Rebirth-Free

2004年5月 鬱病と診断された
発病は推定1998年 今もなんとか一人で暮らしてる
2006年5月 障害者2級に

最後までリングに立っていた19歳 ――亀田興毅

2006-08-03 08:17:03 | Sports
亀田興毅がボクシングWBA世界ライトフライ級チャンピオンになった。

実力は相手のほうが上だった。亀田は1ラウンドでキャンバスに倒される。世界との差が身にしみただろう。しかし立ちあがってあきらめずに闘いぬいた精神力は立派だ。中盤には盛りかえす。ところが終盤にはまた劣勢にたたされる。最終ラウンドでは足はふらつき、よろけ、相手にしがみついてダウンをまぬがれるシーンが続く。倒される寸前だった。終了のゴングが鳴ったとき、興毅の顔は腫れあがっていた。

「不細工な試合してすみません」
2-1の判定勝利は、明らかにホームタウンデシジョンだ。
しかし興毅が12ラウンドを闘いぬいて、最後までリングに立っていなければ、このジャッジも引きだせなかった。

10代をボクシングにささげた、19歳9カ月。
若武者の精神力に、いまは祝福の言葉をおくりたい。
おめでとう、チャンピオン。

受けとめる ~ 川口能活 ~

2006-05-28 17:22:30 | Sports
サッカーを見ていて、
弱いチームで懸命に守っているゴールキーパーに、魅きつけられます。
フィールドの半分しか使われていないような、
一方的な試合。
まるで袋だたきのように、
次々と放たれるシュートに耐えつづけるGK――

1996年のアトランタ五輪のときでした。
日本対ブラジル戦。
当時の両チームの力の差は、現在の比ではありませんでした。
世界トップクラスの弾丸シュートがおよそ3分間に1度、休むまもなく襲いつづけてきます。

90分間、GK川口能活は必死に耐えぬきます。
スーパーセーブを連発し、
30本ちかくものシュートをしのぎきったとき、奇跡が起こりました。
日本にラッキーな1点がころがりこんだのです。
1-0とリード!
そして、試合終了のホイッスル!
日本が、あのブラジルに勝ったのです。

守護神・川口は、小学5年生のときに家が火事で全焼。
力を落とし立ちつくすだけの家族を前に、
焼け跡から焦げたユニフォームを探しだし、
「これ、まだ使えるよ」と微笑んでみせたそうです。

自分が置かれた逆境に、立ち向かう。

強豪ブラジルを相手に歴史的な勝利をおさめたあの試合で、
川口はサッカーボールだけでなく、
自分自身をも受けとめていたのでしょう。


(2002年12月11日 wrote)