きょうとなら花散歩

京都・奈良の花の情報やごはん屋さんなどの情報をお届け致します。更新がかなり遅れています。

鳥羽散策

2009年08月18日 | 三重 観光

昼食後は鳥羽を散策しました。



ミキモト真珠島。ここにも小学校の修学旅行のときに訪れました。

昔この「真珠島」の読み方をめぐって同級生と争った(?)記憶があります。先生方や大人は皆「しんじゅとう」と読んでいたのですが、真珠島で流れていた放送で私は「しんじゅしま」と聞こえた気がしていたので、友人に「しんじゅしまって言ってたで~」と言ってもなかなか信じてもらえなかった記憶があります。

改めてネットで調べてみると、「しんじゅしま(orじま)」でいいみたいです。私の主張が(おそらく)正しかったということですね。といってもそのことを同級生は覚えてないでしょうが・・・

真珠島は有料だったので、中には入りませんでした。


次は日和山へ。鳥羽駅の近くに登り口があり、そこから展望台に行くことができます。



方位石。昔は船頭が天気を見るためにここに登ったそうです。



幸せの鐘



日和山展望台からの眺め。


この後、鳥羽駅に戻り、帰路につきました。

【帰路の行程】
鳥羽~(参宮線・紀勢線快速)~津(紀勢線普通)~亀山~(関西線普通)~加茂~(大和路線快速)~木津~(奈良線快速)~自宅最寄駅


夫婦岩

2009年08月18日 | 三重 観光
伊勢市からJR参宮線で二見浦に移動し、駅からしばらく歩いて夫婦岩へ。小学校の修学旅行以来の訪問です。



二見浦駅から夫婦岩までの道は古い建物が多くとてもいい雰囲気でした。









夫婦岩。この場所で朝日を眺めてみたいものです。



伊勢神宮(外宮)

2009年08月18日 | 三重 観光
青春18きっぷを利用して伊勢神宮(外宮)、二見浦、鳥羽に行ってきました。

これまで伊勢方面に出かけるときは近鉄しか利用したことがなかったのですが、今回は初めてJR利用で伊勢に行きました。JRの方が本数が少なく、1時間ほど多く所要時間がかかりましたので、時間を気にする場合は近鉄の方が良いと思いました。

まずは伊勢神宮(外宮)の最寄駅である伊勢市を目指しました。

【行程】
自宅最寄駅~(奈良線普通)~木津~(大和路線快速)~加茂~(関西線普通)~亀山~(紀勢線普通)~津~(紀勢線・参宮線快速)~伊勢市

伊勢市駅から少し歩き、伊勢神宮(外宮)へ。境内は厳かな雰囲気で、撮影禁止ゾーンもありました。



この鳥居の内側では撮影禁止です。



勾玉池。初夏には花菖蒲が咲くようです。


伊勢市駅に戻ってきました。駅前には巨大な灯籠があります。



結城神社・亀山宿・関宿[5](2007.3.1)

2007年03月01日 | 三重 観光

西追分を出発し引き返します。会津屋と洋館屋。会津屋は関宿を代表する旅篭で、もとは山田屋といったそうです。洋館屋は2階部分が紫色になっています。



鍛冶屋など素敵な建物が並んでいます。



福蔵寺裏門。この門は玉屋の向かいにあった萩屋脇本陣から移築したものだそうです。



浄安寺本堂。



百六里庭という公園にやって来ました。関宿が江戸から106里余りにあるあることから、このように名づけられたそうです。公園内にある眺関亭からは関宿の町並みが見渡せます。



鶴屋。玉屋、会津屋とともに関を代表する旅篭で、江戸時代の終わりには脇本陣をつとめたそうです。建物には千鳥破風が付いています。



瑞光寺山門。塀がとてもいい雰囲気でした。延命寺本堂の屋根がちらっと見えています。



瑞光寺本堂。中世にこの地域を治めていた関氏ゆかりのお寺だそうです。境内にある権現柿は徳川家康が関宿に立ち寄った際に食べたと伝えられているそうです。



延命寺山門。この山門は旧川北本陣の門を移築したものだそうです。



延命寺本堂。



滞在時間2時間の予定でしたが、時間が足りなくなったので1時間延ばしてのんびりと昼食(午後3時を過ぎていましたが)を食べることにしました。お蕎麦を注文しました。鰹節が入っていてなかなか美味しかったですよ~。



「道の駅」関宿で伊勢うどんを見つけたので買いました。時間調整をしてから関駅へ。とてものどかな駅です。加茂行きの列車がホームに滑り込んできました。これから1時間20分ほど終点まで乗車します。それにしても関西本線の列車は1両か2両くらいしかないのに、ホームの長さはどの駅もかなり長いのは何故なのだろうか?


今日のメインは結城神社のつもりでした(関宿はついでと思っていた)が、関宿もかなり見所が多くて楽しかったです。機会があればもっとゆっくりと散策したいです。

結城神社・亀山宿・関宿[4](2007.3.1)

2007年03月01日 | 三重 観光

旧東海道を西に向かって歩いていきます。山車倉(だしぐら)です。関宿の山車(やま)は最盛期には16基あり、互いに華美を競い、狭い関宿を練ったそうです。このことから「関の山」という言葉が生まれたとのことです。



関宿旅篭玉屋歴史資料館付近の風景。玉屋は関宿を代表する大旅篭の一つで「関で泊まるなら鶴屋か玉屋、まだも泊まるなら会津屋か」などと謡われたそうです。



庵看板(瓦屋根のついた立派な看板)がある建物。看板の文字は京都側が漢字、江戸側が平仮名となっており、旅人が進む方向を間違えないようにする工夫なのだとか。



高札場(こうさつば)跡(関郵便局)。江戸時代この場所には高札場があったとのことです。高札場とは幕府・領主が決めた法度・掟書を木の札に書き、高く揚げておく場所のことなのだそうです。



福蔵寺山門。



福蔵寺境内の様子。関の小万という人のお墓があるそうです。



741年に行基菩薩が開創したとされる地蔵院。「関の地蔵に振袖着せて、奈良の大仏婿に取ろ」の俗謡で名高いそうです。また、一休禅師とゆかりが深いとのことです。そういえば、関宿には10の寺院と1つの神社がありますが、この地蔵院を除いてすべて街道の北側にあるそうです。



関宿には新所地区を中心に数十軒の火縄屋があったそうです。火縄は鉄砲に用いる他、煙草に使うためにも買われたのだとか。ところで、関宿では消火器具の収納箱も景観に配慮されたものになっており、感心しました。



誓正寺本堂。



素晴らしい町並みを見ながら西追分を目指します。



長徳寺本堂。



とてもいい雰囲気の建物。



観音院。



西追分に着きました。折り返して東方向に戻ります。西追分は関宿の西の入口にあたり、東海道と大和・伊賀街道分岐点となっています。

結城神社・亀山宿・関宿[3](2007.3.1)

2007年03月01日 | 三重 観光
JR亀山駅から関西本線に乗ってお隣の関へ。駅前から北へ上っていくと、旧東海道・関宿の古い町並みが見えてきます。ここは見所が多そうなので、滞在時間2時間を予定していました。
関宿は東海道53(57)次の47番目の宿場町であり、古代には日本三関の一つである「鈴鹿の関」が置かれ、参勤交代や伊勢参りの人々で賑わったそうです。関宿は東追分から西追分までの約1.8キロ、約25ヘクタールに及び、東海道で唯一国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されているそうです。



旧東海道を東に向かって歩いていきます。旧東海道の町並み。かなり古い町並みが残っており、感心しました。電柱は地中に埋められており、景観にも配慮されています。



百五銀行。津市に本店を置く銀行だそうです。



古い建物を見つけるたびに写真を撮ってしまいます。



昔に戻ったような気さえします。



東追分に着きました。ここで引き返し西に向かいます。東追分は関宿の東の入口にあたり、東海道と伊勢別街道の分岐点になっています。大鳥居は伊勢神宮を遥拝するためのもので、20年に一度遷宮の際に伊勢神宮から移設されるそうです。



宝林寺本堂。車がちょっと邪魔ですねぇ~。



弘善寺本堂。



御馳走場。関宿に出入りする大名行列の一行を宿役人出迎え、見送った場所だそうです。



関神社。

結城神社・亀山宿・関宿[2](2007.3.1)

2007年03月01日 | 三重 観光
結城神社の梅を楽しんだあとは、津駅からJRで亀山へ。亀山宿を散策しました。列車の本数が少ないので散策は1時間と決めて急いで散策をしました。
亀山宿は東海道53次(実際は57次)の46番目の宿場町で、亀山城の城下町としての性格も持っていたとのことです。



駅前に観光案内所のようなものはないし、ちゃんとした地図を持っていなかったので(亀山付近の地図をネットで調べてそれを写真に撮っただけ。印刷が面倒だったので)、デジカメで撮った地図を見ながらの散策になりました。適当に歩いているとこのような古い町並みが急に現れました。



誓昌院というお寺がありました。旧東海道に面しています。



立派な本堂。写真を撮りませんでしたが、このお寺の鐘楼は江戸時代のものだそうです。



遍照寺の山門。優美な山門です。



本堂。旧亀山城二の丸御殿玄関を移築したものだそうです。



旧東海道の町並み。



亀山市役所で散策マップを手に入れ、亀山城跡にやって来ました。安土桃山時代の創建だそうです。



侍屋敷(加藤家長屋門及び土蔵)。亀山藩主石川家家老職加藤家屋敷の長屋門と土蔵で江戸時代中期以降の建築だそうです。



善導寺本堂。もと亀山城本丸付近にあったそうです。