日本史大戦略 Side-B 附 歴史を歩こう協会(旧東国を歩く会) ~日本各地の古代・中世史探訪~

『日本史大戦略』のB(Blog)面です。城・館・古墳・古道・官衙・国分寺・神社・寺院・民俗・エミシ・南部氏・後北条氏など

【信州・甲州古代史探訪 その8】丸山塚古墳/甲斐銚子塚古墳/岩清水遺跡【山梨県甲府市】

2018-11-28 06:11:41 | 歴史探訪
 今週の土曜日は、クラツーにて山梨の古代史ツアーを案内してきます。

 そのときは甲斐銚子塚古墳も見学しますが、もし参加予定の方で、あらかじめどんな様子か知りたくない方は、以下の探訪レポートは読まない方がいいかもしれません。

 それでは、前回の記事に続いて、信州・甲州の古代史探訪をお届けします。

 ⇒前回の記事はこちら

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 山梨県立考古博物館は面白かったー。

 博物館内では縄文土器を堪能しましたが、今度は古墳を見ます。

 博物館に隣接して、4世紀の時点では東日本で最大規模の銚子塚古墳という大型前方後円墳があるのです。

 なお、「銚子塚」という名前の古墳は全国にいくつかあるので、こちらのものは「甲斐銚子塚」と呼ばれることがあります。

 おや、いきなり古墳のようなものがありますよ。



 右側は「かんかん塚」という5世紀後半の円墳ですが、左側は「さかづき塚」という中世の塚だそうです。



 おーっ、でかい墳丘が現れました。



 これは銚子塚古墳の後円部ではなく、銚子塚に隣接した丸山塚古墳という円墳です。



 5世紀初めに造られた直径が72mもある大型円墳で、円墳としては山梨県内で一番大きく、全国を見渡しても上位にランクするのではないでしょうか。

 墳丘に登ります。

 墳頂、広いね。



 竪穴式石室の場所が明示してあります。





 石釧が出土したということですが、もし遺骸の腕部分から見つかっていれば、この被葬者は女性です。

 また、壁面に赤色円文が施されていたということですが、そうなると、装飾古墳の仲間になりますね。

 先ほどからもチラチラ見えていましたが、銚子塚古墳。



 これらの古墳の北側は少しだけ土地が低くなっていますが、丘陵上の古墳というわけではないです。



 周溝。



 これは無残だ・・・



 写真の方はなんとか見れますね。

 近くには多くの遺跡があります。



 先ほど博物館で見た、ホーケーシューコーバー垂涎の遺跡、上の平遺跡も写っていますね。

 では続いて、銚子塚古墳へ登りますよ。





 全長が169mで、4世紀後半の時点では東日本全体を見渡しても、宮城県名取市の雷神山古墳が銚子塚とほぼ同じ168mですので、両者はヤマト王権からすると東日本の二大与党ということになります。

 なお、両者と近い時期の古墳としては、もしかすると銚子塚より一世代後になるかもしれませんが、群馬県高崎市の浅間山古墳が両者とほぼ同じ大きさの171mなので、何か関連性があるかもしれません。

 また、5世紀には群馬県太田市に太田天神山古墳(210m)が築かれ、当該古墳が古墳時代全時代を通じて東日本最大の古墳となります。

 前方部に登ります。



 前期古墳らしく、後円部との比高差がありますね。



 周溝は墳丘の形状に沿った形です。



 後円部へ登ります。

 こちらも広い・・・



 これだけ広いと複数の主体部を期待できますね。

 主体部の表示。





 さきほどの丸山塚の被葬者はもしかすると女性かも知れませんが、こちらも車輪石や石釧が副葬されているので女性かも知れませんよ。

 古墳時代前期は女性の首長と男性の首長の割合は半々でした。

 後円部から前方部を見下ろすとこの標高差。



 これが前期古墳の素晴らしいところ!

 北側を見下ろします。



 銚子塚と丸山塚は軸が合っているわけではありません。



 前方部に降りました。



 では、墳丘の周りを一周してみます。



 墳丘の周りにも説明板があります。



 くびれ部分で祭祀が行われていたんですね。



 おや、変わったものが建ってる。



 凄いね!

 こんなものが見つかったんだ・・・





 これまた何かありますよ。









 国史跡の標柱。



 全体を写真に収めたいなあ・・・

 側面は無理そうです。





 一番好きなアングルで辛うじて撮れました。



 これ以上は下がれません。

 これで銚子塚古墳は一通り見たので、車へ戻ります。

 丸山塚古墳もでかいねえ。



 あちらにも墳丘らしきものが見えますよ。









 ほー、岩清水遺跡の円形周溝墓か!



 駐車場の近くには古代の広場というのがあります。



 石室。





 竪穴式住居。





 お、敷石住居もある。

 でもちょっと見た目は・・・





 博物館も古墳も楽しかった。

 あ、もう15時だ。

 冬なのでそろそろ時間が無くなってきましたよ。

 急いで花鳥山遺跡へ向かいます。

 (つづく)


関東 古墳探訪ベストガイド
東京遺跡散策会
メイツ出版


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【信州・甲州古代史探訪 その7】山梨県立考古博物館【山梨県甲府市】

2018-11-25 19:20:44 | 歴史探訪
 今日は朝の2時からずっと歴史に集中できていて、いろいろと捗りました。

 クラツーの来年3月以降の企画を新規で2本考えているのですが、そのうちの1本ができました。

 今年の春に那須地方の古墳ツアーを発表したのですが、何としたことか、珍しく最少催行人数に達することがなく中止となりました。

 私的には那須の古墳は超お勧めなので、そのリベンジの機会を伺っています。

 次回、1月10日発行の「歴史への旅」では、私の古代史ツアーのうち、関東地方のツアーは「流域の古代史」というシリーズに再編を開始し、3月10日号で再編完了と考えています。

 古代史はとくに河川の流域に各地の王様(首長)が勢力を張っていたので、多摩川とか相模川とか、そういった河川ごとにツアーをする予定です。

 そのなかで、上述した那須地方は那珂川の流域になるのですが、那珂川は茨城県を流れて太平洋に注いでいます。

 1月10日号では「流域の古代史」シリーズで那珂川をやろうと思い、その企画を本日考えていたわけです。

 ただ、茨城県の北部や栃木県の北部(つまり那珂川流域)は、関東でもやや遠いので、1泊2日のツアーとします。

 ですので、参加してくださる方からすると少しハードルが高くなってしまい申し訳ないです。

 というわけで、どんなツアーになるかは、来年まで楽しみにしていてくださいね。

 では、信州・甲州の古代史探訪の続きをお届けします。

 ⇒前回の記事はこちら

*     *     *


 松本市立考古博物館の見学を終え時計を見ると12時半を過ぎています。

 もうお昼ですが、昨日ショッキングなことがあったため今日は食欲がありません。

 実は朝起きたときはテンションが低かったのですが、こういう時こそ少し無理してでも出かけたほうがいいと思って、雷電號を走らせてきました。

 私にとっては車の運転はときにストレス解消になります。

 すでに午前の行程は終わりましたが、やはり古墳は楽しいですね。

 徐々に調子が戻ってきましたよ。

 でもお腹は空かない・・・

 朝から何も食べていませんが、このまま甲斐国へ移動します。

 ※結局この日は帰宅後にゼリー飲料を1個飲んだだけでビールも飲まずに終わりました

 それでは、ようやくここから本来の目的である「ツアーの下見」に移行しますよ。

 松本ICから長野自動車道に乗り、岡谷JCTから中央道へ入り、諏訪湖の湖畔を走り抜け、しばらく進んで甲斐国へ侵入です。

 八王子市民の私は信州へ行ったときは甲州まで戻ってくると家の近くまで帰ってきたなと思います。

 甲府南ICで降りると山梨県立考古博物館はすぐ近くにありました。

 ここまで1時間15分の移動時間でした。



 考古博物館の裏手には銚子塚古墳があり、そこもツアーの行程に含まれていますが、まずは博物館から見学しますよ。



 入館料を支払い中に入ると、縄文土器がお出迎えです。



 笛吹市一の沢遺跡出土の中期の深鉢です。

 いいねえ。

 重要文化財ですよ。

 こちらも同遺跡同時代の遺物ですが、随分とデザインが違いますね。



 流線形が素晴らしい。

 おー、各時代の土器がズラーッと並んでる!

 草創期はありませんが、早期から前期。



 中期。



 中期は豊富ですね。



 まだ続きますよ。



 そして後期と晩期。



 こういう古い順(編年順)に見れる展示って大好き。

 あ、可愛らしい土偶。



 こちらも一の沢遺跡出身で、「いっちゃん」と言うそうです。

 縄文時代の顔の造形(土器の把手に顔が付いていたりもする)は、このように目が切れ長になっているものをよく見かけるのですが、いっちゃんは優しい目をしています。

 なぜか、眺めていると涙が出そうになります。

 こちらは同じような説明が松本市立考古博物館でもありましたね。





 縄文人はだいたい5~6歳までの子供は「神の子」として考えていたようです。

 縄文時代は現代では考えられないほど、子供を産むのも育てるのも大変だったと想像でき、縄文時代の1万年以上の間、人口は右肩上がりに増加していったわけではないようです。

 それがお米を食べるようになって(つまり稲作が導入された弥生時代になって)人口増加率は上がったらしいです。

 おっ、土偶ちゃんたち大集合!



 この土偶は耳飾りをしていますね。



 女性4人組と言えばSPEEDか、いやMAXか?



 女性2人組と言えばピンク・レディーか?



 3人組ならキャンディーズでしょうか?



 だんだん古くなっていってそのうち本当に縄文時代まで遡りそうな勢いですが、こちらの3人組は実は縄文時代の土偶ではないのです。

 弥生時代の容器型土偶といって、弥生時代前期末から中期前半という短期間に東海から東北南部で造られたもので、現在は30余個しか見つかっていない大変珍しいものなのです。



 いやー、甲斐は我が家からそれほど遠い場所ではないですが、異文化って感じがして楽しいです。

 お、この遺跡見に行きたい!



 方形周溝墓がこんなにたくさん復元されているとは!

 元の遺跡はこんな感じ。



 方形周溝墓erにとっては堪りませんね。



 あ、「ホーケーシューコーバー」なんて人、聴いたことないですね。



 おっとー、ここにもありました!

 バーン!



 ババーン!



 東海系土器です!



 ひゃー。



 ふぁー。



 S字甕ですよ!





 口縁部がS字になってるでしょ?



 しかしこれほど大々的に展示しているとは予想もしていませんでした。





 ありがたい・・・

 この古墳の編年も分かりやすくていいですね。



 郡内は古墳少ないんですね。

 信茂さまーっ!

 これはメロンパンでもチョコに抹茶フレーバーがコーティングされたものでもありません。



 勇気を出してこのボタンを押してください。



 ほら、開いた。



 古墳の横穴式石室を説明しているんですね。

 展示はまだまだ、国分寺や古代寺院、そして中世以降と続きますが、今日は時間の都合でここまで見て終了とします。

 あれ、企画展やってる。

 火焔型土器ではなく、水煙文土器ですか?

 安道寺遺跡出土の中期の土器。



 こちらはこの後訪れる予定の釈迦堂遺跡から出土したものですね。



 重要文化財です。

 面白いですねえ。





 縄文時代中期の編年の表も便利ですね。



 ササっと見て30分ですが、やはり最低でも1時間は欲しいですね。

 ここはクラツーのお客様もきっと喜びますよ。

 つづいて銚子塚古墳を見に行きます。

 ⇒このつづきはこちら

やまなし遺跡探検
山梨県考古学協会
山梨日日新聞社



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【信州・甲州古代史探訪 その6】弘法山古墳について知りたければこちらへ・松本市立考古博物館【長野県松本市】

2018-11-25 10:03:44 | 歴史探訪
 ここ数日、朝の寒さが深化して、起床するのも大変になってきました。

 それでも今日も2時に起床してずっと歴史をやっています。

 2時はまだ朝ではないとよく言われますが、昨日はツアーから帰ってきてすぐに夕飯を食べて、18時には就寝してしまったので睡眠時間はちゃんと確保できていますよ。

 今日は終日、幕府に逼塞している予定なのですが、休養のためということもありながら、なんと次回の給料日がまだまだ先なのに手元には184円しかなくて、この軍資金では何もできません。

 何もできないどころか、食べるものも厳選する必要があるのですが、幸い、今年も岩手の友人から兵糧米の援助が届いたので、お米だけは何とか確保できています。

 あとは、納豆があれば今日の食事は大丈夫ですが、問題は明日以降ですね。

 会社に行く電車賃もない・・・

 まあ、そんなことを嘆いていても無いものは無いので、そういった難しい社会の仕組みは考えずに今日は歴史に没頭します。

 というわけで、前回の続きをお届けしますよ。

 ⇒前回の記事はこちら

*     *     *


 当初は弘法山古墳を見る前に考古博物館を見学しようと思っていましたが、図らずも先に古墳に遭遇してしまいました。

 まあ、順番は別にいいですね。

 弘法山古墳から考古博物館へは車ならすぐです。



 近隣の史跡マップ。



 それでは、常設展から行きますよ!



 常設展示は原始時代から時代が下っていくオーソドックスな形式ですが、実はこれが一番わかりやすくていいです。

 最初は土偶がお出迎え!

 坪ノ内遺跡からいらっしゃいました。



 縄文中期中頃の方です。

 こちらも同じく坪ノ内遺跡から。



 後期後葉です。

 そしてこちらは山影遺跡から。



 中期中頃です。

 バーン!



 縄文土器、いいねえ。







 縄文時代は、死産した子や生まれた子供の胎盤を土器に入れて、玄関の床下などに埋葬することが行われたそうです。





 実際、胎盤は出土しないはずなので、なぜそういう説明がされているのかは分かりません。

 石棒その他!



 ここにも土偶!



 ハロー。



 亀ヶ岡文化は松本にまで及んでいたのですね。



 一応、こう見えてもこの方は遮光器土偶の仲間です。

 有名なのは青森県つがる市で出土した重要文化財の遮光器土偶ですが、あちらでは大量に出土しており、JR五能線の木造駅はこんな造形で有名ですね。



 さて、一番興味のある弘法山古墳のコーナーに来ました。



 さきほど、古墳の墳頂にあった説明板にも書かれていましたが、墳頂で出土した遺物は東海系なのです。





 今日は企画展示で古墳の特集をやっているようなのであとで見に行ってみましょう。

 あなた様は誰?



 女鳥羽川遺跡からおいでの方で縄文時代後期のお生まれのようです。

 縄文時代の遺物で2大スターは土器と土偶だと思いますが、脇役でも素晴らしいキャラクターもいて、例えば「土板」と呼ばれる、これまた用途不明の製品もあります。

 こちらは土板に人の姿が現れているものです。



 女性の全身を描いていますが、分かりますか?

 では、企画展の方に行ってみます。

 古墳時代が始まる前の弥生時代の墓制である方形周溝墓と円形周溝墓の長野県内での分布図。



 円形の方が少ないですが、基本的には円形は方形に混ざって造られています。

 作り分けの理由に関しては分かりません。

 なお、古墳時代になっても方形周溝墓が造られる地域もありますよ。

 長野県内の古墳の分布図。



 24番が弘法山古墳ですが、松本平近辺は目立つような古墳の分布は見られませんね。

 最古級の古墳が松本に造られたのに、その後は今日の朝見てきた県北部の千曲川流域や県南部の天竜川流域の飯田地方にまとまっています。

 両河川は水系が違うので、それぞれの水系ごとに一つの政権があったと考えていいと思うので、そう考えると古代の長野県は「科野」という一まとまりの地域ではなかったと考えられます。

 天竜川の水源が諏訪湖ですので、南の飯田の勢力は諏訪の勢力との関係が考えられそうです。

 松本平の古墳分布も掲示してあって、これを見ると、地味ではありますが古墳時代を通じて古墳の築造が続いたことが分かります。



 この表は分かりやすくていいですね。



 改めて弘法山古墳の説明。



 弘法山古墳と関連して考えられる出川南・出川西遺跡(さきほど墳丘から見た南松本駅の西側に所在)では東海系土器が大量に出土しており、それが展示してあります。



 というわけで、松本でも東海勢力の露出度が高くなっていましたね。

 面白くなってきました・・・

 ⇒この続きはこちら




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【信州・甲州古代史探訪 その5】国内最古級の前方後方墳・弘法山古墳【長野県松本市】

2018-11-25 08:37:04 | 歴史探訪
 ⇒前回の記事はこちら

 森将軍塚古墳は有名な古墳ですが、今までなかなか探訪の機会がなく、ようやく訪れることができました。

 そして長野県内にはもう一つ、以前から行ってみたいとずっと思っている古墳があるのです。

 松本市の弘法山古墳。

 国内最古級の前方後方墳です。

 今でこそ古墳については講座やツアーでお客様に対して解説したりしていますが、実は古墳探訪を始めたのは2009年のことで、まだ9年しか経っていないのです。

 当初はまずは自宅近くの古墳や古墳の跡地をいくつかめぐり、翌2010年に母の故郷の宮崎県に家族で行ったときに、私だけ別行動で西都市の西都原古墳群を見てきました。

 それにより古墳への興味が爆発してしまったのです。

 つづいて、いろいろ調べているうちに、2013年には前方後方墳に対して異様に興味が湧き、その年のGWに前方後方墳を見に行くことにしました。

 そのとき候補に挙がったのが、松本市の弘法山古墳と群馬県高崎市の元島名将軍塚古墳で、そのときの気分で訪れたのは元島名将軍塚古墳でした。

 面白いことにその後縁があって、元島名将軍塚古墳はクラツーのツアーで何度もご案内していますが、弘法山古墳にはなかなか行く機会がなく、今日、ようやくその機会が訪れたわけです。

 あれから5年・・・

 5年間想い焦がれた会ったことのない恋人に会いに行くような気分です。

 森将軍塚古墳を出て更埴ICから長野自動車道に乗ると、あっという間に松本に到着。

 古代人からすると瞬間移動のようなものですね。

 まずは松本市立考古博物館へ行ってみようと思います。

 おや、あの山の上には古墳があるんじゃないか・・・

 初めて来たまったく土地勘のない場所ですが、遠望した丘になんとなく古墳の匂いがしたので、近くに車を止めて確かめに行きます。



 おっと、説明板発見!



 なんだー、先に古墳に来ちゃった。

 まあいいでしょう。

 遊歩道を歩いて丘を登っていきます。



 あれかな?



 よし、弘法山古墳に到着!

 さっそく墳丘に登ります。

 ここもまたいい眺めだなあ。



 西側の松本市街地の眺めです。

 あれ!

 建物の看板に大きく「古墳」って書いてある!



 なんだ、「古着」か・・・

 弘法山古墳は墳丘長66mの前方後方墳で、先ほどから強調している通り国内最古の前方後方墳で、その築造時期は3世紀半ばから後半と考えられます。

 古墳の造られている場所は中山と呼ばれる南北約3㎞の独立丘の北側先端部分で、前方部が北西へ向いており、墳丘からは東・北・西の眺望が開けています。

 後方部から前方部を見ます。



 北北西、3㎞強の地点には松本城がありますが見えませんね。



 あの山が終わっているあたりの手前にあるはずなのですが・・・



 しかし、いい眺めだ・・・



 後方部の墳頂には主体部の表示がありますよ。





 東海系の土器・・・

 ククク・・・

 前方後方墳の見どころは、後方部の角の部分ですが(前方後円墳の場合は、後円部は丸いので角がない)、後方部のエッヂは効いていません。



 今度は前方部へ。

 前方部から後方部を見ます。



 初期の古墳らしく高低差がありますね。

 でもそもそも、前方後円墳と前方後方墳は出自が違うので、前方後円墳で説明されるような墳丘デザインの変遷が前方後方墳に当てはまるとも限りません。

 くびれ部分はあまりよく分からないかな。



 あ、よく見る特急が走ってる!



 南松本駅ですね。

 ここも中央線の駅ですから、我が家の最寄り駅の高尾駅から一本です。

 ※ちなみに各駅停車でも松本行きがあるのですが、例えば9時47分高尾駅発に乗ると松本駅到着はなんと14時です!

 墳丘全体を写真に収めたいなあ・・・

 でも丘の上にあるので下がれる位置にも限界があります。

 これ以上は無理。



 よし、念願の弘法山古墳を見ることができた!

 冒頭にお伝えした通り、私は前方後方墳に異常に執着しているのですが、その理由は、関東地方の初期古墳は前方後方墳が多く、それらは東海の勢力が関東に入部して築造した古墳だからです。

 関東の初期古墳を関東の地元の人ではなく東海地方の人びとが造ったという事実を知った時に、一気に興味が最高潮に達してしまったのです。

 在地でもヤマトでもなく東海!

 古墳時代の初め、東海勢力は関東に軍事侵攻をしたのでしょうか、それとも平和裏に関東を治めたのでしょうか。

 時代的にはちょうど邪馬台国の卑弥呼が亡くなる前後になります。

 ですから、邪馬台国とも絡めて東日本の古代史を探求するときに重要な鍵を握るのが東海人や彼らの造った前方後方墳なのです。

 私自身、今はまだ調査を進めている段階でまとまった話をできる状況ではないのですが、もう少し進展したら皆さんにご報告します。

 では、松本市考古博物館へ向かいましょう。

 ⇒このつづきはこちら

*     *     *


 ところで、長野県の県庁は長野にありますが、広大な長野県(ほぼ古代の信濃国の範囲)において、長野は北に偏っていますよね。

 松本だとちょうど真ん中で良かったのにと思う方もおられるかもしれません。

 その辺の経緯は、こういった本を読むと分かりやすく解説されていますよ。

物語廃藩置県
高野 澄
新人物往来社


 明治になって新しい行政区画が誕生したのですが、今から1300年以上前に律令国家を作るときにもそれまでの国造を解体して評という単位に編成し直したりしました。

 明治の官僚たちはもちろん律令国家のやり方を勉強していたはずです。

 こういった行政区画の変遷の歴史も楽しいですね。

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【信州・甲州古代史探訪 その4】眺望抜群の森将軍塚古墳【長野県千曲市】

2018-11-25 07:13:45 | 歴史探訪
 昨日(11月24日<土>)は、クラツーにて東京都大田区から世田谷区にかけて存在する荏原台古墳群をご案内してきました。

 現地集合・現地解散の街歩きツアーです。

 天候はおおむね晴れで、気温は少し寒かったですが、歩くにはちょうどよいくらいでした。

 お昼はクラツーにしては珍しくステーキ!

 ただし、私と添乗員さんはステーキよりも安価なハンバーグでした。







 ステーキもいいなあ、と思いましたが、ハンバーグも大好物なので嬉しかったです。



 アッツアツで美味い。

 今回は20名様のご参加ありがとうございました!

 私のツアー初、小学生の方も来てくださいましたよ。

 都内の古墳を見たことによりもっと歴史が好きになってくれればと思います。

 ところで、今月は「歴史への旅」の最新号が出ていましたが、まだ紹介するのを忘れていました。

 今号は、私のツアーは4ページに渡って散在していますが、14ページと15ページが私のツアーのページです。

 今日は15ページを掲載します。



 このページの下段右が上述のツアーで、同じものを12月4日(火)にも催行しますが、4日の方も定員に達しておりキャンセル待ちの方が二桁に迫る勢いのようなので、なるべく近いうちにもう1日設定させていただきます。

 それと、下段左の山梨の古代史ツアーも好評で、当初は中型バスを使用して行く予定だったのが、想定外ですぐに定員に達してしまったため大型バスに切り替え、そのためまだ少しお席の余裕があるようです。

 その他、来年早々、群馬や千葉の古墳ツアーもありますので、興味のある方はいらしてくださいね。

 ⇒クラブツーリズム公式サイト内の稲用ツアー検索結果ページはこちら

 ※システムの都合上、カタログ掲載のツアーが検索結果に出てこない場合もありますので、その場合はクラブツーリズムへ電話にてお問い合わせください

 それでは今日は、上の山梨ツアーの下見とそのついでに長野の古墳を見てきたときのレポートの続きをいたします。

 ⇒前回の記事はこちら

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 森将軍塚古墳館を見学し、古墳の概要は掴みました。

 それでは実際に古墳を見に行きましょう。

 山の麓には「科野のムラ」というのが再現されおり、実際の屋代清水遺跡の上に作られています。



 では山を登りますよ。

 登り始めてすぐ、山の斜面に山城の竪堀のようなものを見つけました。



 もしかすると、切り出した木材を落とすための造作かな?

 しかし、先ほども姫塚古墳へ行くために軽い山登りをしましたが、ここでも山登りとは・・・

 息が切れます。

 最近、山城も登っていないしな。

 ハーハー言いながら麓から10分ほど登ると、小さな墳丘らしきものが現れました。



 2号墳ですな。





 将軍塚はもう少し上の方に見えています。



 葺石で装飾された墳丘に近づく・・・



 この辺にも円墳がポコポコあるようです。

 おや、葺石かな。



 関東でよく見る丸い川原石とは趣が違いますね。

 おー、素晴らしい雄姿!





 後円部の麓に来ました。


 
 南側の裾を歩いて前方部へ向かいます。

 おや、埴輪だ。



 これは川柳将軍塚古墳の説明板にもあった埴輪棺の復元ですね。



 いびつな形状のため、前方部からの眺めもちょっと雰囲気が違います。



 前方部へ登ります。







 前方部から後円部を見ます。



 後円部に登ります。

 東側、倉科方面の眺望。



 後円部の1段下には円筒埴輪が並んでいますね。

 後円部から前方部を眺めます。





 後円部の墳頂には石室の範囲が分かるように表示がされています。



 さきほど古墳館で見た竪穴式石室ですが、巨大でしたよね。



 森将軍塚古墳からの眺望は素晴らしいと聞いていましたが・・・

 おー、いいねえ。



 北側の平野が一望できますよ。



 戸隠山方向手前のここから約5㎞の地点に先ほど訪れた川柳将軍塚古墳や姫塚古墳が乗っかる丘があります。







 麓には先ほど見学した森将軍塚古墳館が見えますね。



 後円部の先端は一段下がっており、埴輪が並べられています。



 ここの斜面を登ってきました。



 おや、石室のようなものが見えますよ。



 前方部の隅の方にも主体部らしきものを示す表示がありますね。



 3号石室の表示です。

 先ほど見た石室のようなものを見に行きましょう。









 前方部からの眺め。



 前方後円墳で一番好きなアングルだ。

 前方部の対岸の高みに登ると少し高い位置から墳丘を眺めることができます。







 いやー、楽しかったー。



 麓からは10分以上登ることになるので、実はバスも運転されているのです。

 でも有料なので私は使いませんでした。

 富裕層の方はどうぞお使いください。

 今度は登った道とは違う道で降りていきます。

 途中にも説明板が。







 名残惜しい景色。



 だいたい30分くらいの探訪でした。

 つづいて、午前中のうちに松本市の弘法山古墳も見てしまいますよ。

 ⇒このつづきはこちら

新・古代史謎解き紀行 継体天皇の謎 信越東海編
関 裕二
ポプラ社




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【荏原台古墳群探訪 その1】宮の坂駅の江ノ電601号/世田谷城跡【東京都世田谷区】

2018-11-23 19:05:49 | 歴史探訪
 一昨日の水曜日(11月21日)は、西新宿のクラツー本社にて講座を3本やらせていただきました。



 内容は17日(土)にやったものと同じで、東北の古代史講座には9名様、日本書紀講座には20名様、関東の縄文時代講座には10名様にお集まりいただきました。

 皆様、いつもありがとうございます!

 東北の古代史講座はいよいよ来月で最終回となります。

 でもまた来年から3周目を始めますよ。

 今度は全部で15回になる予定です。

 さて明日は、同じくクラツーにて東京都世田谷区から大田区にかけての荏原台古墳群のご案内をしてきます。

 明日ともう1日設定しているのですが、ありがたいことに両日ともすぐに満席となってしまい、キャンセル待ちの方が大勢いらっしゃるということでした。

 そのため来年1月に再度設定させていただきます。

 具体的に何日にやるかはこれからクラツーと話し合って決めます。

 というわけで、本日はこのツアーの下見を兼ねて、世田谷区と大田区をプラプラしてきました。

 その模様を簡単にお伝えします。

*     *     *


 明日は野毛大塚古墳もご案内するので、今日の下見ではついでに、野毛大塚古墳から出土した遺物のレプリカ(本物は重要文化財指定となり国が持って行ってしまった)や解説展示がされている世田谷区立郷土資料館に行ってみようと思います。

 そしてさらについでに、世田谷城跡も見てみたい。

 手元の記録を見ると、世田谷区立郷土資料館と世田谷城跡には、1999年4月10日に元妻と二人で探訪しています。

 あ、正確には娘がすでに元妻のお腹の中でスクスクと育っていたので3名でしょうか。

 娘はその後、歴女になりましたが、こういうのも胎教の一つです。

 高尾を出て京王線で下高井戸駅まで移動。

 そうえいば、19年前に探訪した時はまだ杉並区の久我山に住んでおり、当時は世田谷吉良氏に興味を持ち始めた頃でした。

 19年経つと東急世田谷線もこうなっているのか・・・



 昔は緑色をしていたぞ。

 超久しぶりに世田谷線に乗ります。

 運賃が一律150円(SUICAなら144円)というのは安いですね。

 私がダスキンに通勤するときに使っているバスは一律運賃で180円取りますよ。

 さて、最初の目的地である世田谷城跡へ行くには、宮の坂駅で降りるといいです。

 ほどなくして宮の坂駅に到着。

 対向車両を撮影。



 おや、対向ホームの向こうに緑色の車両が展示されていますよ。

 おー!



 江ノ電か!



 中にも入れるようになっていますよ。

 独り言を言いつつ満面の笑みを浮かべて車内へ飛び込むと、あ、先客がいた!

 小さなお子さんを連れた若いママさんがいて、ニッコニコしている顔を見られてしまいました。

 恥ずかしい・・・

 そのママさんもそれなりのカメラを持っています。

 私も負けずに撮影。









 車内の広告を張り付ける壁面には昔の鉄道関係の写真が貼ってあって楽しいです。

 いいねえ。

 おっと、いきなり寄り道をしてしまった。

 世田谷城跡へ向かいますよ。

 宮の坂駅から5分ほど歩いて世田谷城跡へ到着。



 懐かしい・・・

 途中、豪徳寺がありましたが今日はスルーしました。

 説明板は新しいですね。









 上の図の説明の通り、現在は豪徳寺の境内となっている場所を吉良氏の平時の館と想定し、そこも城域に加えると広大な範囲となります。

 その中で、現在公園として整備されているのは、郭(F)とその西側の土塁状の高まりのみです。

 土塁状の高まりへ登ります。



 反対側へ降り、空堀を挟んだ向こうの郭(F)を見ます。



 堀底。



 堀の分岐。



 この堀の反対側は道路で終わっています。



 郭(F)へ来ました。



 西側には土塁がめぐっています。



 フェンスの向こうは郭(C)ですが、上述の平面図を見るとまだ遺構が残っている気配がしますね。



 実質、小さな郭が一つしか残っていない状況ですが、完全なる住宅街の中にあってもちゃんと「土の匂い」もしましたし、気持ちのいい公園です。



 実は正直に白状しますと、19年前に来たときはまだ中世城館跡探訪のスキルがほぼゼロで、この公園内を歩いてもあまりピンと来ませんでした。

 それが今では普通に構造などが理解できるから、人って成長するものですね。

 別の説明板も建ってる。



 19年前の探訪時に撮った説明板の写真はこちら。



 BB弾に撃たれたあとかな?

 ちなみに、19年前に郷土資料館に行ったときに、郷土資料館が刊行した『世田谷の地名』という上下巻の本を購入し、その後、同じく郷土資料館の『世田谷の中世城塞』という本の存在を知ったのですが、古書で買おうとしたところ偉い高値だったため、購入を断念し、図書館でコピーを取ってきました。

 『世田谷の中世城塞』に載っている世田谷城跡の想像図はこちらです。



 郭(F)は、この本で「南郭」と呼ばれていますね。

 私はもともと地形図とか地名とかそういったものが好きだったのですが、当時『世田谷の地名』にドはまりして、『世田谷の中世城塞』とともに夢中になって貪り読み、そしてそれをもとに世田谷の歴史探訪を楽しみました。

 さて、世田谷城跡の現状は上述のようにあまり戦国城郭っぽくないですが、都区内にこれだけの遺構が残っていることは奇跡に近いかもしれませんよ。

 それでは、世田谷区立郷土資料館へ向かいます。

 (つづく)

東京都の中世城館
東京都教育委員会編
戎光祥出版





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【信州・甲州古代史探訪 その3】長野県立歴史館/千曲市森将軍塚古墳館【長野県千曲市】

2018-11-18 17:23:55 | 歴史探訪
 今日は掃除の仕事も歴史の仕事もない休暇日で、今月2度目の完全休養日です。

 部屋の中で仕事とは関係のないことをしたりしています。

 今日はブログのアップに関してはこの記事で3本目となりますが、こうやってブログを書く時間もたまには欲しいですね。

 ここ数年、私的には限界まで働いているつもりなのですが、先日身近な人から「結構休んでるじゃん」と言われて閉口しました。

 それ以外の歴史関係の友人たちやクラツーのお客様たちは私の身体を心配してくださり、そういった助言もあって来年からは少し休日を増やそうと思っていますよ。

 それでは前回の続きをお届けします。

 ⇒前回の記事はこちら

*     *     *


 川柳将軍塚古墳と姫塚古墳を見た後は、長野市のお隣の千曲市へ向かいます。

 30分ほど走り、長野県立歴史館へ到着。



 おっとー、開館の5分前に到着してしまった。

 雷電號の中で少し待ちますか。

 おや、向こうから子供たちの集団が歩いてきたぞ。

 どうやら、9時の開館に合わせて来たようです。

 校外学習か何かでしょうか。

 ちょっとタイミングをずらして入ります。

 ・・・様子を伺い、そろそろいいかな。

 今は黒曜石の企画展をやっているようです。

 先ほどの子供たちは常設展の方へ行ったようなので、ぶつからないように私は企画展から見ます。

 ところで、ここは写真撮影はOKなのですが、SNSへのアップは許可が必要ということでした。

 まあ、ブログもSNSの一種ですから、決まりを守って写真掲載はやめておきます。

 黒曜石の展示はすぐに見終わってしまい、常設展へ行きます。

 あ、子供たちはまだ縄文コーナーに居ますよ。

 なので、古墳時代から見ます。

 5世紀には朝鮮半島から人びとがやってきていたようで、県内からは積石塚が見つかり、合掌型石室の展示もあります。

 そういえば、2年前にクラツーの研修で信州に来た時、昼休みに一人で長野市立博物館を駆け足で見学したのですが、あそこにも合掌型石室の展示がありました。

 子供たちと入れ替わって縄文コーナーへ行きます。

 おー、これは面白い。

 長野市松原遺跡出土のトロフィー型土器。

 縄文時代前期末葉の作品です。

 縄文土器は「長野県宝」のものも含めてたくさん展示してあって面白いですね。

 国宝土偶「仮面の女神」は複製です。

 おっ、長野って銅鐸が出てるのね!

 なんか見る順番がおかしくなっていますが、塩尻市の柴宮遺跡からは銅鐸が出土しているのです。

 ただし、展示品は複製品です。

 他にも青銅器が出ていますね。

 こういったものは関東まで来るとほぼ出なくなります。

 いやー、面白いねえ。

 時間の関係で中世以降は見ずに博物館から出ます。

 つづいて、一瞬車に乗って移動して、隣接している森将軍塚古墳館へやってきました。



 あ、裏山の頂上に古墳らしきものが見える。



 あれが森将軍塚古墳ですね。

 結構高い・・・

 ではまずは森将軍塚古墳館から見学します。

 こちらは他に見学者はいないので、落ち着いて見学できますね。

 さっそく2階へ上がります。

 このあと見に行く森将軍塚古墳は非常に特異な形状をしています。





 これだとあまり分かりませんね。

 平面図を見てみましょう。



 こんな感じに、前方後円墳ではあるのですが、異様にいびつな形状をしています。

 何でこうなってしまったのかというと、どうしても100mの古墳を造りたかったのですが、尾根の上はそれほど面積がなかったため、スケールダウンをするという選択をせずに、無理やり墳丘長を出すために形状を尾根の形にしてしまったという説があります。

 面白いですねー。

 普通だったら場所を変えるとか、大きさを小さくするとかすると思うのですが、森将軍塚古墳の被葬者のグループは意地になってこんな古墳を造ってしまったわけです。

 おや、また珍しい形の埴輪だ。



 合子型(ごうすがた)埴輪といって、蓋があるものとないものがあり、前方部先端に並べられていました。

 森将軍塚古墳からは長野県で唯一の例となる、三角縁神獣鏡が出土しています。



 ただし、欠片です。

 そしてこの部屋の中央には巨大な竪穴式石室の復元が構築されています。

 バーン!



 ババーン!



 竪穴式石室の中には割竹形木棺が納められていたと想定されています。



 墳丘に建てられていた朝顔形埴輪。



 森将軍塚古墳の周辺には小さな古墳がたくさんあるようです。



 一つの棺の中に2名納めるというのは、現代人からすると異様な感じがすると思いますが、古墳時代ではよく発見されます。



 こういった場合は、その2名は「キョウダイ」であるといわれています。

 「キョウダイ」とわざわざカタカナで書くのは、4通りの組み合わせがあるからですよ。

 長野県は、群馬県や静岡県、それに福岡県と並んで卓越して古墳からの馬具の出土が多いです。



 壁面には古墳から出土した遺物が展示してありますよ。



 もう一面には集落跡から出土した遺物。



 いやー、面白いねえ。

 横穴式石室の復元を上から見ていると、1階から石室内が覗けるようになっているのに気づきました。

 行ってみましょう。



 なるほど、盗掘時に空けられてしまった穴から見るイメージですね。



 しかし、塚掘り六兵衛さんが気になる。

 なお、石室内はこんな感じにベンガラで赤く塗られていました。



 棺の周辺には水銀朱がまかれており、水銀朱はこの近辺では採取できないそうです。

 棺の周辺に水銀朱をまくのはヤマトと同じやり方ですね。

 それでは、続いて実際の古墳を見に行ってみましょう。

 さっきの山登るのか・・・

 ⇒この続きはこちら

「シナノ」の王墓の考古学
川崎 保
雄山閣



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【信州・甲州古代史探訪 その2】信州最古の前方後方墳・姫塚古墳【長野県長野市】

2018-11-18 11:23:55 | 歴史探訪
 いろいろな方々から「稲用さんの勉強法は何ですか?」みたいなことを尋ねられることが多いのですが、そういう風に尋ねてくださる方の方が私よりも学歴が高かったり、難しい仕事をこなしてきた経験が多いと思うので、私のような者が答えるのは憚られてしまいます。

 でも身の程を弁えずに答えるならば、一番いいのは現地を見ることでしょうか。

 つまりは史跡めぐりです。

 ただし、史跡めぐりを楽しんでも、帰宅したらほとんど忘れてしまいます。

 そのため、私の場合はこのブログの記事のように、探訪記録を付けるわけです。

 史跡めぐりから帰ってきた後、写真を編集して、手元の各種資料を参照しながら記事を書いておくと、ある程度は脳内に記憶が残りますよ。

 こういった些細な記事をここ20年くらいで1000本以上書いており、人によってはくだらない趣味に見えるようですが、これのお陰で講座やツアーで喋るときもいろいろな引き出しとして活用でき、今ではご飯を食べていくための重要な資産となっています。

 というわけで、前回の続きを行きますよ。

 ⇒前回の記事はこちら

*     *     *


 信州は私にとっては未知の領域に近く、今まで歴史探訪には2回しか来たことがなく、2回とも城跡を見に来て古代史関連は見ていませんでした。

 なので、今回は初めての信州古墳探訪になるわけです。

 そんな感じで予備知識もなく来たことにより、川柳将軍塚古墳と出会うことができ嬉しかったわけですが、本来の目的地である姫塚古墳はさらに山奥にあります。

 「クマに注意」の看板にビクビクしつつも、せっかく来たからには行ってみるしかありません。

 川柳将軍塚古墳から林道を少し進むと、道の分岐点が現れました。



 ここを左手ですね。

 古墳の里、いいですねー。



 少し道が荒れてるな・・・



 2~3分登り、説明板出現!



 ここですねー。



 では墳頂へ登ります。

 姫塚古墳は元々の地形を最大限に利用して造り、一見、どこからが墳丘か分かりづらいですね。



 後方部、墳頂部分。



 墳丘長31mという大きさからすると、ここから見下ろせるのが前方部でしょう。



 墳丘から下ります。

 説明板の背後の土盛が後方部でしょう。



 これでまた前方後方墳を一基クリアできました。

 説明板に書かれている通り、姫塚古墳は川柳将軍塚古墳よりも古い古墳で、当地方の古墳時代最初の支配者の墓だと考えられます。

 発掘調査はされていないようですが、掘ればおそらく東海系の土器が出てくるはずです。

 それでは元来た道を戻りますよ。

 川柳将軍塚古墳。



 あ、ここに車止められそうだなあ・・・



 車の種類にもよりますが、ここの川柳将軍塚古墳前の駐車スペース(?)まで車で登ってこれますね。





 なるほど、降りながらだと陪塚が見えますね。



 信州の古代史をやる上では、川柳将軍塚古墳と姫塚古墳はぜひ見ておきたいですが、クラツーにてバスでここまで来るのは無理だな。

 なお、姫塚古墳と川柳将軍塚古墳は、千曲川が流れる善光寺平の西側の丘陵にあります。

 善光寺平では戦国時代、有名な川中島の合戦が行われましたね。

 川柳将軍塚古墳から東北東へ7㎞ほど行った場所には川中島古戦場史跡公園と長野市立博物館があり、クラツーの仕事を始めたときの最初の研修で同行させていただいたのが信野先生の川中島合戦ツアーだったのです。

 そういえば、その時の探訪記事もまだアップできていない・・・

 戦国時代も面白いですが、今日は古代史探訪ということで、次は善光寺平の対岸の丘陵上にある森将軍塚古墳へ行きますよ。

 ⇒この続きはこちら

千曲川古墳散歩: 古墳文化の伝播をたどる
相原 精次,三橋 浩
彩流社


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【信州・甲州古代史探訪 その1】長野県内最古級にして2番目の大きさの前方後円墳・川柳将軍塚古墳【長野県長野市】

2018-11-18 10:22:50 | 歴史探訪
 昨日の11月17日(土)は、西新宿のクラブツーリズムにて講座を3本やらせていただきました。

 今回は毎月やっている連載講座で、東北の古代史・中世史講座の第11回および日本書紀講座と関東の古代史講座のそれぞれ第2回です。



 東北は19名様、日本書紀は29名様、関東は18名様のご参加をいただきました。

 皆様、いつもありがとうございます!

 これと同じ内容は、今週の水曜日(21日)にもやりますよ。

 ⇒詳細はクラツー公式サイト内のこちらのページをご覧ください。

 先月から1日に90分の講座を3本やる日を設けているのですが、それだけ喋っても喉の方はとくに問題ないことが分かりました。

 たまに趣味のカラオケにも行っていますし、子供のころは母親に「口から先に生まれてきた」と言われていたくらいなので何とか大丈夫そうです。

 ところで、私がこのように好きなことを職業にしていて、かつ健康な限り一生できる仕事をしていることを一番喜んでくれているのは母です。

 まあ、心配されなくても私は何とか生きていく自信がありますが、親は息子が46歳のおっさんになっても子供のことが心配なんですね。

 歴史と掃除でこれからも皆様のお役に立つように頑張ります。

 ちなみに、クラツーのビル(正確には隣のビル?)の地下(一風堂とかカレー屋さんとかある場所)の中華屋さんの味噌ラーメン、美味いですよ。



 新宿なのに690円!

 美味しいのに店の名前を憶えていなくてスミマセン・・・

 さて、前回の記事でお伝えした通り、11日(日)は久しぶりに東国を歩く会で「歩く日」を開催しました。

 その内容も引き続きアップしたいのですが、7日(水)には雷電號を駆って信州と甲州の史跡を見てきたので、本日はその時の様子を簡単にお伝えします。

*     *     *


 歴史探訪に行くときは早朝に出発するに限ります。

 ただ、あまりにも早く家を出ても、現地に到着する時刻が早すぎると、それはそれで史跡が見れなかったり、博物館がまだ開館していなかったりで都合が悪いので、私の場合は朝の最初の移動で目的地域の一番遠くまで行ってしまうことにしています。

 そして後は家に向かって戻りつつ、探訪をするという感じです。

 今回の旅の本来の目的は来月催行する甲州の古代史ツアーの下見ですが、ついでなので信州も見てこようと思います。

 雷電號があれば信州へ行くくらいチョロい。

 まずは長野市内にある前方後方墳の姫塚古墳へ行ってみますよ。

 5時半に出陣。

 長野へは中央道経由ではなく関越道経由で行きます。

 高尾山ICから圏央道へ入り、鶴ヶ島JCTから関越道というよく走るコース。

 しばらく北上し、藤岡JCTから上信越道へ。

 そういえば、一昨年の4月にクラツーと契約した後、ツアーの仕事の研修のために長野へ行ったときにこの道を走りました。

 今思えば、あの当時からツアーの仕事をきちんとできる自信がありましたな。

 私は「根拠のない自信ドリヴン」といって、何かをするときに「根拠のない自信」によって駆動することが多いのです。

 たまに失敗しますが・・・

 結婚とか・・・

 それはさておき、今でこそ「先生」と呼ばれることも慣れましたが、そういう自覚はきちんと持ちながら、本質的には「サーヴィス業」であることを忘れないように仕事をしています。

 お客様に喜んでいただくために、クラツーでは「歴史」をサーヴィスとして提供し、ダスキンでは「掃除」をサーヴィスとして提供しているわけで、物事の本質は変わりません。

 いかにお客様に喜んでいただくか、という視点で今日も面白スポットを探してきますよ。

 ・・・そろそろトイレ行きたい。

 軽井沢を越えた先の佐久平PAで休憩です。

 ここまで1時間半かかりました。

 再度出発!

 上田を通過。

 上田は会ったことのない父方の祖母の故郷です。

 更埴JCTから長野自動車道に入ったと思ったら、更埴ICですぐに降り、カーナヴィに脳内を支配されつつ古墳の近くまでやってきました。

 実は今日はほぼ下調べ無しで来ました。

 仕事のときはもちろんきちんと調べていきますが、こういった趣味に近い探訪の場合は、結構下調べ無しで来ることが多いです。

 その方が現地での発見がより刺激的になって探訪が楽しくなるからです。

 最初の目的地である姫塚古墳に近づくと、古墳は山の上にあることを知りました。

 こんなことさえまったく調べずに来てしまったのです。

 山を少し登っていくと駐車場がありました。

 ここからもまだ上に道が続いていますが、駐車場があるということはここで降りたほうが無難なんでしょう。

 時刻は7時50分。

 では行ってみますよ。



 説明板もあるね。



 そっか、姫塚古墳の隣にはもっと大きな前方後円墳である川柳将軍塚古墳があるんですね。

 予備知識なしで来ると、こういう発見が楽しいですね。

 私は前方後方墳マニアとして全国の前方後方墳を訪ね歩いている関係上、姫塚古墳に着目して来たわけですが、川柳将軍塚古墳は長野県最古・最大級の古墳ということで楽しみです。

 駐車場付近からの景色。



 行きます。



 5分ほど登ると東屋がありました。



 ここの説明板はサディスティックだな。



 東屋付近からの景色。



 道の右手上には陪塚が並んでいるということですが・・・



 よく分かりませんね。



 しかし、この道だったら車でも登れたな・・・

 お、説明板が見えたぞ。

 川柳将軍塚古墳に到着!



 先ほどの駐車場から10分の距離でした。



 へー、「せんりゅう」なんですね。

 説明板に書かれている通り、長野県で2番目に大きい93mの前方後円墳で、葺石と円筒埴輪が見つかっているとのことです。

 森将軍塚古墳に続く地域王墓か・・・

 いいですねえ。

 森将軍塚古墳はこのあと行きますよ。

 では、後円部に登ります。



 立派な石碑。



 そして説明板。



 えーっ!

 熊に注意ですか!

 確かにこんな山の中だと熊がいてもおかしくないですね。

 大丈夫だろうと楽観視する一方で、やっぱり怖い気持ちもあります。

 こういう場所は一人で来ない方がいいのですが、仕方がないですね。

 ところで、主体部は前方部と後円部にそれぞれ1基ずつあったということですが、「盗掘」されたのに出土品の詳細が書かれているのは面妖ですね。

 盗掘じゃなくて「調査」じゃないですかね。

 あ、でも「窃盗」を前提とした調査かも知れず、なるほど、アカデミックな窃盗団ということでしょうか。

 後円部から前方部を見下ろします。



 前期の古墳らしく、高低差がありますね。

 林道を見下ろします。


 
 墳丘の裾部分の一部が溜池のようになっています。

 鞍部まで降り、後円部を見上げます。



 前方部を見ます。



 前方部の先端から見下ろします。



 前方部から後円部を見ると、この通りの高低差。



 おや、もう一つ説明板があるみたいですよ。

 行ってみます。



 立派な石碑もある。





 へー、面白い。

 最初は「埴輪円筒棺」という名前から円筒埴輪を棺に転用したのかと思いましたが、棺用に専用に焼いたんですね。

 こういうのは聴いたことがないです。

 「この地方から出土した他の円筒埴輪館」と書かれていることから、円筒埴輪館自体はこの地域で見られるもののようですね。



 それでは、当初の目的地である姫塚古墳へ行ってみますよ。

 でも姫塚古墳はさらに山奥なんだよなあ・・・

 熊さん、出てきませんように。

 そうえいば、くまのプーさんは下半身裸ですね。

 ⇒この続きはこちらです

信濃が語る古代氏族と天皇 善光寺と諏訪大社の謎(祥伝社新書)
関裕二
祥伝社





 
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【宗像古墳探訪その3】新原・奴山古墳群の被葬者から盟主の座を奪った者の墓か?須多田天降神社古墳【福岡県福津市】

2018-11-06 19:03:19 | 歴史探訪
 ⇒前回の記事はこちら

 須多田下ノ口古墳に続いて、須多田天降神社古墳を探してみます。

 向こうに見える鳥居が気になります。



 この道は江戸時代からあったのでしょうか。



 須多田公民館。



 何か、祠のようなものが見えますね。



 うわ、ビックリした!



 なんだよ、もう。

 額の文字は消えていますが、ここが天降天神社でしょう。



 次の鳥居にはきちんと神社の名前がありました。



 周溝の跡でしょう。



 もう一段登れます。



 この場所が1段目の上になり、本殿背後には2段目が見えます。







 説明板。
 




 須多田天降神社古墳は墳丘長80mの前方後円墳で、その他のスペックは後円部径が48m、前方部幅が54mとなり、後円部径÷墳丘長は0.6、前方部幅÷墳丘長は0.68となります。

 『宗像地域の古墳』(宗像考古学研究会/編)によると、2段築成で周溝と周堤を備え、葺石と須恵器、円筒埴輪、形象埴輪が見つかっています。

 さて、これでここまで近辺のいくつかの前方後円墳を見てきました。

 そろそろカメリアステージに行こうと思うので、須多田上ノ口古墳は割愛しますが、これらの古墳の編年は、『宗像地域の古墳』(宗像考古学研究会/編)に掲載されている4種の編年を見ると、この地に最初に構築された前方後円墳が上ノ口古墳で、つづいて天降神社古墳、ミソ塚古墳、下ノ口古墳、在自剣塚古墳の順で築造されたと考えるのが一般的のようです。

 この地域の前方後円墳は在自剣塚古墳が最後となり、全国的に見ても前方後円墳の時代は終わります。

 最後にこれら5つの古墳のスペックをもう一度列挙してみます。

 ①上ノ口古墳 墳丘長:43m 後円部径:22m 前方部幅:30m 後円部径÷墳丘長=0.51 前方部幅÷墳丘長=0.7

 ②天降神社古墳 墳丘長:80m 後円部径:48m 前方部幅:35m 後円部径÷墳丘長=0.6 前方部幅÷墳丘長=0.68

 ③ミソ塚古墳 墳丘長:67m 後円部径:22m 前方部幅:35m 後円部径÷墳丘長=0.32 前方部幅÷墳丘長=0.52

 ④下ノ口古墳 墳丘長:82.8m 後円部径:30m 前方部幅:60m 後円部径÷墳丘長=0.36、前方部幅÷墳丘長=0.72

 ⑤在自剣塚古墳 墳丘長:101.7m 後円部径:49m 前方部幅:64m 後円部径÷墳丘長=0.48 前方部幅÷墳丘長=0.63

 新原・奴山古墳群との関連を考えると、新原・奴山古墳群では5世紀の頃に大型古墳が造られ、上ノ口古墳が造られた時期は、上ノ口古墳の大きさは他の古墳と比較しても突出しておらず、この地域の首長墓は新原・奴山古墳群に築かれた模様ですが、天降神社古墳の大きさは他の古墳に差を付けていますので、天降神社古墳の被葬者はこの地域での盟主の座を新原・奴山古墳群の被葬者から受け継いだ(奪った)可能性が想定されます。

 それでは、カメリアステージに戻りますよ。

 (づづく)

九州 古墳・古代遺跡 探訪ベストガイド
九州遺跡研究会
メイツ出版




 
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【宗像古墳探訪その2】須多田下ノ口古墳と須多田ミソ塚古墳はモデル体型【福岡県福津市】

2018-11-06 18:13:11 | 歴史探訪
 ⇒前回の記事はこちらです

 在自剣塚古墳に続いて、須多田下ノ口(すだたしものくち)古墳を探してみます。

 確か、神社があるということなので、注意深く街道を走っているとそれらしき神社が見つかりました。

 きっとここでしょう。

 車を降りて境内へ行ってみます。

 ちなみに今日のレンタカーはこちらです。



 石段を登り社殿に到着。



 うーん、古墳らしい感じはしますが、形状がまったく分かりません。



 どうやら、社殿がある場所が後円部のようですが、前方部は削平されてしまっているようです。

 復元した場合の墳丘長は82.8mですので、結構大きめの前方後円墳ですね。

 なお、後円部径は30m、前方部幅は60mなので、後円部径÷墳丘長は0.36、前方部幅÷墳丘長は0.72となり、随分と頭が小さい古墳です。

 築造時期は6世紀後半ということなので、先ほど見た在自剣塚古墳と同時期で、在自剣塚のスペックは、

 墳丘長:101.7m 後円部径:49m 前方部幅:64m 後円部径÷墳丘長=0.48 前方部幅÷墳丘長=0.63

 となり、規格の類似性は認められません。

 『宗像地域の古墳』(宗像考古学研究会/編)によると、二重の周溝がめぐり、前方部には別の古墳の石室があるということですが、「別の古墳」が須多田下ノ口古墳より前の古墳なのか後の古墳なのかは分かりません。

 遠景を撮影したいので少し離れます。

 あ、あれは須多田ミソ塚古墳ですね。



 墳丘長推定67mの前方後円墳で6世紀半ばから後半にかけての築造と考えられ、スペックは、

 後円部径:22m 前方部幅:35m 後円部径÷墳丘長=0.32 前方部幅÷墳丘長=0.52

 となり、随分とスレンダーな古墳ですね。

 そういえば、千葉県栄町の龍角寺古墳群にもみそ岩屋古墳という方墳があり、古墳に「ミソ」を付ける意味が何なのか気になります。

 はい、須多田下ノ口古墳の遠景。



 では、この近くには須多田天降神社古墳がありますので、このまま歩いて見に行ってみます。

 ⇒この続きはこちら


季刊 邪馬台国 2013年 10月号 [雑誌]
安本美典責任編集
梓書院


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【宗像古墳探訪その1】津屋崎古墳群最大級の前方後円墳・在自剣塚古墳【福岡県福津市】

2018-11-06 16:51:49 | 歴史探訪
 最近はクラツーの仕事で日本中に行けるようになりましたが、こういう状態になってからまだ1年半くらいしか経っていません。

 昨年(2017年)の6月に歴史の仕事としては初めて九州へ行って以来、とくに九州(福岡県)にたくさん行っています。

 同年の8月19日は西新宿で講座をやり、講座終了後はそのまま羽田空港へ行って福岡へ飛び、翌20日と21日は宗像関連の史跡を下見してきました。

 20日の様子は探訪直後にアップしたのですが、21日に関しては何も手を付けていませんでした。

 今日は朝からずっと家にいて古墳のことを調べているので、福岡の古墳について勉強しがてらそのときの探訪記録をアップしようと思います。

 なお、その探訪時はメインで使っているデジイチが不調で、サブ機のコンデジやスマホ、それにガラケーや神武號(ノートPC)などいろいろなハードウェアで写真を撮り、画質的に非常に見苦しい写真もあるかもしれませんが、どうかご了承ください。

 ⇒20日の探訪記録はこちらです

*     *     *


 宮地嶽神社に参拝した後、同じ福津市内にあるカメリアステージにやってきました。

 ここの図書館には新原・奴山古墳群で出土した遺物が展示してあるそうなのでぜひ見てみたいです。

 ここかな?



 あれ、ここじゃなかった。

 あ、こっちの建物か。



 あれれ、まだ開館していない!

 ちょっと早く来てしまいました。

 仕方がないので近辺の古墳をめぐってから再度探訪しようと思います。

 さて、どの古墳に行こうかな?

 よし、在自剣塚(あらじつるぎづか)古墳にしよう。

 大体の場所は分かっているので現地に行けば見つかるでしょう。

 車で古墳の近くと思われる場所まで行き、あとは歩いて探索です。

 あ、あの森が怪しい。



 完全に藪化していますが、何となく墳丘のように見えます。



 ベンチが置いてあるっていうことはきっと古墳だろう。



 この土盛りは古墳に違いないですね。



 在自剣塚古墳発見。

 でも標柱も説明板も何もないです。

 在自剣塚古墳は墳丘長101.7mを誇る津屋崎古墳最大の前方後円墳ですよ。

 なのに、この扱いはちょっと寂しいですね。

 墳丘に立ち入るのはちょっと憚られるなあ。



 ここは前方部の底辺側ですね。

 南西側の遠くを見ると地形が低くなっているのが分かり、中心街が見えます。



 山側の景色。



 では、在自剣塚古墳を後にしますよ。



 次は須多田地区の方に行ってみます。

 ⇒この続きはこちら
 
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 探訪のあと、『宗像地域の古墳』(宗像考古学研究会/編)を購入し、在自剣塚古墳の詳細な墳丘平面図を入手し、さらに今年の8月に壱岐へ行き双六古墳を見てきた結果、在自剣塚古墳と双六古墳の雰囲気が似ていると思いました。

 在自剣塚の方が前方部の底辺が開いており幅は広いのですが、後円部がポッコリと高いところを見ると、おそらく横から見た感じは似ているのではないでしょうか。

 在自剣塚の方は上述のように林の中にあって横から見るのは難しいですが、双六古墳はこちらです。



 ※2018年8月26日撮影

 後円部のこの異様な急角度は、新原・奴山古墳群でも見ることができますが、新羅の墳墓の影響が強いように思えます。

 在自剣塚も双六古墳もともに6世紀後半の築造と考えられ、この時期はとくに関東地方で100m級の大型前方後円墳が多く作られる傾向がありますが、同じ時代の関東地方の前方後円墳とは明らかに形状が異なります。

 ●双六古墳 墳丘長:91m 後円部径:43m 前方部幅:36m 後円部径÷墳丘長=0.47 前方部幅÷墳丘長の比率=0.40

 ●在自剣塚古墳 墳丘長:101.7m 後円部径:49m 前方部幅:64m 後円部径÷墳丘長=0.48 前方部幅÷墳丘長=0.63

 墳丘長と前方部幅の比率を見ると、明らかに在自剣塚古墳の方が大きいですが、この前方部幅が広いという点に関しては、6世紀後半の前方後円墳の全国的な傾向に一致するので、横から見た雰囲気は新羅系の墳墓を想像させられますが、ヤマトの要素もきちんと取り入れられている古墳に思えます。

 ちなみに、6世紀後半から7世紀初頭の関東の前方後円墳のスペックは以下の通りです(それぞれ、古墳群最後の前方後円墳)

 ●大室古墳群の後二子古墳(群馬県前橋市) 墳丘長:85m 後円部径:48m 前方部幅:60m 後円部径÷墳丘長=0.56 前方部幅÷墳丘長=0.71



 ●龍角寺古墳群の浅間山古墳(千葉県栄町) 墳丘長:78m 後円部径:52m 前方部幅:58m 後円部径÷墳丘長=0.67 前方部幅÷墳丘長=0.74



 ●八幡古墳群の観音塚古墳(群馬県高崎市) 墳丘長:105m 後円部径:70m 前方部幅:105m 後円部径÷墳丘長=0.67 前方部幅÷墳丘長=1



 浅間山古墳と観音塚古墳は、ともに墳丘長に対する後円部径が2/3で何かしらの統一規格を想起させられます。

 また、観音塚古墳は墳丘長と前方部の幅が同じ105mというとても面白い形です。
 
 ●埼玉古墳群の中の山古墳(埼玉県行田市) 墳丘長:79m 後円部径:42m 前方部幅:44m 後円部径÷墳丘長=0.53 前方部幅÷墳丘長=0.56(スペックは推定で形も剣菱形の可能性がある)



 以上、古墳の外見(サイズ)から古代史を探っていくのも面白いですよ。
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【出雲古代史探訪】6世紀の意宇地方の首長墓・山代二子塚古墳はなぜ前方後方墳なのか【島根県雲南市】

2018-11-06 12:13:17 | 歴史探訪
 私は毎週のように日本各地の史跡をめぐっていますが、このブログへのアップがまったく追いつきません。

 ほとんどがクラツーの仕事でツアーの案内人として行っていますので、そういう場合は史跡の写真を撮る暇はほとんどないこともあり細かくアップしなくてもいいと思っているのですが、単なる趣味で出かけたり、下見を兼ねていろいろ見てきたときのレポートは、できれば詳細にアップしておきたいです。

 最近では、10月1日から3泊4日で、岡山・広島・島根・鳥取をめぐってきましたが、このブログにはようやく1日目の様子をアップし、2日目に取り掛かった程度でとどまっています。

 本当は探訪した順にアップしたいところですが、本日は上述の旅で一番最後に訪れた、島根県雲南市の山代二子塚古墳をアップしたいと思います。

*     *     *


 出雲国山代郷正倉跡を見た後、最後にもう一箇所だけ見て、出雲空港へ向かうことにします。

 前方後方墳フリークとしては、どうしても山代二子塚古墳を見ておきたい。

 多分、この辺だろうな・・・

 お、駐車場がありますよ。

 車から降りて墳丘へ向かいます。

 あったー。





 後方部をこちらに向けていますね。



 説明板。



 周溝跡。



 並んでいる石は往時の様子を復元したものではありません。



 古墳に来たら墳頂へ登りたいですが、この山代二子塚古墳には土層見学施設があるので、まずはそちらから見てみましょう。



 お、凄い!



 普通、こういった土層(地層)を展示するときは特殊なコーティングをするのですが、ここは「生」だそうです。



 山代二子塚古墳は6世紀の古墳ですが、この土層を見る限りでは版築工法は採用されていません。

 パネル展示もあります。



 実は、山代二子塚古墳は現在のように復元される前は、後方部が半分無くなっていたそうです。

 無くなっていた分を付け足して復元したわけですが、半分削られていたことを逆手にとって、そのとき露出していた場所に近い土層をこのように見える状態にしておいたというわけです。

 土層見学施設から外に出ると、ちょうど職員の方が鍵を閉めに来ました。

 今はまだ15時50分なので、本来であればまだ閉室の時間ではないのですが、雨が降ってきそうだということで早めに閉めに来たそうです。

 では、墳頂に登ってみましょう。

 お、葺石かな。



 後方部から前方部を見ます。



 出雲には宍道湖を囲むように4つの神奈備山があり、そのうちの一つが茶臼山です。



 意宇の神奈備山ですね。

 後方部のエッヂ。



 復元だから当たり前なのですが、しっかり決まっていてカッコいいです。



 後方部のくびれ側を見ます。



 1段目の上のテラスが前方後方墳ならではの独特さを醸しだしていますね。

 前方部を見ます。



 北西方向を見ると丘陵の突端部分が見えます。



 あの丘陵突端部分付近は古志原という地名が付いているのですが、出雲を調べていると古志(越)の国の影が見え隠れするので、古志原という地名も北陸方面との交流の形跡ではないかと思います。

 北北西方向の眺望。



 墳頂の東側には2つの古墳が見えます。

 といっても、森の中で輪郭がみえるわけではないのですが、一つが方墳の山代方墳(一辺45m)です。



 そしてその右手奥には同じく方墳永久宅跡古墳(大きさ不明)が見えます。



 ※上2枚の写真は2018年10月28日に撮影

 他に、南西方向には造り出しが2個もついた特異な形状の方墳である大庭鶏塚古墳(一辺44m)があり、この4墳は意宇の首長墓と考えられ、下図のような配置および築城順となっています。



 ※『八雲立つ風土記の丘 常設展示図録』(八雲立つ風土記の丘/編)より転載

 なお、出雲の主な古墳の編年はこのようになっています。



 ※『八雲立つ風土記の丘 常設展示図録』(八雲立つ風土記の丘/編)より転載

 前方部から後方部を見ます。



 ちょっと角度を変えて。



 関東の場合、6世紀の前方後円墳は前方部と後円部の高さが伯仲しているか、場合によっては前方部の方が高くなっています。

 ところが、山代二子塚古墳は前方部と後方部の段差が大きく、もし私が予備知識なしでこの外観を見たら、4世紀の古墳だと思うかもしれません。

 そもそも、6世紀に前方後方墳を造ってしまったことが意外です。

 また関東の例になりますが、関東では古墳時代が始まった初期の古墳(3世紀)は、前方後方墳が多く、その勢力の次の代の古墳が前方後円墳になるケースが多いです。

 まれに前方後方墳を何代にもわたって造り続ける勢力もいたのですが、基本的には前方後方墳と言ったら3世紀か4世紀に築造された古墳なのです。

 もう一度出雲地方の古墳編年をご覧ください。



 ※『八雲立つ風土記の丘 常設展示図録』(八雲立つ風土記の丘/編)より転載

 これを見ると、意宇では5世紀後半になってから大型の前方後方墳が現れます。

 この時期に大型前方後方墳が出現し、その後造り続けられる地域というのは、私が知っている範囲では他に見たことがありません。

 なぜこんなことになってしまったのでしょうか?

 それでは墳丘から降ります。



 駐車場側の入口から茶臼山をバックに。



 山代二子塚古墳は、島根県で最も大きい古墳なので、必然的に出雲国内で最も大きい古墳になります。

 ただし、先ほどお見せした編年の通り、ここ意宇地方と並び立つ出雲西部の神門地方にある大念寺古墳も91mの前方後円墳ですので、両者は拮抗した勢力であったと考えられます。

 この山代二子塚古墳や大念寺古墳は100m近い大型古墳ですが、この規模の古墳は6世紀になると、むしろ中央より関東や北部九州で多く造られるようになります。



 ※『古墳は語る 古代出雲誕生』(古代出雲歴史博物館/編)より転載

 この図の通り、中央では6世紀後半に見瀬丸山古墳という310mもある超大型古墳が造られ、欽明天皇の墓ではないかと言われています。





 ※上2枚の写真は2018年9月23日撮影(そのときの探訪レポートはこちら

 この時期、関東や北部九州で大型古墳が造られた理由については、北部九州に関してはヤマト王権が朝鮮半島へ進出する際、当該地域の国造(くにのみやつこ)たちの協力を得るために大型古墳の築造を許可したと考えられ、一方の関東地方に関しては、北東北へ進出する際にやはり関東の国造たちの協力を仰ぐためということが当時の政治情勢を見て推測することが可能です。

 となると、出雲の豪族にも同様な理由で大型古墳の築造を許したと考えることができ、出雲の場合は新羅に対することもあると思いますが、もっと北の高句麗に対する戦略に関係があったと考えることはできないでしょうか。

 その高句麗に対する戦略が具体的にどのようなものであったのかは今後考察することとして、今はその可能性を考えるのみとしておきますが、それでも解けない疑問は、なぜ意宇の有力者の古墳が前方後方墳なのか?ということです。

 前方後方墳が何なのかに関しては、いくつも説が出ていますが、その一つは広瀬和雄さんなどが提唱しているヤマト王権が地方豪族の序列を可視化するために、前方後方墳は前方後円墳よりも下位の勢力に築造を許可するという「序列説」です。

 もう一つは、白石太一郎さんなどが提唱している説で、奈良を中心とした邪馬台国連合は前方後円墳を築造し、東海地方を中心とした狗奴国連合は前方後方墳を築造したという説です。

 後者の説では、前方後方墳のルーツが東海地方だった可能性を考えると、東日本の初期古墳に前方後方墳が多いことがきれいに説明できているような感じがしますが、そもそも邪馬台国が奈良になかったら崩壊する説ですし、広瀬さんが言う通り、前方後方墳は奈良県天理市に国内最大のものがあり(180mの西山古墳)、こちら出雲でも上述の図に見られる通り多く築造されているので、それほど単純ではないかなと思います。



 ※西山古墳(2017年12月16日撮影)

 前方後方墳の謎については今後も考えていきたいと思っていますが、これにて今回の歴史探訪は終了です。

 東京へ帰るべく、出雲空港へ向かいます。

 出雲空港の近くでレンタカーを返し、空港へやってきました。

 お、さすが出雲空港。





 夕飯食べてから飛行機に乗りたいなあ・・・

 このラーメン、美味そうだな。



 実は昨日の夜食べた味噌ラーメンが不本意だったため、期待を込めて「スサノオラーメン」を食べてみようと思います。

 まずはビール。



 ひやー、美味い。

 お、来た来た。



 これは美味いねえ!

 糀が入っている少し癖があるスープは他ではあまり出会えないと思いますよ。

 今度出雲空港に来るときもまた食べようっと。

 それにしても今回の3泊4日の旅もとても楽しかったです。

 岡山、広島、島根、鳥取とめぐりましたが、後半になるにつれて面白度がどんどんアップしていきました。

 岡山や島根の史跡や神社はとても有名ですが、広島の史跡も面白く、また鳥取県の場合は妻木晩田遺跡はもちろんのこと、上淀廃寺跡が異様に面白かったので、今度はこの周辺のマニアックなツアーを造ってみたいと思います。

 というわけで、東京へ帰りますよ。

前方後方墳の謎
植田 文雄
学生社







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【クラブツーリズム】北東北の縄文ツアー【秘湯・青荷温泉ランプの宿で縄文人の気分に?】

2018-11-06 09:53:29 | 歴史探訪
 DeathK!NとCTで14連勤をして、今日は久しぶりにお休みです。

 なので、今日は終日、政所で歴史の研究をしようかと思っていますが、その前に先週末の11月2日から4日までクラツーにてご案内してきた北東北の縄文ツアーの様子を簡単にご報告します。

 食べ物の写真が多く、これだけ見るとろくに仕事もせずに3日間食べていただけのように見えてしまうかもしれませんが、もちろんきちんと仕事をしてきましたよ。

 それではどうぞ。

*     *     *


 今日は東北へ行くということで、いつものごとく、東京駅から東北新幹線に乗り込みます。



 途中、上野と大宮でもお客様が合流し、今日は総勢18名様のご参加です。

 いやー、天気が良くて何よりだ。

 盛岡では今日は岩手山が全身を現してくれました。



 盛岡には何十回も来ていますが、全身が見れる日は少ないような気がします。

 でも今日は盛岡で下車ではなく、青森県八戸まで行ってしまいます。

 八戸に到着。



 バスに乗り換え、まず最初は八戸市内にある是川縄文館です。

 是川縄文館の常設展示で見れる赤漆塗りの弓や土器などは本当に素晴らしく、毎回お客様が驚きつつ喜んでくださります。

 土偶の展示も人気ですが、今日も前回同様、ここの土偶たちのヘッドである合掌土偶さんはパリへ出張しているため不在でした。

 今は「どうぶつと縄文」という企画展をやっていますよ。



 ここ数年、動物の歴史にも興味があるのでこういった企画は楽しいです。









 つづいて岩手県一戸町の御所野遺跡。

 紅葉の時期の御所野も素敵です。



 ここは三内丸山遺跡ほどは有名ではないのですが、とても素晴らしいので、ここでも博物館の展示を含めお客様は驚きつつ喜んでくださります。



 ミュージアムショップでは珍しく書籍ではなくお菓子を買ってみましたよ。



 バスに戻りすぐに「くるみもなか」を食します。

 お、これは好きな味だ。

 次回来る時も食べようっと。

 今日の探訪はこの2件のみで、青森県黒石市の青荷温泉ランプの宿へ向かいます。

 途中、花輪SAで休憩。



 「みそ付たんぼ」を買ってみました。



 お、これすごく美味い!

 きりたんぽというと鍋で食べるのが有名ですが、私はこのスタイルの方が好きですね。

 花輪SAに寄ったらぜひ食べてみてください!

 陽が落ちました。

 宿へ向かう林道をひたすら登ります。



 今回は大型バスなのですが、この道は道幅も狭く、ドライバーさん泣かせかもしれません。

 木の枝がダイナミックに車体に当たります。

 車体に傷ついたかもしれない・・・

 大型バスで行けるところまで行くと、宿のマイクロバスがお出迎えです。



 マイクロバスに乗り換え、ようやく到着!

 「ランプの宿」という名前の通り、この温泉宿は客が行動できる範囲には電気がありません。

 つまり、部屋やお風呂の明かりもランプのみで、コンセントがないのです。

 もちろん、携帯は圏外です。

 暗い中の夕食。



 イワナの塩焼きが食べやすく調理されていてありがたいです。

 今日は津軽三味線の演奏があります。



 宿オリジナルのお酒もありますよ。



 30分ほどの演奏を楽しみ、部屋に戻るとすぐに温泉へ。

 まずは勇気を出して混浴の露天風呂へ行ってみました。

 良かった・・・

 誰もいない・・・

 万が一女性がいたら、ポンポコリンの裸体を見せるのは恥ずかしいです。

 でもお湯がぬるいな・・・

 違う風呂へ行ってみます。

 ここにはお風呂が4か所ありますよ(温泉自体は単純泉一種類のみです)。

 部屋に戻るとまだ20時ですが、暗くて本も読めません。

 というわけですぐに就寝。

 明けて2日目は3時に起床。

 もちろんまだ真っ暗です。

 ようやく朝ご飯の時間になったので外へ行きます

 へー、外はこうなっていたのね。

 滝もありますよ。



 私はお客様と同じ建物ではなく、このお寺の本堂のような外観の離れに宿泊です。



 朝ご飯のメインは甘露煮。



 もちろんご飯を3膳!

 さて、出発の準備をしようか。



 宿のエントランス。



 では、2日目出発です。

 今日も快晴で、岩木山が綺麗に見えますね。





 最初に訪れたのは岩木山神社です。

 今日は鳥居の向こうにくっきりと山頂が見える。



 参拝の後はこれだ!



 クラツーのお客様による行列。



 シャーベットのようなアイスで、甘くて美味しいですよ。



 一舐めしてから写真を撮ったのでアイスの形状はちょっとおかしい。

 つづいて、五能線の木造駅へ。

 まずは土偶の撮影タイム。

 今日も駅員さんにお願いして目を光らせていただきました。

 ちょうどいいタイミングで汽車が来るようです。



 お客様も10名以上ホームに出てきて、皆で今度は鉄道写真の撮影タイム。

 キハ48系という古い気動車ですが、ほとんどのお客様にとっては気動車は「懐かしい車両」となっているようです。



 次に訪れたのは亀ヶ岡石器時代遺跡で、今回は天気も良く歩きやすいので、しゃこちゃんを見た後、少し道路端を歩いて北上し、田小屋野貝塚の説明板もご案内します。





 実際の遺跡の場所には目で見れるものはないので、田小屋野貝塚についてはここで説明しておしまいです。



 さて、バスに乗ってお昼を食べに行きましょう。

 岩木川。



 お昼は金木観光物産館で、今回は釜飯でした。





 釜飯も美味しいですね。

 でも、私はここの食堂のラーメンがとても気になります。

 まだラーメンを味わって食べられるくらいの余裕があるな・・・

 食券を買いカウンターまで行くと、ちょうどお客様に会い、「先生、あれだけじゃ足りなかったんじゃないの?」と声を掛けられたので、「見破られましたね。ラーメン食べてみます」と答えると、お客様は笑顔で去っていきました。

 で、ラーメンはこれだ!



 昆布と煮干しで出汁を取っており、煮干しは尖っておらずちょうどよい風味です。

 醤油は津軽の醤油を使っているということで、ややしょっぱ目ですがとても美味しいラーメンですよ。

 食後のデザートには大好物のラスク。



 あきらかに食べすぎですよね。

 午後は三内丸山遺跡のみです。



 さて、今日も青荷温泉に泊まりますよ。

 夕暮れの岩木山。



 今日もまた暗い中での夕飯です。

 お客様によってはほとんど料理が見えず、何を食べているのか分からないと仰る方もいらっしゃいましたが、この電気の無い感じがむしろ今回のツアーのテーマである縄文時代に近くて良いかもしれません。

 私的には山菜をたくさん食べられて嬉しかった。

 居室に戻り、温泉に浸かり、今日も20時に就寝。

 3日目は4時に起床。

 朝ご飯。



 居室の廊下部分。



 離れには4部屋ありますよ。





 では、3日目出発!

 よし、今日も快晴!

 まずは青森市の小牧野遺跡です。

 小牧野遺跡はとくに周囲の景観、というか眺望が素晴らしいので、今日みたいな日は最高のコンディションで歩けますね。



 朝から気持ちよく遺跡散策ができました。

 つづいて田舎館村埋蔵文化財センターへ行きますが、その前に垂柳遺跡の石碑だけご案内。



 田舎館村埋蔵文化財センターを見学した後、10分ほど道の駅に寄り、皆様お買い物です。

 こちらに来ると「工藤パン」という看板をたまに見かけるので気になっていたのですが、まさしくその工藤パンの商品が売っていました。



 バスに乗ってまずはラスクを食べます。

 90円でこの味とヴォリュームは素晴らしい。

 ※帰宅後パンを食べてみましたが食感もよく美味しかったのでまた津軽に行ったら買おうと思います

 そして今日のお昼は豪華ですよ。

 弘前城の近くにある「翠明荘」という懐石料理屋です。



 バーン!



 味もさることながら見た目も素晴らしい。





 お米は「青天の霹靂」です。

 数年前に話題になりましたが、結局今まで食べていませんでした。

 このお米は美味しいですね。

 米だけ味わって食べられます。

 ついつい4膳も食べてしまった・・・

 デザートにはリンゴと、抹茶+お菓子。





 午後の探訪は秋田県鹿角市の大湯ストーンサークルです。



 ここは探訪時間が極端に少なかったため、お客様的にはご不満だったかもしれず申し訳ありません。





 遠くに綺麗な三角形の山が見え、人工ピラミッド説があるそうです。



 前回、こういったものが好きなお客様がいらっしゃいましたが、その時はこのピラミッドの存在は知らず解説できませんでした。

 というわけで、帰りの新幹線に乗るために盛岡へ向かいます。

 車窓右手に岩手山が見えてくると盛岡はもうすぐです。



 そして、新幹線に乗る前はこれだ!



 盛岡に来たら盛岡冷麺です。

 これを食べないと旅が終わりません。

 というわけで、皆様3日間ありがとうございました!

 北東北には面白い縄文遺跡がまだまだあります。

 また新たなツアーを企画しますので、タイミングが合えばご参加ください!

月と蛇と縄文人
大島 直行
寿郎社



  




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【ひとまず目標達成】自分の古墳ツアーがテレヴィで放送されました【引き続き次のステップを目指します】

2018-10-31 22:02:14 | 歴史探訪
 以前もお伝えしましたが、毎週月曜日から金曜日の朝8時から8時15分の間に、テレビ東京にて「ハーフタイムツアーズ 旅スルおつかれさま」という番組がやっています。

 私はその時間はお仕事に行っていることが多いのでほとんど見ることができないのですが、今日(10月31日)と明日は、私が8月にご案内した群馬の古墳ツアーの放送日でしたので、今日は放送後、当該番組の公式ページで放送内容を確認してみました。

 本日放送した「元日本史教師がめぐる、古墳と日本最古の遺跡 前編」はこんな内容です。



 「ついに自分のツアーがテレヴィになったか!」と、とても感慨深い。



 私のプロフィールはなんともインパクトがありませんが、私は他人に誇れる実績や社会的地位などがありませんので、こんな風になったのでしょう。



 私はツアー中、余計な話やくだらない話を多くするのですが、それらは一切カットされていました(唯一、「遺跡を歩くときは”下を向いて歩こう”です」だけは採用されました)。

 放送禁止用語を発してしまったという自覚もあります。

 やはり、テレヴィ向けじゃないんでしょうかね。

 いや、深夜番組には向いていると思う。

 それはそうと、この番組はゲストの方が主役で、私は上のようにチラッと映っている程度ですので、自分自身がテレヴィに映ったことが感慨深いのではなく、以下に述べる長ったらしいことに関して感慨深いのです。

 つまりはこういうことです。

 30代の頃は体調が異常に悪くて死んでもおかしくない状況だったのですが、それが徐々に回復してきて、2013年になって3年半ぶりに外で働きました。

 当時は古代史への興味が深まっていった頃で、とくに関東の古墳について非常に知りたくなり、関東地方で最も古い古墳を自分の目で見てみたい!と思い、同年5月5日に電車とバスを乗り継ぎ、群馬県高崎市にある元島名将軍塚古墳に行ってきたのです。

 その時以来、古墳の中でもとくに前方後方墳が気になって今に至ります。

 そしてその年の9月にダスキンに入社し、ダスキンで働かせていただいたお陰で体調は完全に回復しました。

 それから2年後の2015年11月4日、念願の太田天神山古墳を訪れ、ホテルの部屋から太田天神山古墳のバックに朝日が昇るのをカメラを構えて眺めていました。





 この時はまだクラツーの仕事はしていなかったのですが、翌2016年の4月にクラツーと契約してツアーの仕事をしているうちに、お客様から、ぜひ関東の古墳ツアーをやって欲しいというリクエストをいただくとともに、自分自身もやってみたいという気持ちが芽生えてきました。

 それならば!ということで、個人的に思い入れのある元島名将軍塚と太田天神山、それに日本の旧石器時代発見の地である岩宿遺跡を組み込んだツアーを古墳ツアーの第一弾として作ったのです。

 そのツアーが初めて催行されたのが2017年4月8日で、本日テレヴィで紹介されたこのツアーと同じ内容です。





 このツアーは多くのお客様が喜んでくださり、何度も催行することができています。

 かつて元島名将軍塚や太田天神山、それに岩宿遺跡を自分自身で探訪した結果、この楽しさを多くの方々に味わっていただきたいと思いツアーを企画し、お客様に支持されて何度も催行することができ、しかもテレヴィ化までされた・・・

 このことが感慨深いのです。

 皆様、本当にありがとうございます。

 引き続き、もっと皆様に喜んでいただけるように企画およびガイドを頑張ります。

 なお、明日の朝は続き(後編)が放送されますので、お時間のある方はリアルタイムで、そうでない方はWebでご覧くださいね。

 ⇒「ハーフタイムツアーズ 旅スルおつかれさま」の公式サイトはこちら

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