goo blog サービス終了のお知らせ 

猿田日記

レッド・ハッピネスの猿田大先生の日記

1923年9月1日の関東大震災で首都圏を戒厳令下にして警察と軍が一体となりちょけて流言飛語を拡散したんで朝鮮人6000人超、中国人1000人弱、日本人等も虐殺が行われた

2025-09-01 16:34:15 | 報道/ニュース
関東大震災で多くの朝鮮人、中国人、日本人が虐殺されたのは日帝軍と警察が一体となり、官製のデマ(流言飛語)を垂れ流した結果が多くの虐殺を招いた。日帝は首都圏が灼熱地獄の火の海となり、挙句に内務省やら警視庁が丸焼けになったんで愚かなポンコツ日帝は恐怖に恐れ慄き大慌てで大変だわーわーわーと烏合の衆以下で戒厳令発令して、次に震災を悪用してとなり昼過ぎに内務省警保局長や警視総監やら内務大臣が謀議して戒厳令発令の施行を提案したわな。其の後の3時位から流言飛語の走りの幼稚園の年少でも知っとる【朝鮮人襲来 】や【社会主義者及び鮮人の放火多し】等々が官製ヘイトとして垂れ流されて、夜には墨田区旧四ツ木橋等々で虐殺が開始された。翌2日に都合よく戒厳令が施行し、警視庁もちょけて東京市に【朝鮮人襲来】の流言飛語を積極的に垂れ流したんで、在郷主体の自警団の結成がマックスとなったわな。此の事は今も同じで当時もお上如きのヨタ話を信じる層が多い事を物語っとるわな。何で虐殺が起きたのかは小中学校で勉強したんで今更なんやけど、日帝は日清戦争で台湾を植民地とし、日露戦争から1910年韓国併合・朝鮮植民地支配へと進むわな。1894年から1895年の李王朝末期に地方行政の腐敗や重税、外国資本の進出による経済的困窮が農民の不満を高めていて全羅道では、郡守による不正行為が横行し、農民の怒りが爆発したんが甲午農民戦争、其の後の韓国併合を前後して朝鮮全土に広がった反日義兵闘争に対して、日帝軍は村落を焼き討ち等をして、大虐殺に及んだわな。更に第1次世界大戦に参戦した日帝は1915年に対華21ヶ条の要求を中国に突きつけ、1917年にロシア革命が起こると、1918年にシベリアに出兵し戦争を開始して1925年の完全撤兵迄8年も居座り続けた。此の時期に、朝鮮では総督府のもとでの苛烈な植民地支配への怒りが爆発して1919年の3・1独立運動に当然発展した。日帝軍は此れを恐れ慄いて徹底的に弾圧して朝鮮人民約7500人もの人民を虐殺した。1920年には朝鮮族が多く居住していた中国東北部の間島を拠点とする抗日運動鎮圧の為に出兵し、植民地支配に抵抗する朝鮮人を【不逞鮮人】と呼び反日帝闘争を生意気に【討伐】との名称で黄禍論丸出しの大虐殺を行った時代背景があり、其処に日帝軍として朝鮮人民を弾圧しとった軍人が日本に帰ってきており其れが在郷軍人やわな。大震災時に自警団の中心で虐殺したのも3・1独立運動弾圧に加担した軍人が自警団の中核なら朝鮮での虐殺は行った連中なら震災時でも同様の所業となるわな。虐殺の基準が國の15円50銭等は皆さんが知っとる話となるわな。そんな訳で、日本の御用メディアは戦前の虐殺すらも認めとると上記に記した程度の事でも流言飛語の主体は国家と云う事実を隠して流言飛語の下手人を一般人民として世論操作をしとるけど、そんなんは東京都が追悼文を出さんところからも完全破綻しとるわな。だから緊急事態条項創設等の憲法改悪の流れとなれば、異を唱える層は揃って弾圧される事になる位は認識せんといかんわな。勇ましいヨタ話にわーわーわーと興奮して支持していたら真暗な極悪非道の社会となるわな。  

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« イエメンフーシ派の首相や閣... | トップ | ガザを中東のリビエラとちょ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。

報道/ニュース」カテゴリの最新記事