Four Season Colors

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非常時におけるスポーツ

2022-03-21 | 雑文
ロシアのウクライナ侵攻の影響により、2国
に関するスポーツにも大きな影響が出ている。

まず話の前提として、自分はスポーツがとて
も好きであるし、アスリートにも無条件に敬
意を持っている。

その前提は変わらないが、スポーツも社会を
構築する一つの要素であるとして、そうした
面から少し。

ロシアに対しては規制というかたち、ウクラ
イナに対しては結果的な不自由というかたち
で、競技と選手は影響を受けている。

それについて、関係の有無は問わず、様々な
意見も出ているが、主にはロシアへの規制が
その対象となることが多い。

規制は当然というものと、政治とスポーツは
切り離されるべきというものがあるが、自分
が疑問なのは後者についてである。

この、聖域というか、治外法権のようなもの
は、一体いつからあるのか。

「平和の祭典」の冠を持つオリンピックの影
響も大きいようにも思うが、それは多分に自
己のエクスキュースのようにも感じる。

そもそもは、せめて競技大会中の期間は戦争
を止めましょうであったはずで、そうであれ
ば、それはスポーツの独立神聖を意味しない。

スポーツはスポーツという場合の、自らピュ
アであろうと、ピュアであることを信じよう
とする姿に、どうしても共鳴はできない。

自然災害であろうと人的災害であろうと、ア
スリートの「スポーツしかできない」の言葉
は、聞きたくないことの一つとなっている。

決して良いことではないし、感情はしんどさ
しかないが、ウクライナのアスリートが戦場
に行く決意をする記事を目にする。

しかし、その感情は「スポーツしかできない」
という言葉よりも、理解ができる感情である。

繰り返すが、自分はだからといってそれ自体
を推奨しているのではない。

ただ、戒めという意味で、スポーツは所詮、
「たかが」スポーツであるという認識を、忘
れるべきではないのではないか。

スポーツ「だけ」は、という認識はスポーツ
にとっても、危ない認識であることは間違い
がない。

職種は異なるが、音楽家の藤井麻輝は2011
年の震災後、「音楽の力で復興を」に違和感を
覚え、一時は建築の仕事に就いていたという。

何をやって、何の役に立つではなく、そうした
人間としての動きに、自分は共鳴をする。


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