24才の時に諸事情があって最初は3年間だけの予定で日本航空、
全日空、東亜国内航空、日本アジア航空などの
航空会社と日本空港ビルディング、関西空港ビルなど全国の
空港と東京モノレールの広告媒体を専門に扱う広告代理店に
入社した(なぜか日本放送出版協会の媒体も取り扱っていた)。
さらに全日空が国際線に進出して機内誌を本格的に バージョンアップしたので広告掲載の申し込が激増すると同時に国際線の機内免税販売絡みの海外 ブランド品の広告も増えて忙しくなって3年勤務の予定が 結局倍以上の7年4ヶ月勤務する結果となった。
時期的にちょうど日本航空が本格的な機内誌Windsを創刊した時に入社したので新規開拓を専門に担当して
大手企業や海外有名ブランドの宣伝部に1日数十本の
電話を掛けまくる日々が続いたが契約が面白いように取れるのですっかり仕事にはまってしまった。
さらに全日空が国際線に進出して機内誌を本格的に バージョンアップしたので広告掲載の申し込が激増すると同時に国際線の機内免税販売絡みの海外 ブランド品の広告も増えて忙しくなって3年勤務の予定が 結局倍以上の7年4ヶ月勤務する結果となった。
そしてその業務を通じて私の人生を変える衝撃的なデジタル体験に出会う。
まず1982年頃にNHKマイコン入門のテキスト誌の広告取り扱いを担当して
コンピュータの基礎知識を学びデジタル通信を知る。次に1984年に電電公社の
文字図形情報通信ネットワークシステムを見学、その翌年に日本航空のJALネット。
これが将来情報イノベーションが起きると予感させるに充分な出会いだった(続く)
