楽謝 Mikiの覚え書き

サウンドヒーラー 楽謝 美紀です♪
世に出ている情報の中で、いいな!って 思った記事を書き留めています

「祖霊崇拝」

2011-01-17 | これ 知っとこ!!
~だいじょうぶ!「幸せの神様」が微笑んでいる~  伊勢白山道より

あなたは 守られている



自分が存在するのは、ご先祖様が存在したからです。だからご先祖様を信じるのです。

氏神信仰の原点も、地域を束ねる家系のご先祖様を、世話になった住民全体で信仰したのが始まりです。伊勢神宮の内宮は、皇室の遠いご先祖様を太陽神として祭事した神社です。そして、国土に住む住人の多くとともに敬っているのです。

みなさんが自分のご先祖様を敬うことは、神様につながる道を実践していることになります。自分のご先祖様を信じる道を進めば、神様へ至る道が開けるのです。

ご先祖様は、神様へとつながっています。

ご先祖様を大切にする気持ちを持てば、たくさんのご先祖様があなたを守っていることが信じられるようになるでしょう。自分で歩いてみて初めて見える景色があるからです。私たちは一人で生まれてきたのではないし、一人で生きているわけでもないのです。目に見えるもの、見えないものすべてに支えられて、歩んでいるのです。

大丈夫、あなたにもたくさんの応援団(ご先祖様)がついているのですから。

生きている限り、あなたは、ご先祖様のお宝さんです。





自分の心を元気にすると、人を癒すことができます

2011-01-15 | 病気と身体
~だいじょうぶ!「幸せの神様」が微笑んでいる~  伊勢白山道より

自分の心を元気にすると、人を癒すことができます。



身内の病気などを心配して、自分の心を痛めている人も多いでしょう。
心配することによって身内の病気が治るのならば、いくらでも心配すれば良いのですが、
実際は自分の健康も損なう難題を増やすだけです。

病気とは、心の状態のひとつの「結果」です。起こってしまった結果に対する対処方法が現代医学です。

この対処方法=現代医学は、大きく進歩してきました。しかし、病気が発生した根本原因の解明については、何も進歩していないのが現状です。進歩どころか、着目もされていないのです。

結局、生命が「なぜ」発生するのかという領域の問題だからでしょう。目には見えない「心」が科学的に解明されれば、一見、全く関係がないと思われる宇宙のことも解明されます。


結局、宇宙には「心」はひとつしかないのです。あなたの心も、私もまったく同じひとつのものです。

人間同士、相手の心の痛みがわかるのは、自分に置き換えて考えてみるという想像力ではありません。私たちの心が、共有する同じひとつの心だからこそわかるのです。

家族が病んでいる、知り合いが病んでいるとします。これを知るあなたは、その病気の人と心同士が近い場所にいるのです。
だから、あなたが心を元気にすれば、その人を癒すことが可能です。
あなたは真のヒーラーになれるのです。

いい年をした子どもが心を病んでいる場合、親はともに将来を悲観するのではなく、子どもへの思いやりを持ちながら「親自身の人生の楽しみ、元気に生きる」ほうが子どものためになります。苦しんでいる子どもも、親が元気ならば口では非難をしても、心の奥では安心感を持つものです。
元気な人は、周りの人を改善させることができます。



ジンとの会話

2011-01-01 | ハンク・ウェセルマン
ヤスの備忘録 歴史と予言のあいだより転載

http://ytaka2011.blog105.fc2.com/blog-entry-164.html


ジンとの会話

最初にジンは蜂蜜を欲しがった。そこで私はジンに、彼の名前を教えてくれれば蜂蜜を渡すことを約束した。ジンは自分の名前を知っているものに対してはウソをつくことができないと神話にあるからである。ジンは同意したので、私はボール一杯の蜂蜜をイメージすると、それを目の前のジンに差し出した。するとジンはそれをゆっくるりと飲み干した。

ジン:
私はジンである。人間こそが創造者であり、われわれジンにはそのような能力はない。模倣するだけである。だが、これで私はあなたに仕えることができる。

ウェセルマン:
私に仕えるといっても君は何ができるのか?

ジン:
あなたを敵から守ることげできる。

ウェセルマン:
私は他者を傷つけるようなことはしない。君はヒーリングのようなことはできるのか?

ジン:
人間の魂には運命が刻まれている。同意を破ることなくして、人間の運命に介入することなどわれわれにはできない相談だ。

ウェセルマン:
それは誰との同意なのか?

ジン:
世界を監視している上位の存在との合意だ。

ウェセルマン:
ジンはその上位存在よりも下位の存在なのか?

ジン:
もちろんそうだ。若いジンはときどき常軌を逸した行動をとるが、上位存在たる監視者は彼らにアプローチし、適切に行動するようにたしなめる。

ウェセルマン:
君のいう監視者とは誰のことか?

ジン:
高い知性をもった上位存在でこの世界に責任をもつ存在だ。われわれジンは人間の運命には介入できない。

ウェセルマン:
それはグノーシスでアルコンと呼ばれる支配者のことなのか?

ジン:
あなたはアルコンのことを知っているのか?だがアルコンは霊ではないぞ。上位存在ではない。彼らは人間の思考が作り出した産物だ。それらは人間の思考に寄生してる存在だ。

ウェセルマン:
思考に寄生している?どうやってそんなことをするのか?

ジン:
人間の思考や、人間が信じている信念の体系から直接エネルギーをもらうことによってだ。彼らは、人間が彼らに関心をもっている限り生き続けることができるが、人間が関心をもたなくなるとエネルギーがなくなり消え去ってしまう。彼らは本当の霊ではない。こうしたアルコンをわれわれジンは「欺くもの」と呼ぶ。ジンと同じように彼らは模倣はできるが、創造はできない存在だ。

ウェセルマン:
ならば彼らは地球外生物のような存在なのか?

ジン:
「欺くもの」は人間の信念体系からエネルギーをもらい、さまざまな姿形で現れることができる。そうした存在の中には他の世界からやってきたものもいる。

ウェセルマン:
他の世界?なぜこの世界にやってくるのか?

ジン:
彼らは訪問者としてやってくる他者である。

ウェセルマン:
そうしたエイリアンはなぜ人間を拉致して実験などに使うのか?

ジン:
彼らはそんなことはしない。そのようなことをするのは「欺くもの」である。

ウェセルマン:
「欺くもの」?なぜ彼らはそんなことをするのか?

ジン:
人間は「欺くもの」よりも偉大である。あなたは彼らのことをアルコン(支配者)と呼ぶが、彼らは人間のように創造することができないのだ。彼らができることは模倣することだけであり、そのエネルギーも人間から引き出しているのだ。人間だけが力があり、「欺くもの」はその力が欲しいのだ。

ウェセルマン:
君のいう監視する上位存在はなぜそのようなアルコンが人間に介入するのを止めさせないのか?

ジン:
「欺くもの」は霊ではない。それは、人間の思考に住んでいる存在だ。だから上位存在は影響を及ぼすことはできないのいだ。

ウェセルマン:
ところで、君達ジンはもともとどこから来たのか?

ジン:
すべてのジンはグノーシスではソフィアと呼ばれている精神の現れである。ジンだけではなく、この世の存在すべてがソフィアの現れである。

ウェセルマン:
ソフィアとはなにものなのか?

ジン:
ソフィアはこの世界を作り出している精神である。

ウェセルマン:
ソフィアは物質的な存在なのか?

ジン:
そうだ。この世界そのものがソフィアの物質的な現れである。

ウェセルマン:
ではソフィアは女神なのか?

ジン:
分からない。ソフィアは意識のある光として出現した。ソフィアが夢に見るすべてのことが現実となる。

ウェセルマン:
ところで、ジンは魂をもっているのか?

ジン:
あらゆる存在は魂をもっている。

ウェセルマン:
では位の高いジンと低いジンはいるのか?

ジン:
いる。

ウェセルマン:
君は位の高いジンなのか?

ジン:
いや違う。

ウェセルマン:
では位が低いジンなのか?

ジン:
いやそうではない。

ウェセルマン:
位の低いジンとはなんなのか?

ジン:
位の低いジンとは、自己意識が芽生えつつある魂のあるエネルギー体のことだ。

ウェセルマン:
彼らはどこで生まれたのか?

ジン:
ソフィアからだ。ソフィアは夢を見る。その夢の産物がジンだ。

ウェセルマン:
ということは、位の低いジンというのはオーブのことか?

ジン:
オーブというのは、魂をもった成長過程の光のことだ。彼らは人間の感情と思考に興味を持ち、人間に引き寄せられる。

ウェセルマン:
彼らはジンなのか?

ジン:
これからジンになろうとしている存在だ。

ウェセルマン:
話は変わるが、クロップサークルは君達ジンが作ったものなのか?

ジン:
いやそうではない。おそらくクリップサークルは人間とは異なる高度な知性が、人間に警告するために作ったものだろう。

ウェセルマン:
ところで、神が人間を作ったのだろうか?

ジン:
いやそれは違う。人間はソフィアの現れである。

ウェセルマン:
ということは人間はソフィアの創造物ということか?

ジン:
いやそれも違う。ソフィアは創造はしない。ソフィアは夢を見て、その内容を発散するだけだ。意図的に創造するのは人間だけだ。

ウェセルマン:
ならば、人間の魂もソフィアの夢の発散で誕生したのか?

ジン:
いや違う。人間の魂を創造したのは創造主だ。感情は人間の身体と一体化し、それは人間に属している。魂はそれとは異なる。魂は魂である。それは霊であり、人間ではない。

ウェセルマン:
ではキリスト教やユダヤ教などの一神教のとなえる父なる神は君のいう創造主のことなのか?

ジン:
いや違う。

ウェセルマン:
では一神教がヤハウェ、エホバ、アラーなどと呼ぶ神はなにものなのか?

ジン:
こうした神こそ先に述べた「欺くもの」である。それらはグノーシスの言葉でいうなら、支配者アルコンのことだ。

ウェセルマン:
支配者アルコンとはなにものなのか?

ジン:
それは人間の思考に寄生している存在で、作られたときから人間の敵として機能している。

ウェセルマン:
ということは、そうした一神教の神というのは、人間が信じているように創造主ではないということなのか?

ジン:
これらは「欺くもの」であり、なにも創造することはできない。これらはアルコンなので、模倣しかできないのだ。

ウェセルマン:
ではこうした一神教の神はなぜこれほどまでに強力で、人間が崇拝する存在なのか?

ジン:
これらは「欺くもの」であり、それらこそが創造主だと強く信じる人間のエネルギーで生かされているだけである。それらが創造主であるはずがない。

ウェセルマン:
それらは創造主ではないのだな?

ジン:
その通りだ。それらは支配者アクロン(欺くもの)だ。

ウェセルマン:
ではそれらは悪魔なのか?

ジン:
そうではない。

ウェセルマン:
それらは善悪を対立させ、否定的な状況を作り出すのか?

ジン:
そうだ。それらは人間に道を誤らせる存在だ。

ウェセルマン:
なぜそんなことをするのか?

ジン:
それがそれらの性質だからだ。それらは「欺くもの」なのだ。

ウェセルマン:
では、悪のもともとの源泉はなにか?

ジン:
悪の源泉は人間そのものだ。一神教の神として現れる「欺くもの」は人間に過ちを犯すように働きかけ、人間が自分で過ちを正すことができない地点にまで人間を追い込んで行く。ここにきて人間は悪を行うのである。人間こそが創造者なのだが、人間は「欺くもの」に影響されている。

ウェセルマン:
ということは、悪というものは人間が創造しない限り存在しなかったというわけだな?

ジン:
そうだ。

ウェセルマン:
では一神教の神として現れている支配者アクロンは悪なのか?

ジン:
いやそうではない。それは人間の敵として機能している「欺くもの」だ。

ウェセルマン:
宗教戦争があまりに多いのはこれが理由なのか?また、中世にはあまたの女性が魔女狩りの犠牲者になったが、それが理由なのか?

ジン:
そうだ。ユダヤ、キリスト、イスラム教の神は支配者アクロンであり「欺くもの」なのだ。これらの影響で人間はとてつもない悪を行うようになったのだ。だが、それらはまだ人間に悪い影響を及ぼしている。

ウェセルマン:
それらはまだそんなことをする力を持っているのか?

ジン:
「欺くもの」である支配者アクロンは力など持ってはいない。それらは創造者ではないのだ。人間こそが創造者であり、なにを創造するのかは人間次第なのだ。人間が、自分自身に悪影響を及ぼすものをものを作ったのだ。

ウェセルマン:
ということは、選択は全部人間にかかっているということか?

ジン:
まったくその通りだ。人間は悪も創造できるし、善も創造できる。

ウェセルマン:
では、悪にはどうやって対処すればよいのか?

ジン:
私には分からない。それは人間の責任である。もし悪を創造できるなら、それを消すことだってできるはずだ。

ウェセルマン:
どうやって消すのか?

ジン:
悪の反対を創造することでだ。人間の思考を変えればそれはわけがないことだ。一神教の神は「欺くもの」なので人間の思考と感情からすべてのエネルギーを得ている。人間こそが創造者なので、すべての選択は人間にある。だが、「欺くもの」を信じてしまうと、これらの言うなりになり、悪い影響を得てしまう。一神教の神は、人間の貪欲、競争心、自己欺瞞などを喜び、戦争と暴力を引き起こす。

ウェセルマン:
もう一度聞くが、われわれ人間が神を作ったということなのか?

ジン:
その通りだ。

ウェセルマン:
では創造主とだれのことなのか?

ジン:
誰も知らない。大いなる神秘だ。

ウェセルマン:
では、創造主はどこにいるのか?

ジン:
あらゆるところに存在している。

ウェセルマン:
創造主があらるゆところにいるということなのか?

ジン:
いや、創造主は意図して創造はしない。発散するだけだ。意図的に創造するのは人間だけだ。

ウェセルマン:
では、そうした創造主をわれわれ人間がコミュニケーションをとることは可能なのか?われわれ人間の祈りを聞いてくれるような存在なのか?

ジン:
いやそれは不可能だ、創造主は存在し、自らを発散しているだけだ。

ウェセルマン:
では君の言うこの創造主が本来の神のことなのか?

ジン:
いいや、違う。それは創造主だ。神ではない。

ウェセルマン:
ではわれわれ人間の祈りの声を聞き届け、それを実現してくれる神はいるのだろうか?

ジン:
もちろんいる。そのような神こそ人間自身の魂だ。人間の中で死なない部分こそが魂だ。人間の魂は本物の霊で、霊の世界に住んでいる。それはいつもまどろんでおり、夢を見ている。

ウェセルマン:
何の夢を見ているのか?

ジン:
自分自身の夢だ。

ウェセルマン:
ということは、われわれが大いなる神に祈っているときは自分自身に祈っているということなのか?

ジン:
その通りだ。人間は自分自身の魂、つまりハイアーセルフといわれる神としての自己自身に祈っているのだ。魂をもつ霊的な存在である人間は、神的な存在になる過程にいるのだ。そして君達が夢をみるとき、その夢はハイアーセルフの夢なのだ。

ウェセルマン:
ジンは人間のような神的な存在なのか?

ジン:
われわれも神的な存在であり、霊である。そして自由意思をもっている。

ここでこのユニークな会話は終わった。

以上である。一神教の神が人間の創造物であり、一度創造されると逆に人間の思考や感情に悪影響を及ぼすというのは、実に面白い描写である。






「精霊の世界に覚醒して」

2011-01-01 | 「精霊の世界に覚醒して」
ヤスの備忘録 歴史と予言のあいだより転載

http://ytaka2011.blog105.fc2.com/


ハンク・ウェセルマン著 「精霊の世界に覚醒して」

第1章
シャーマニズムとはなにか?

霊感のある神秘家

シャーマニズムは人類に知られているもっと古いスピリチュアルな実践であり、その意味では、すべての宗教の祖先である。シャーマニズムの方法は、特定のものごとを実現するために集中する瞑想方法である。しかしそれは、人の生き方になると同時に、この本で解説するように、人を根本から変えてしまう力を持っている。
 ”シャーマン”の語源は、シベリアのツングース族のエヴェンキ語から来ていると考えられている。シャーマンは、秘密の知識と驚異的な精神的能力を持ち、精神世界と人間世界の橋渡しを行う人物のことだ。”シャーマン”を訳すと、”暗がりの中で見える人”または”知識と知恵のある人”の意味である。
 シャーマンの実践方法はシベリア、アジア、アフリカ、オーストラリア、グリーンランド、北アメリカ、中央アメリカ、南アメリカ、そしてラップランドのサミー族のような北ヨーロッパなどの諸部族の民俗学的調査から明らかになった。こうした調査から、シャーマンは世界全域のすべての文化に存在していることが分かった。
 文化の違いにかかわらず、シャーマン非常によく似た世界観を共有している。彼らは、2つの異なった世界があるという。一つは、”目に見えるものの世界”で、もう一つは”目に見えない世界”だ。シャーマンは霊感の強い神秘家のような存在だ。そのような存在としてシャーマンは”目に見えない世界”に入って行く。そこでは、さまざまな超日常的な生き物や元型的な力に遭遇する。シャーマンはこうしたものを”精霊”や”祖先”、またはときとして”神”と呼ぶ。
 シャーマン、そして現代の本当の意味の神秘家は、自分が容易にトランス状態になることができるのを発見する。トランス状態とは意識がなくなることをいうのではない。その逆である。トランス状態とは、日常的な意識の状態を離れ、伝統的な部族の人々が”精霊の世界”と呼ぶ、日常世界と平行して存在しているもう一つの世界に意識して入って行くことなのである。その意味では、トランス状態とは意識の拡大なのである。
 シャーマンは精霊と関係を持つ。すると精霊はシャーマンや他の人々のためにさまざまなことをやってくれるようになる。たとえば、愛する人をなくしたトラウマから力が抜けてしまったような人々に働きかけ、生きる力を回復させてやることができる。また、生命エネルギーの流れを遮断している障害を取り除いてやり、身体や精神の病気から人を回復させることもできる。さらに、”憑依”と呼ばれる方法を用いて、目に見えない世界にアクセスして、貴重な知識をこちら側にもたらすことができる。そして、この世をさまよっている死者を、死者が本来ゆくべき死後の世界まで導くことができる。また、人の魂に働きかけ”魂の回復”の技法を使い、魂の傷ついた部分を修復することもできる。
 キューバ出身の医療人類学者でアンデスの部族からシャーマニズムを学んだアルベルト・ビロルドは、シャーマンは”目に見える世界”と”目に見えない世界”を自由に行ったり来たりできる人達のことだと言っている。ビロルドは現代人が”目に見えない世界”の存在をいかに無視しているか嘆いて次のように書いている。

「 シャーマンは目に見えるものの世界と目に見えない精神とエネルギーの世界を橋渡しする人のことである。シャーマンにとって超自然的な世界などというものは存在しない。自然の世界のみが存在し、その世界に目に見える次元とそうではない次元があるだけだ。
 しかし、前世紀には科学は古代から伝わるシャーマンの世界を無視した。電子顕微鏡で見える最小の存在は微生物でしかないし、天体望遠鏡は天国ではなく暗黒の宇宙を映し出すだけだ。
 宇宙のすべての現象を統合的に説明する理論は、統一場の理論となった。信用されるためには、シャーマニズムさえも量子力学の言葉で語らなければならなくなっている。これは5万年の歴史を持つシャーマニズムの価値を低めるものである。」

 対照的に、科学は”向こう側の世界”のような現象を説明することには慣れてきており、ゆっくりとではあるが、シャーマニズムは主流の科学に受け入れられつつある。ネイティブアメリカンで20年間シャーマンニズムとかかわっているキャロル・プラウドフット・エドガーは次のように述べている。

「私がシャーマニズムを教え始めた1989年、私のワークショップの参加者でシャーマニズムのことを聞いたことのある人は非常にまれであった。それが今では、シャーマニズムのことを聞いたことの無い人は私のワークショップにはほとんどいない。確かに私は非常に狭い範囲の人々を対象にしている。だが、それでもこの変化は、人類の集合無意識にとっては巨大な変化なのだ。
 最近ではシャーマニズムはポップカルチャーの一部になっている。シャーマニズムに関する膨大な量の文献が手に入るし、シャーマニズムの変性意識を題材にした小説やテレビ番組にはことかかない。医療の分野でも、代替治療やヒーリングはシャーマニズムの技法を取り入れている。この変化はあまりにも速いので、シャーマンの視点から世界を見ることはまったく知られていなかった時期が思い出せないくらいだ。
 これは世界中どこに行っても同じ状況だ。これまでエキゾチックな風習としてしか見られなかったシャーマニズムが、どこでも受け入れられつつある。私は夢を見た。それは世界中のあらゆる英知を結集し、この惑星の進化のために新しい現実をともに作り出すという夢だ。これからどのようなパラダイムが出てくるのか分からない。しかし、シャーマニズムが行くべき道を指し示す役割を果たすことだろう。」

古代のスピリチュアルな実践

 シャーマニズムの源流は、何十万年もの過去に溯ることができる。精霊の助けを借りて行うシャーマンの実践は現代でも広く行われており、シャーマニズムの潜在力を証明している。アルベルト・ビロルドによると、シャーマンの痕跡は人類の遺跡の発掘から明らかになるという。

「シャーマニズムの最も古い痕跡は、イラク北部、クルディスタンのザグロス山、シャニダー遺跡である。ここには30代後半の男性が胎児のような姿勢で埋葬されている6万年前の遺跡だ。埋葬されている男性にはいろんな花々がかけられているが、それらはすべて薬草として知られるものだ。現代のホモサピエンスが出現するずっと以前から、シャーマニズムは存在していたのである。」

 古人類学者としてエチオピアで発掘調査に従事したハンク・ウェスルマンは、考古学的な遺跡からシャーマニズムの痕跡が多数見つかり、シャーマニズムの埋葬の方法を溯って見ることができるという。

「 さらに古い時代の埋葬の儀式の痕跡が明らかになっている。エチオピアの中部アワシュ地域から出土した16万5000年前のホモサピエンスの頭蓋だ。このホモサピエンスは、前の時代の原始的な人類の特徴を幾分残している。
 この頭蓋には長い時間をかけて磨かれたつやがある。これは、死者に対する尊敬の念が、歴史が始まる前の時代から存在していたことを証明する科学的な証拠だ。」

 シャーマニズムには多くの儀式がかかわっていることは間違いない。だが、シャーマニズムと宗教とは大きく異なっている。シャーマニズムはいわばスピリチュアルな道なのである。アルベルト・ビロルドは、シャーマニズムは神秘主義とは異なるとして以下のように述べている。

「 スピリチュアルな実践は、個人の直接的な体験に根差している。この体験は個人的でありながらも、多くの人が体験できるタイプのものである。
 一方、宗教は信仰が基礎にある。私のインド人の師匠とアンデスのチチカカ湖の周囲を一緒に散歩したとき、師匠は次のように説明した。

「宗教というのは、スピリチュアルな直接体験の単純化された表現だ。宗教はスピリチュアルな体験の原理や価値、そしてその真実を物語りや詩などの比喩を使って、スピリチュアルな英知を語る。」

 宗教の物語は何度も繰り返し語られるにつれ、比喩や言葉のちょっとした彩までもが字句通りに受け取られ、そこに込められた教えは忘れ去られる。
 私の師匠は彼らのものではない宗教を守る役割を果たしていた。
 しかし、シャーマンは物語の著者なのだ。神秘の創造者なのである。私の師匠であるエル・ヴィエジョは神々しい自然そのものを信じていた。シャーマンは、片足をこの世に、そしてもう一本の足は精霊の世界に置く。私は神学校で他の人々の体験(宗教)を学んだ。そして私の師匠、エル・ヴィエジョとともに自分の体験を学んだ。
 エル・ヴィエジョは、覚醒時に経験する日常世界を形成している意識は、普遍的な意識である。この普遍的な意識は、ナビゲーションが可能な巨大な海のようなものだ。大抵の人々は、この巨大な海を沿岸から眺めるだけで満足している。しかし、海を航海し、渡り、海に洗われることで、海の深さを発見し、そうやって海の全体を知ることはできるのだ。シャーマンとは、この普遍的な海を泳ぎ、航海し、そして安全に岸までたどり着き、そして、その驚くべき体験を人々に伝える人のことなのだ。
 シャーマンとなるトレーニングは、ギリシャ人が「傷ついたヒーラーの道」と呼ぶ過程を通る。その道は、シャーマンが自分自身を癒す過程で、自分の能力を発達させる道である。これは、シャーマンが他者を癒すことができるためには、自分を癒さなければならないからだ。
 ところで、神秘家もシャーマンと同じようにエネルギーと精霊の世界を体験する。しかし、シャーマンと神秘家とは大きく異なる点がある。シャーマンは自分の属する共同体に奉仕するが、神秘家は自分の神秘的な体験に沈殿するだけである。
 私の師匠が言うには、新しいタイプの現代のシャーマンは西の世界からやってくるという。「いま、私達インディオは、祈りの力で世界をまとめるスタミナと力がなくなってしまった。私達の多くのものは魂を失っている。希望は、あなたたちとその子供たちにあるはずだ。」と言っていた。」

 シャーマニズムには多くの儀式が存在している。だが、シャーマニズムと宗教とは基本的に異なる。さらに、シャーマニズムの人気がいまのように高まっても、シャーマニズムを呪術師と混同する人々が後をたたない。
 呪術師というのは、共同体のために儀式を執り行う人々のことである。現代の階層化された宗教でいえば、呪術師は司祭のような儀式の執行者のことなのだ。たとえば、プレインインディアンの呪術師である女性は、薬草の知識を用いて癒しを施す。だがそれは、あくまでもこの世の目に見える世界で行う癒しなのだ。
 シャーマンと他のヒーラーの大きな違いは、シャーマンは精霊の世界と関係を持ち、精霊の助けを借りてヒーリングを行う点にある。シャーマニズムとは、精霊と呼ばれるトランスパーソナルな力の助けを借りることなのだ。イニシエーションで得た聖なる力と、守護霊の助けを得ることで、ただひとりシャーマンのみが目に見えない世界の神秘の世界に入ることができるのだ。





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