日本史大戦略 ~日本各地の古代・中世史探訪~

列島各地の遺跡に突如出現する「現地講師」稲用章のブログです。

【AICT】稲用章の現地講座の予定(1月19日更新)

2022-01-19 02:31:54 | 稲用章のツアー・座学情報
 ⇒稲用のプロフィールはこちらです(ちょっと内容が古いですがそのうち更新します)。

 AICTの現地講座では、今月から国分寺跡シリーズを展開しています。



【現地講座とは】

 列島各地の遺跡や博物館等の施設を探訪しながら開催する古代史講座です。

 ツアーとの違いは、ツアーの場合は新幹線やホテル、食事などを旅行会社が手配してパッケージの商品として提供しますが、
現地講座の場合は、現地との往復のチケットや宿泊施設の手配はお客様ご自身でやっていただき、
現地での移動は徒歩と公共交通機関を基本とし、食事も原則自由食であり、
ツアー(旅行)の定義には当てはまらないため、「現地講座」という聴きなれない言葉を敢えて使っています。



 来月2月は、「相模国分寺跡&秋葉山古墳群」と題して相模国分寺跡、相模国分尼寺跡、秋葉山古墳群、上浜田古墳群などにて現地講座を行います。




※現地説明板を撮影


※現地説明板を撮影

 前回訪れたのは2年前でしたが、そのときは新しい石碑や説明板を設置しているところでした。



 東日本最古の水路跡も見学します。



 開催日は、2月25日(金)と26日(土)です(両日とも同じ内容ですので、どちらかの日にご参加ください)。

 本講座はどなたでもご参加できます。

 詳細および参加申し込みは、AI Worldの以下のページをご覧ください。

 ⇒AI World「相模国分寺跡&秋葉山古墳群」のページ

 なお、参加を希望される方は、応募前に下記のページで諸注意事項をお読みいただいてご理解いただいた上でご参加ください。

 ⇒古代史「現地講座」について

 他の現地講座に関しては、以下の「現在募集中の現地講座一覧」に掲載しています。
 
 ⇒現在募集中の現地講座一覧



※遺跡めぐりに行くときは、スニーカーよりもできれば下記のような軽登山靴の方が安全で快適ですよ。





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港川遺跡・平和の礎・那覇市歴史博物館|沖縄県八重瀬町・糸満市・那覇市

2021-12-30 00:41:46 | 歴史探訪
 ⇒この記事の前の「サキタリ洞遺跡(ガンガラーの谷)」はこちら

 それでは、サキタリ洞遺跡(ガンガラーの谷)に住んでいたかもしれない港川人が見つかった港川遺跡へ行ってみましょう。

 遺跡は現在工事中ということですが、崖の裂け目(フィッシャー)は橋の上から見ることができるということなので、その橋を目指します。

 車を走らせてすぐにその橋に到着しましたが、車を停める所はありません。

 なんとか邪魔にならないところを見つけて駐車して現地を見に行きます。

 ここだ!



 あのフィッシャーで完形に復元できた人骨5体などが見つかったのです。

 日本人のルーツに興味を持ってからずっと来たかった場所に来れました。

 現代は海のすぐ近くで、こういう風景だったんですね。



 なるほど、遺跡は現在整備中です。



 さきほどいたガンガラーの谷はどの辺なのだろうか?





 5体の人骨のうち、1号人骨のみ男性でしたが、身長は155㎝で、肩幅が狭い上半身が華奢な体形でした。

 ※このあと八重瀬町立具志頭歴史民俗資料館の方に聴いたところ、現在みられるフィッシャーはかなり埋まっていて、人骨発見地点はさらに20mも下だったそうです。







 もうすぐ完成しますよ。



 完成したらまた来ないと。

 それではつづいて、港川遺跡について詳しく説明しているという八重瀬町立具志頭歴史民俗資料館へ行ってみましょう。





 館内は撮影禁止でした・・・

 でも念願の港川人に対面できて嬉しい。

 この資料館は、港川遺跡について詳しいですが、他には太平洋戦争の展示も豊富です。

 写真撮影が禁止だとテンションが下がるし、記憶にも残らないんですよね・・・

 せっかく沖縄に来たということで、戦死したお祖父ちゃんの名前が刻まれている「平和の礎(いしじ)」にも行ってみます。

 きれいな公園です。



 かなり前に伯母が訪れて写真を撮ってきたのを見せてもらったことがあります。



 ちゃんと検索コーナーがありますよ。



 良かった、出てきた。



 図書館のシステムのように名前が刻まれた場所が書かれた紙が印刷できます。

 その紙には戦死の場所や日付が書かれる欄があるんですが、祖父の場合は空欄になっていました。

 いつどこで戦死したか分からないようです。

 昔、祖母に聴いたところでは、沖縄島で戦って死んだのではなく、沖縄に向かう船が撃沈されてしまったらしいのですが、祖母のもとに送られてきた白い箱の中には遺骨は無く、石が一つ入っていたそうです。

 沖縄に向かう途中に亡くなった場合も平和の礎に刻まれるのか分かりませんが、もう詳しいことは分かりません。



 この辺のはず。



 いた!



 「いた」とか言うと祖父に失礼ですが、不思議と対面した気持ちになります。

 ここも懸案の場所だったので来られて嬉しいです。

 亡くなった当時、祖父はまだ30代で、職業軍人ではなく徴兵されての出陣でしたが、幼い子供たちを家に残して戦いに行くというのはどういう気持ちだったのか。

 想像しかできませんが、戦争末期の頃の話ですから、戦って勝てるとは思っていないはずで、行きたくなくても国家の命令なので行かざるを得ず、ほとんど諦めの心持ちだったと思います。

 せっかくなので海を見に行きます。

 修学旅行の子供たちが大勢いますよ。



 おー、綺麗な海だ!











 それでは本日最後の探訪地である那覇市歴史博物館へ行きます。

 デパートから繋がっていますよ。





 ここの常設展示コーナーは「撮影OKマーク」が付いている場所のみ撮影可能です。



 でも、考古関係はないですね。

 考古関係は明日埋文センターに行きますので、そちらで見ます。

 琉球王・尚家のコーナーは撮影可能です。

















 玉冠はレプリカです。





 エントランスには特急「なは」の展示がありました。





 たかお食堂のマスターが好きそうなものが並んでいます。



 私も好きですけど。



 小学生のときに読んだ本に、沖縄には電車がないため、沖縄県の人がせめて沖縄の名前を付けた特急を走らせたいと願って実現したというようなことが書いてあったのを記憶しています。



 昔は路面電車がありましたし、今はモノレールが走っていますね。

 ※今回の旅ではモノレールに乗ってみたかったのですが、時間の都合で乗れなかったです。







 以上で本日の探訪は終了。

 今夜泊まるホテルへ向かいます。

 いつもの東横インと思いきや、今晩はハイアットリージェンシーですよ。



 私の場合、原則として東横インかルートインで、たまにドーミーイン、運よく安ければカンデオです。

 そんなわけでハイアットは以前から泊まってみたかった憧れのホテルなのです。







 さすが、調度品が良いですね。



 ツインの部屋の場合は、掃除をする人のことを考えて使わないベッドには触りません。



 景色を見てみよう。



 街中なのでかなりのゴチャゴチャ度合いです。



 緑がほとんどないですね。



 なんとなくブレードランナーの世界。



 夕食は、沖縄料理を食べながらライヴが見られる「海音(みおん)」です。

 現地で飲むオリオンの生は格別!

 料理もどれもこれも美味い。

 しばらくしてライヴが始まりましたが、ライヴを見ること自体かなりしばらくぶりです。

 三線とギターのデュオで、沢山の歌を聴くことができて嬉しい。

 音楽を聴きながら飲むお酒はとても美味しく、オリオン生を3杯飲んだ後、泡盛をロックで4杯飲み、最後はハブ酒を飲みました。

 久しぶりに飲み過ぎた!

 歌も料理も良かったです。

 このお店、また来たい。



 部屋に戻って夜景観察。



 パトカーは飛んでいません。

 最高の一日でした。

 (2日目につづく)

 ⇒この記事の前の「サキタリ洞遺跡(ガンガラーの谷)」はこちら



サキタリ洞遺跡(ガンガラーの谷)|沖縄県南城市

2021-12-29 00:54:39 | 歴史探訪
 ⇒この記事の前の「沖縄空撮および島添大里城跡」はこちら

 美味しい沖縄そばを食べて、腹ごしらえもバッチリということで、本日のメイン探訪地であるガンガラーの谷へやってきました。



 たまにガンガラーの谷のことを、「ガンガーラの谷」と呼ぶ人がいますが、それはすなわち、GODIEGOの「ガンダーラ」の影響であり、世代がバレてしまいます。

 私は確かあの頃は保育園児だった・・・

 ガンガラーの谷は観光スポットととして著名ですが、古代史マニアの間では「サキタリ洞遺跡」という遺跡名で有名です。

 ただし、勝手にひょろっと侵入して見学することはできず、入場料を支払って、きちんとガイドの方の説明を聴きながら歩くシステムになっているので気を付けましょう。



 大きな洞窟が口を開けていますよ。





 ガイドの開始時間まではカフェで寛いで待機します。



 本物の洞窟の中にいますが、なんて快適なんだろうか。



 もちろん整備してこういうふうになっているために居心地の良さが増しているのだと思いますが、洞窟遺跡のイメージが覆りました。

 違う組のガイドが始まったようです。



 少しして、私が属する組の番が回ってきました。



 最初は椅子に座らされて全体的な説明があり、ついで、用意されたさんぴん茶の入った水筒を持って探訪開始です。

 多くの参加者は「ガンガラーの谷」を楽しむために来ていると思いますが、私はサキタリ洞遺跡が気になります。

 こちらがその発掘地点の一つです。





 この地点から見つかった遺物。



 沖縄県最古の石器が1万4000年前というのにはビックリしました。

 というのも、1万4000年前って本土ではもう縄文時代ですから、沖縄って旧石器時代には石器が見つかっていないということになるじゃないですか。

 旧石器時代なのに石器が見つかっていない。

 沖縄には港川人をはじめとして、旧石器時代の人骨が多数見つかっているわけですが、彼らが使っていた石器は見つかっていないんですね。

 ※最古の釣針などの出土遺物はこの翌々日に訪れた沖縄県立博物館でレプリカが展示してありました。





 なお、洞窟入口側のビニールシートを被らされている場所も発掘地点です。



 では、出発!

 洞窟から外に出て谷へ降りていきます。



 うわ、太い竹!



 というか、あらゆる植物がでかい。

 今はオープンスペースになっているこの谷沿いの場所も、はるか昔は洞窟の中だったそうです。

 というのも崖に鍾乳石が見えますが、鍾乳石は洞窟の中でしか生成されないため、崖にそれが見えるということはこの場所が洞窟の中であったことの証拠になるわけです。



 でかい葉っぱ。



 イモの仲間だそうですが食べられないそうです。

 ガジュマルが現れました。



 ガイドさんが唐突に「ガジュマルは歩くんです」と言いました。

 禅問答でも始まるのかと思いましたが、ガジュマルは移動する植物だそうです。

 というのも、この植物は気根が地面に向かって垂れ下がっていきますが、それが地面に付くと幹化して養分を吸収してしまうため、もともと幹だったものが枯れてしまい、そのため樹木自体が前進するというわけです。

 私は植物に関してはほとんど知らないため、こういう説明を聴くのはとても楽しい!



 つづいて良縁や安産のご利益があるというイナグ洞へ。





 さらに谷の奥へ進んでいくと、またも洞窟が現れました。



 イグナ洞は女性の洞窟でしたが、この奥はイキガ洞という男性の洞窟だそうです。





 ガイドさんが用意してくれたランタンを持って奥へ行きます。





 洞窟から出て、岩のトンネルを潜ります。



 見事なガジュマルが現れました。



 大主(ウフシュ)ガジュマルと呼ばれています。









 気根が垂れ下がって地面に張り付いて幹化している状態。



 迫力満点。



 岩をガッチリと掴んでいるように見えます。



 植物の根を張る力ってすごくて、横穴式石室でも木の根の力によって何トンもの石が動かされてしまうんです。





 ツリーテラスへやってきました。



 ここからは港川遺跡が見えるそうです。



 海の方に橋が見えるのですがその右側の森がそうだということです。



 ここからも歩いて行ける距離であることから、もしかしたら港川遺跡で見つかった港川人はこの谷を住処にしていたのかもしれないというガイドさんの解説はとても刺激的です。

 最後は武芸洞にてまとめのお話です。



 ここも発掘地点。

 石で囲んだ土抗墓。





 開けていますね。



 沖縄では旧石器時代の人骨がいくつも見つかっており、例えば港川人は現代沖縄人の祖となったと考える研究者がいます。

 しかしその一方で、狭い島内で人口を維持することは難しく、港川人は絶滅してしまったと考える研究者もおり、旧石器時代末期の1万8000年前の下地原洞人以降、貝塚人が現れるまで沖縄では人類の痕跡が途絶えたように見えていました。

 ところが、近年調査が進んでいるこのサキタリ洞遺跡では、1万6000年前の子供の犬歯や9000年前の沖縄最古の土器が見つかっており、沖縄の旧石器時代人が死に絶えることなく貝塚時代まで命をつないだ可能性を完全に否定することもできません。

 沖縄人だけでなく、日本人全体のルーツを調べるうえで、サキタリ洞遺跡の今後の発掘成果に期待したいです。





 しかしこの武芸洞もとても居心地が良いです。

 現代と港川人が生きていた2万2000年前は気候が違くて、当時の方が寒いですから確実なことは言えませんが、この洞窟は生活しやすかったと思います。

 今日の時点で言えば、ここに住んでもいいと思えるくらい快適です。

 たまたま良い時期に訪れたからかもしれませんが、先ほど述べた通り、洞窟遺跡のイメージが覆りましたよ。

 やはり、遺跡は実際に訪れてみるべきですね。

 そして今回はいつもと違って自分がガイドされる側に回りましたが、とても楽しかった。

 初めて見聞きすることばかりだったので、非常に好奇心が刺激されたわけですが、おそらく古墳についてほとんど知らないお客様が、私の解説を聴いたときに受ける感想と同じじゃないかと思いました。

 そう考えると私ももっと勉強したり、解説する方法を工夫したりして、お客様が喜んでくださるように努力しないといけないと決意を新たにしました。

 ⇒この記事の続きはこちら

 ⇒この記事の前の「沖縄空撮および島添大里城跡」はこちら







沖縄空撮および島添大里城跡|沖縄県南城市

2021-12-28 22:28:26 | 歴史探訪
 先日、念願の琉球へ行くことができました。

 今回はその時の模様を簡単に記しておきます。

 なお、このブログを書いている途中、泡盛を飲みたくなって開けてしまいました。

 撮ってきた写真を見ながら飲む泡盛も美味いです。

 今年は北海道から沖縄まで列島各地へ行きまくり、どの地域も面白かったのですが、もし天皇陛下から「今年のナンバーワン探訪地を決めなさい」と勅されたとしたら、沖縄を選びます。

 本当に良いところでした・・・

*     *     *


 離陸して間もなく、富士山が見えてきました。



 今日もボーイング777-200のエンジンは快調です。



 いや、快調じゃなかったら困る。

 朝日に照らされた富士山も綺麗です。



 ツアーの講師で行くときは窓側に座れることはほとんどないので、ここぞとばかりに写真を撮りまくります。



 呪力ズーム!



 南アルプスの山々が頭を雲の上に出しています。



 私の場合、飛行機に乗って西へ向かう場合は、福岡空港へ向かうことが圧倒的に多いため、その航路から見える景色は知っていますが、沖縄に行くにはどういう航路を通って行くのかな?と思って下を注視していると、出発して30分ほどしたら半島状の地形が見えてきました。



 なるほど、紀伊半島の南端の紀伊大島沖から沖縄方面に針路を変えるんですね。

 これなら操縦士も分かりやすそう。



 操縦できないくせして偉そうだな。

 熊野灘からはずっと海の上を飛んで面白くない景色が続くためしばらく監視を怠ってしまい、気が付いたらもう沖縄の島が見えていました。

 大きい島は伊平屋島です。



 伊是名島も見えてきました。



 沖縄本島には真北からアプローチするんですね。

 橋で繋がっている島は古宇利島です。



 房総半島のコンパクト版じゃなくて屋我地島ですよ。



 手前は金武湾だな。



 本日の攻撃目標、嘉手納基地に近接!



 そういう冗談を言っていると特高にマークされるからやめたほうがいいです。

 今度は普天間基地!



 ところで、私はどこに降りるんですか?

 沖縄の海岸というと、きれいな砂浜を想像しますが、切り立った崖のような場所もあるんですね。



 飛行機はかなり高度を下げていますが、なかなか着陸する気配がありません。



 でもこれはこれで遊覧飛行のようで楽しい。



 本島の南端をグルッと回るようです。



 車窓(?)からの風景を見るのが好きな私のような奇特な人は楽しいですが、こういうのに興味がない人や、そもそも右舷側の窓際に座っていない大多数の人たちは、「早く着かないかな」と思っていることでしょう。



 ようやく着陸するようです。



 はい、着陸。

 那覇空港は自衛隊も使っており、イーグルが駐機しています。



 私が子供のころは最新鋭の戦闘機で世界最強と言われておりましたなあ・・・



 当時は1機120億円と言われていました。

 最近の戦闘機のデザインは人間味がなくて好きじゃないのですが、イーグルを見ると「ジェット戦闘機のなかのジェット戦闘機」という感じがして、なんか心が落ち着く。

 詳しいことは分かりませんが、イーグルも性能向上ヴァージョンがあるようで、いまだに我が軍の主力戦闘機の地位にいるようです。

 基本的な性能や構造がしっかりしていれば、コンピューターのハードやソフトを入れ替えることによって性能は格段にアップするわけですから、イーグルはそれだけ元々がしっかりとした作りの戦闘機だということが言えましょうぞ。

 対潜哨戒機は私は海自の下総航空基地に近い場所で育ったため、よく見ていました。



 ただし、子供の頃はまだP-2Jが飛んでいて、そのうちP-3Cに切り替わりましたよ。

 個人的には旅客機のようなデザインのP-3Cより、機種がガラス張りで第二次大戦の爆撃機のようなデザインのP-2Jが好きですが、誰も飛行機の趣味の話なんか聴いていないですね。

 羽田発6時半の便に乗って、那覇空港には9時20分に到着しました。

 意外と遠かった。

 しかしこちらは暖かい!

 全然冬じゃないですね。

 快適快適。

 さて、それではレンタカーを借りて探訪を開始します。

 今日の最初の探訪地はガンガラーの谷ですが、その前に大好物の沖縄そばを食べたいと思います。

 まずは適当に車を走らせて、お目当てのそば屋さんへ向かいますが、まだ昼の時間には少し早いです。

 おっと、何やらグスクの方向を指し示す看板を発見。

 行ってみましょう。

 さきほど以降、グスクの看板は現れませんが、KKD(経験・勘・度胸)で山の上に向かって走ります。

 お、看板がありました。

 島添大里城跡に到着です。

 何やら資料館のようなものもありますが・・・



 交流センターですね。

 でも今日はお休みのようです。

 グスクの看板があります。



 周辺のガイドマップ。





 では行ってみますよ。



 何も考えずに来ましたが、沖縄での初の遺跡めぐりはグスクとなりました!



 城館跡を積極的に探訪していた20代後半から30代前半の頃は、グスク探訪はある種の憧れで、あの頃だったら切歯扼腕してニッコニコの笑顔でグスクをめぐるでしょうが、今はすっかり古代史人間と化してしまったため、グスクへの興味はあまりありません。

 でも、そうは言っても好奇心は旺盛な方ですから、やっぱりワクワクしますよ。





 おー、石垣が石灰岩だ。



 今まで見たことのない光景です。



 郭の風景。



 こちらにも看板。







 あの上が正殿跡でしょうか。



 上に登ったら眺望が良さそう。

 当然ながら石段も石灰岩。



 おー、いいねえ。



 どこを見ているのか分からないけど!



 海が見えるっていいですねえ。









 郭を一望。



 説明板に書いてあった島添大里按司の墓でしょうか。



 初めて来たわけだし、沖縄の中世文化についてほとんど何も知りませんから、何か分かりませんよ。

 それでは、城内をもう少し歩いてみます。

 洞窟がある・・・



 何か石でできたものが見えます。



 御嶽でした!



 いやー、こういうお墓も新鮮だ。



 というか、生えている植物からして新鮮です。

 琉球探訪はまだ始まったばかりですが、好奇心が刺激されまくりで楽しくて仕方がありません。



 まだ御嶽というものが良くわかっていないため、こういうものを見つけたらとりあえず「祭祀遺構」としておきます。



 さて、城内から出ますか。



 最初に入った入口とは違う場所に出てきてしまいましたが、さきほど車で来た時に見た風景ですので道は分かります。

 歩いて車まで戻りましょう。

 おっと、これは先ほど見落としていた。



 チチンガーとは、井戸のことですか。

 しかも14世紀というとかなり古いですね。



 まいまいず井戸みたいなものかな?



 降りてみます。



 別に「まいまいず」はしていませんね。



 ちゃんと井戸がある!



 水を湛えています。



 面白いなあ・・・

 では、戻ります。



 まったく予備知識もなくやってきて、わずかばかりの沖縄探訪で感じたのは、もしかして沖縄って地下へ潜る文化なのかな?ということです。

 これから行くガンガラーの谷は洞窟遺跡ですが、洞窟も「地下感」があると思います。

 本土の場合は、洞窟遺跡は少ないですし、古墳の主体部は基本的に地下ではありませんし、伝統的にそれほど「地下感」は無いんですよね。

 縄文時代の土抗墓も地下と呼べるほどは深くないです。

 そろそろ、そば屋に行くにはちょうどいい時間ですので行ってみます。

 少し車を走らせて「王家」に到着。



 店内は結構広くて開放感があります。

 ソーキそばを頼みました。

 美味そう・・・



 お、いいですね。

 沖縄そばは東京でも結構食べているのですが、意外と店によってスープの味が違うので、好みの味でないことがあります。

 でもこの味はストライクです。

 肉もヴォリューム満点。

 そして麺が少し硬いのもまた良い。

 東京で食べるとたまに茹で過ぎている場合があって、ガッカリすることがあるのですが、ちょうどよい硬さです。

 おや、この葉っぱは何でしょうか?



 お店の方がヨモギだと教えてくださいました。

 スープに浸して食べると良いということでそうしてみたところ・・・

 本当だ、あの「ヨモギ餅」の味だ。

 詳細は不明ですが、身体に良さそうですね。

 では、ガンガラーの谷へ向かいましょう。

 ⇒この続きはこちら



【AI現地講座】ヤマト王権中枢を古墳から探る① 纒向・桜井編 第2日目

2021-12-23 03:22:30 | 歴史探訪
 2021年12月22日(水)に纏向遺跡周辺の現地講座を開催しました。

 たくさんの古墳を見たため、おそらくご参加いただいた皆様もどの古墳を訪れたのか忘れてしまうと思うので、探訪個所を順番に並べてみます。

 私は今はまだ大和八木のカンデオに滞在中で、撮ってきた写真の編集ができないため、お見苦しいかと思いますが撮影したものをそのまま掲載します。

 なお、25日(土)も同じ内容の講座を行いますが、もしかすると探訪順序は変更になるかもしれません。

 ①桜井市立埋蔵文化財センター



 古代の上ツ道とほぼ重なる道を北上して、箸墓古墳を目指します。



 ②箸墓古墳



 ③東田(ひがいだ)大塚古墳



 『シリーズ「遺跡を学ぶ」051 邪馬台国の候補地 纏向遺跡』(石野博信/著)によると、前方部の形状と端部が桜井市埋蔵文化財センターの調査によって分かっており、墳丘長は120mあります。

 後円部北側で周堀が確認されていますが、全周していたかは不明です。

 葺石や埴輪は見つかっておらず、見つかった土器などから築造時期は、箸墓古墳と同じころと考えられています。

 ④矢塚古墳





 前方部側は草茫々で確認できませんでしたが、前方部はすでにほぼ壊滅状態です。

 前掲書によると、平成9年の調査で墳丘長をはっきりさせるべく前方部端の発見を目論んだのですが、見つけることができなかったため確実なことはいえないものの、墳丘長は推定で96mです。

 後円部墳頂には板石が散乱しており主体部に使われた石であると考えられます。

 周堀は後円部東側で確認されており、その部分の幅は20mです。

 葺石や埴輪は見つかっていません。

 ⑤勝山古墳





 箸墓を本格発掘できる可能性は絶望的ですので、纏向石塚古墳とホケノ山古墳の発掘調査は終わっていることから、矢塚古墳、勝山古墳、東田大塚古墳の3基の本格的な発掘調査が行われて主体部が明らかになれば、初期ヤマト王権の歴史がかなりはっきりすると考えられます。

 ⑥纏向石塚古墳





 ⑦5世紀の古墳跡



 纏向石塚古墳と勝山古墳の間では、纏向遺跡第172次調査が行われています。

 調査では5世紀の溝が見つかり、溝の中からは円筒埴輪が見つかっており、過去には古墳の形跡も見つかっていることから、この場所には5世紀の古墳があったと考えられています。 

 ⑧纏向遺跡辻地区



 近くのローソンで兵糧を調達して、ここでランチを食べました。

 なお、ローソンのすぐ北側では、平成24年4月に纏向遺跡第174次調査の際に、3世紀代の鉄器生産に伴う遺物が多量に見つかっています。

 以降は、午後の探訪です。

 ⑨第11代垂仁天皇・纏向珠城宮伝承地【リアル日本書紀】



 纏向珠城宮伝承地のすぐ東側にある小丘上には、珠城山古墳群と呼ばれる6世紀半ばから後半にかけて築造された3基の前方後円墳が東西に並んでいます。

 ⑩珠城山3号墳



 もっとも西側にある3号墳は元々の墳丘長は50mほどだったようですが、ほとんど壊滅状態です。

 ⑪珠城山2号墳



 真ん中の2号墳の墳丘長は85mですが、実際に見た感じではもっと大きく見えます。

 ⑩珠城山1号墳(石室入室可)



 東側の1号墳の墳丘長は50mで、後円部南側に開口している横穴式石室に入ることができます。

 石室長は4.7m。

 短い羨道部分を通るとすぐに玄室になっており、それほど広い感じはしません。

 玄室入口は右片袖で、ここにあった組合式石棺は橿原考古学研究所に保管してあります。

 なお、珠城山古墳群の築造順は、2号墳、1号墳、3号墳の順です。

 現景行天皇陵はまた機会を改めて講座を行いますが、この辺からは美しい姿を見ることができます。



 ⑪第12代景行天皇・纏向日代宮伝承地【リアル日本書紀】



 ⑫相撲神社【リアル日本書紀】



 ⑬穴師坐兵主神社



 この講座は一部山の辺の道を歩きますが、所々に無人販売所があります。

 私はみかんを購入。



 ⑭檜原神社【リアル日本書紀】



 ⑮茅原大塚古墳



 ⑯茅原大塚古墳の墳頂から毘沙門塚古墳跡の眺望



 ⑰神御前神社【リアル日本書紀】



 ⑱弁天社古墳(頑張れば石室入室可)



 ⑲狐塚古墳



 「纏向の石舞台」と呼んでもよいくらいに素晴らしい石室ですが惜しくも「池」状態でした!

 ⑳南石神塚古墳



 ㉑慶運寺裏古墳(石室入室可能)



 ㉒ホケノ山古墳







 箸墓古墳より前に築造されていることから古墳ではなく墳丘墓と呼ぶ研究者もいますが、私的には古墳と呼んで良いのではないかと思います。

 学者の先生たちは職業柄この辺の定義をしっかりしますが、私は意味が通じればよい程度に考えていますし、あまりガチガチに考えると病気になりそうな気がします。

 ホケノ山古墳は発掘調査がされていますが、前方部が河川の氾濫によって流出しており、前方部端を検出することはできておらず、墳丘長は推定で80mです。

 周濠状遺構は、墳丘北側で確認されています。

 ホケノ山古墳には主体部が3基ありますが、3世紀中葉の初葬者は後円部中央の石囲木槨に葬られ、3世紀末(布留0式期)には、前方部の葺石を一旦取り除いて設置された組合式箱型木棺(木棺は痕跡を検出)に1名追葬され、築造から300年も経った6世紀末頃には後円部に横穴式石室が設けられ、更なる追葬が行われました。

 前方部の箱型木棺に共献されていた大型複合口縁壺は讃岐か伊予で造られた可能性が高く、石囲木槨や墳丘上の葺石の存在から、被葬者は本州西部広域連合(ヤマト王権)を形成した讃岐出身の幹部ではないでしょうか。

 ホケノ山古墳の墳頂からは纏向古墳や大神神社の大鳥居のほか、周囲の多くの古墳を見ることができます。

 西側は、箸墓とその間に堂ノ後古墳。



 北側は、左の茶ノ木塚古墳と右の北口塚古墳、両古墳の奥には巻野内石塚古墳。



 茶ノ木塚古墳は、平成29年の纏向遺跡第190次調査と、纏向遺跡第194次調査の2度、発掘調査が行われています。

 その結果、径35m、周堀幅7m以上の円墳である可能性が高まりました。

 築造時期は、見つかった円筒埴輪や蓋形埴輪から5世紀後半の築造と考えられます。

 ㉓堂ノ後古墳





 現状では円墳のように見えますが、平成21年度の纏向遺跡第164次調査によって、5世紀後半に築造された前方後円墳であることが分かりました。

 現在の地表面を見てもまったく想像がつきませんが、前方部はおおよそ後円部の南東方向にありました。

 墳丘長は63mを超えるようですから、意外と大きな古墳だったんですね。

 ㉔北口塚古墳



 ㉕小川塚西古墳



 小川塚西古墳の右側には小川塚東古墳が見えます。

 小川塚西古墳は、一辺が41mの方墳です。

 平成24年度には、小川塚西古墳、小川塚東古墳、サコジマ古墳の測量調査が行われ、小川塚西古墳と小川塚東古墳は、3世紀後半に埋没した川の上に築造されたと考えられることから、築造時期はそれ以降で、小川塚東古墳に関しては、現在みられるように円墳であれば径48m程度となります。

 ただし、形状に関してはこの周辺の他の多くの古墳と同じく、今見られる形であったとは限らず、正確には発掘調査をしてみないと分かりません。

 ㉖サコジマ古墳



 上述の測量調査によって、古墳ではない可能性が指摘されています。

 ㉗巻野内石塚古墳



 墳丘長60mの前方後円墳です。

 ㉘メクリ1号墳跡



 元々は纏向小学校があった場所で、前方後方墳であるメクリ1号墳が見つかっています。

 平成29年度の纏向遺跡第193次調査によって、メクリ1号墳の規模は墳丘長28m、後方部幅20.1mにほぼ確定しています。

 また、同調査によってこの場所から3世紀代の方形周溝墓が3基見つかっていますが、最大のものでも一辺が9mで、小型の方形周溝墓群です。

 この場所から見つかった方形周溝墓は合計6基です。

 巻向駅から電車に乗ってホテルに戻りますが、異様に長いホームの端の方へ行くと纏向遺跡辻地区が見られます。

 

 以上、とりあえず羅列してみました。

 クラツーでもこの周辺を案内したことは10回くらいあると思いますが、これほど入念に歩いたのは初めてです。

 天気は1日中曇りでしたが、気温はそれほど低くなく、また風もなかったため快適に歩くことができました。

 帰宅後、歩程を調べてみたら約11㎞で、それほど高低差もないので、歩き慣れている方からするとちょうどよいくらいの距離だと思いますが、上述の通り多くのスポットを訪れるため、お腹一杯になったと思いますよ。

 さて、いま3時22分ですが、これから最上階の露天風呂に入ってこようと思います。

 なお、こういった講座に参加してみたい方は、以下のリンクをご覧ください。

 ⇒AI現地講座