのなかでも稚児塚がメインとなるようなことが書かれており、また近辺では条里制の名残も見られるようです。

 では続き。



 武内宿禰の伝承がこの地にあるのも面白いですし、宿禰の子の藤津という人物が出てくるのも興味深いです。

 坪井庄(ママ)五郎先生の名前も登場しました。

 最終ブロック。



 気合一発で一気に書き上げた雰囲気を持っていますね。

 ここまで長文の説明板は珍しく、探訪する側からするととてもありがたいです。

 では、墳丘に登りましょう。

 墳頂にはフェンスで囲まれたものがありますが、こういうのって大抵石棺とかそういう・・・



 切り株だった!



 説明板に書いてあった老杉ですね。

 墳頂。





 登ってきた階段を見下ろします。



 2段築成になっているように見えますよ。





 やたらに角のとれた石が転がっていますが、葺石かな?



 では、墳丘を降ります。

 少し離れて古墳を撮影。



 古墳の前には、富山地方鉄道立山線の線路があるので、電車来ないかなあ?と期待しているのですが、なかなか来ませんねえ。

 それにしても良い天気だ。

 今日も気持ちよく遺跡めぐりができそうだぞ。

 ⇒この続きはこちら

 

4.補足                             


 帰宅後に『稚児塚古墳 第1次発掘調査報告』(立山町教育委員会/編・1994年)を読みましたが、それによると、墳丘の大きさは以前から言われている通り、径46mで変わらないようです。

 段築に関しては私は現場で2段だと思ったのですが、3段の可能性が高く、全山盛り土で造られ、周堀の幅は約17mあります。

 築造時期に関しては決定材料となる遺物が見つかっていないため断定はできませんが、構造を見ると5世紀中葉から後葉としています。

 

5.参考資料                           


・現地説明板
・『稚児塚古墳 第1次発掘調査報告』 立山町教育委員会/編 1994年



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