目覚め。

チャネリングされたイエスの言葉とACIM。

03-02-20#2

2009-10-09 13:18:38 | Chapter 02
原文
http://www.nwffacim.org/default.aspx

February 20, 2003 ©NWFFACIM

A Course In Miracles Study Group with Raj/Jesus

TEXT: First Edition page 28 Second Edition page 32
Chapter 2 -- Cause and Effect (Part 2)


“Yet any attempt to resolve the error through attempting the mastery of fear is useless. In fact, it asserts the power of fear by the very assumption that it need be mastered. The true resolution rests entirely on mastery through love. In the interim, however, the sense of conflict is inevitable,… “

〔恐れを手なずけて間違いを修正しようと言う試みは無駄です。 恐れをマスターしようと言う行為は、恐れを制御しなければならないと言う前提を掲げる事によって、恐れに力を与えてしまいます。 真の解決は、愛による統治(mastery)にかかっています。 それが出来るように成るまで、摩擦は避けられません。〕

RAJ: これは簡単ではなく、楽しくも無いかもしれません。


“since you have placed yourself in a position where you believe in the power of what does not exist. “

〔何故なら貴方は現在、実存しないものの力を信じるポジション(位置)に自分を置いているからです。〕

RAJ:  その通り。

質問者:
個人的なところから質問させてください。 私は楽しんでいます。 これは私が「呆けた休息」にあるからですか? それとも私は「幸福な夢」(Happy Dream)へ到達したのでしょうか?

RAJ:   
こう質問しましょう。 貴方の「幸福な夢」はプライベート(個人的)な夢ですか?

質問者:
そうは思いません。 これがプライベートな夢だとは思いません。 これは世界の見方だと私は思います。 (幸福な夢とは)神のプランに完璧に沿って世界の全てがあるのを見ることだと思います。

RAJ:
貴方は苦しんでいる世界を見ていますか?

質問者: 
私は混乱を見ています。 しかし進歩も見られます。 私は自分の世界には苦しみを見ていません。
新聞でそれについて読む事はありますが、私の体験の中では、苦しみを見る体験をしていません。 私は人々がベストを尽くし神のプランに従って前進しているのを見ています。 時々それを見失うにしても。

RAJ:
貴方は自分を繭の中に閉じ込めて外を見ていないか、それで無ければ、苦しみに(本当よりも)穏やかな定義を与えているのです(もしそうなら、それは訂正されるべきです)。 もし貴方が新聞で苦しみについて読んでいるなら、それは貴方の世界で起こっているのではないのですか?

質問者: 
正直に言って(新聞では)物事が誇張されていると思います。 そのようにしてより多くのメディアを売ろうとしていると思います。例えば…。

RAJ:飢えている人が居ないと思いますか?

質問者: 飢えている人は居ると思います。

RAJ: これは苦しみではないですか?

質問者: そう、それは苦しみです。

RAJ: これは訂正されるべきではないですか?

質問者: はい、そうです。

RAJ: この事態に対して係わり合い(関与)が必要だとは思いませんか?

質問者:思います。 ではコースで言う「幸福な夢」とは、全ての人が「幸福な夢」の中に入れるまで達成できないのですか?

RAJ: 幸福な夢とは飢えた子供が居ない事です。 幸福な夢とは国の間に、政府の間に、人々の間に調和がある事です。 幸福な夢とは、他の天体から来た人が、ここでも知性が統治していると認識できる世界の事です。
これが、愛が愛の意味が発見され体現されているという事です。

それは(愛の体現された世界は)、怪我や、痛みや、飢餓や、その他諸々の苦しみが起こっていて、それでいて人々が微笑んで「幸福な夢」と呼ばれるあやふやなものを体験している世界という風には現れません。

幸福な夢では、世界が調和しており、どの様な苦しみも行なわれている様には見えないのです。

質問者:
貴方はどうやって目覚めたのですか?  私の理解では、人はまず幸福な夢に入って、その後神のプランが起こりそれによって覚醒するまで、幸福な夢の中に存在し続けるのだと思っていました。

しかし世界に苦しみがある限り、だれも幸福な夢には入れないのでは、誰も目覚められない事になります。

もし兄弟の一人でも苦しんでいる限り誰も目覚められないのなら、今まで誰も目覚めた事は無いことに成ります。  私には貴方がこう言っている様に聞こえるのです。 

RAJ: 全ての人が目覚めるまで、兄弟姉妹の共同体は完全には目覚めていません。 その意味では、私も完全には目覚めていません。 何故なら私の兄弟姉妹で未だに自分の夢に固執している人達も居るからです。 
{だから、私も兄弟姉妹の共同体の隅々までを意識出来ている訳ではありません。 - と言いたいのだと推量しました。訳}

質問者: では貴方も楽しんではいないのですね?

RAJ: 自分の世界の中で行為を通して神を体現する聖なる性質と性格を認識し始めたのなら、その様な行動と意図が容易に出来たにしろ、あるいは(貴方の以前のマインドの状態、分離されたマインドの状態のせいで)それが容易でなかったにしても、貴方は自分の票を投じる事(神と繋がり真理を表明する事)を楽しく感じるようになります。 その時貴方は、父の意志を体現する全ての行動において(それがどれだけ些細な事に思えても)、既に目覚めている兄弟姉妹たちが一緒に喜んでいるのを感じ始めます。

私が「楽しくはない」と言った理由は、貴方が自分の票を投げ入れる時(真理を行動に移すとき)感じる恐れは、「相互合意された定義」から抜け出る(グループの総意から抜け出る)プロセスの不可欠なステップであり、その恐れ故に票を投げ入れる事(行動する事)をためらうべきではないと言いたかったからです。

質問: しかしいつか気にならなくなる時がくるのですか? 自分の行動の結果が波紋を呼ぼうとも全く動じなくなる時が。

ただ正しい事がしたいだけと決意して、自分の立場を明確に示し、その他の事はなすに任せる事が、慣れればそれ程恐ろしい事ではなくなるのですね。

RAJ: そうです。

しかし、幸福な夢とは、苦しみに霊的な定義を与えて、現存する苦しみを苦しみではなく、それは(目覚める為に必要な)霊的向上の不可欠なプロセスで、苦しんでいる様に見える人は神の目的を遂行しているので助けを必要としていない(と言うような馬鹿げたアイディアを)自分に思い込ませる事で得られる至福の体験などではありません。

それでは修正は起こりません。

その様に考えていては、飢餓に苦しむ人が食事が出来るようにしたり、小さな女の子や男の子を抱きしめたり、掘っ立て小屋に住んで鼻を垂らし目脂を溜めている小汚い子供達を元気付けて、愛を体現する、幸福な夢の要素を表現してみせる、貴方の行為を通して愛と真理を彼らに照らし示す事によって、状況を変容させる事が出来ません。

彼らの涙が拭かれて、彼らが泣く機会が減っていけば、幸福な夢が見えてきます。 幸福な夢はプライベートなものではなく、それは貴方が一人で作り出せるようなものではありません。 

これで貴方の質問の答えになっていますか?

質問者: ええ。貴方が質問に答えてくれる前のほうが楽しかった様な気もしますが。
私は自分が今いるべきところにいて、やるべき事をしていると感じています。 その様に導かれたと考えています。

RAJ: そうです。そして貴方は今私の言う事を聞いているのです。

質問者: そうです。 しかし、私は、自分が意識を注いだ事がより大きく広がっていくと思っているのです。だから、私が世界中の飢餓などに苦しんでいる人達について考え、自分がそちらへ行って助けなければと考えた場合…。

RAJ:  OK。 典型的な苦しみなどというものは存在しない事、今「世界中の苦しむ全ての人」{という概念}について話してはいない事にもう一度気付いてください。  貴方は具体的な苦しみを見る機会があるでしょう。 貴方の周辺すぐ傍に苦しみが感じられ事があるでしょう。

質問者: ええ。

RAJ: それなら、貴方が神を体現できる(神を表現する)機会がありますね。 


質問者: 「世界を愛しなさい。」と言われていしまうと余りに抽象的でどうして良いか解らないけれど、
しかし買い物の支払いを待っている時、自分の前に立っている人がグズグズしている時、自分は怒ったり焦れたりしないと決めて「父よ、これを違う風に見られるようにしてください。」と言うようなものですね。

あるいは気落ちしている人を見かけたとき、笑いかけてハローと言うような事ですね。

RAJ:  その通りです。

質問者: それが自分の目の前にある対応するべき事柄な訳ですね。

RAJ:  そうです。

質問者: そして変容が起こっているのが見られたら、それはハートが(物事の見かけを超えて)起こっている変容を見えるようになったと言うことですね。

RAJ: Yes.

質問者: それが私を幸福にするのですね。


RAJ: Yes.

質問者: それを私が大切にするのですね。

RAJ: Yes.

質問者:  そうして…。

RAJ:
そうして貴方が関心の輪を広げて、アフリカの飢えている子供などについて考えたなら...。

質問者: しかし楽しみを持つことは悪い事ではないでしょう?
(悲惨な)物事を真剣に考えすぎると、とても憂鬱に成ってしまうのです。
そうすると他の人を抱きとめたり、隣の人に愛を持って接したりする事が出来なくなってしまうのです。

RAJ:
それでも、そこが貴方の意識が必要とされているところなのです。 貴方はそろそろ目を覚ます時期なのです。 つまらない(変容をもたらさない)楽しみには飽きてそれを捨てる頃合です。 本当にお互いを助け合い本当に変容をもたらす方法を見つける時が来ているのです。 それを見つける過程で、貴方の本当の役目を体験したなら、娯楽ではなく喜びが見つかるでしょう。 喜びは、娯楽よりもとても深く無限なものです。

質問者:解りました。 他の人にマイクを渡したいと思います。

次の質問者:貴方が言った事でとても気になった事があります。 もし私の理解が正確なら、「だれか個人が相互合意された定義から偏向して行った時、戦争が始まる。」と貴方がいったと理解しました。  そしてそれ(例えば戦争の始まり)を神として見て、神と共にそれを見て、それからYESあるいはNOと言う事が、今の世界で必要とされていると…..。

RAJ:
違います。 この点をハッキリさせておきましょう。  (神と共に物事を見れば)それはすなわちYESまたはNOと言った(という)意味に成るのです。 しかし貴方は、何かに賛成したり反対したりする訳ではありません。 貴方が神と一つに成っているところから湧き上がるYESあるはNOは...。

質問者: それがYESなのですね。

RAJ:
それはYESからもしれないしNOかも知れません。 しかしそれは特定のグループに対してYES/ NOと言っているのではないのです。

つまり、あなたのYESあるいはNOは、闘争の一部にはならないのです。 それは例えば、 「いいえ、2足す2は5ではありません。」とか「はい、2足す2は4です。」と言う事により近くなります。

質問者:
わかります。 しかし私は戦争を「起こしている人」に関して質問があるのです。

「私は独立した存在だ。 私は自分の世界の中で自分の好きな様に振舞う。 他者がどう考えようが私にはどうでも良い。」と言って戦争を起こしている人が居たとしましょう。しかし世界は平和であるべきだという定義を掲げている人も居て、(この対立が)戦争を引起します。 或いはグループの中に、「私はそれには同意できない。 だから私は戦争をはじめなければ成らない。」という人が居たりする訳です。

RAJ: ええ。


質問者:
しかし貴方は(人々が危害を受けているにも係わらず)「戦争に理があるような事を言った」と私には思えました。 とても混乱を感じているのですが。

RAJ:
私が「自分の票を投げ入れなさい。」と言った時、私は繋がっていない場所からYES/NOと言いなさいと言ったのではありません。
グループの合意(総意)は、(神と)繋がっていないところの一要素です。

だから、起きる事は全ては、グループの最多数意見が形作る総意に沿って動き続ける緊張(力)であり続けます。

誰かがオリジナルなアイディア(新しい定義)を思いついて、それを相互合意の中に含めようと試みると、それは直ちに抵抗勢力と向き合う事になります。 こうして戦争(闘争)が始まるのです。

グループの総意(合意)の中に留まって来た個人が、自分の意識を祭壇にもう一度戻して父と繋がり、真理と愛に満たされる事を望み、それらを体現できるように成ろうとしたなら、彼は繋がっているところから新しいアイディアを(グループ内に)投入しようとしているのです。

その人のアイディアの投入は、大きな抵抗は生みません。 何故ならそれは愛と共に行なわれるからです。 それは、グループの総意を作っている人達にも理解できる言葉で話され、(グループの総意をつかさどって来た)エゴを刺激する事無く、知覚の変容が起こりえるのです。  これで解りますか?

質問者:
いいえ。 もっと具体的な例を取って説明してくれませんか。

例えばイラクの状況を例に上げて、貴方の説明している事を当てはめてくれませんか。 アメリカやフランスの立場がどうなのか。

貴方が言っていることが、実際の状況でどの様に働いているか示してくれませんか?

RAJ:  これらの状況は、まだ私が言っている事(薦めている行動)を反映してはいません。

質問者:
それなら、今我々が立場を決める様に求められている時、 自国をサポートしてそれの優位を...。

RAJ:
だれがそれを貴方に求めているのですか?

質問者:
我々の政府です。

RAJ:  成る程。

質問者: ええ。

RAJ:
私はそれを貴方から求めてはいません。

質問者:
その通りです。 しかし貴方が戦争について話している時、私は考えたのです…..。

RAJ:
理解しました。

質問者:
それは間違った考えかもしれませんが、私はそう考えたのです。

RAJ:
(狭い意味では)貴方の惑星のとても限られた一部の人が、「相互合意された定義」の上で生活しているグループを構成しています。  しかし(広い意味では)貴方達全員もまた何らかの意味で、そのグループの一員なのです。

貴方が妄信している「相互合意されている定義」の一つは、「貴方は、卵と精子が繋がって出来た物理的な体の結果として存在している」、「あなたは、ビッグバンと呼ばれる単なる物理的イベントのせいで出来た天体の中に住んでいる一生物である。」です。

そしてこれが定義であって真理ではないと、貴方には(十分)解っていません。 貴方が神を体現する現れであり、父の視点が(絶対に無くせない)貴方の自然な権利だと、貴方は気付いていません。  故に私は(イエスは)何をしようとしているのでしょうか?

私は常に貴方をそそのかして、物事を違う風に見るように薦めているのです。 そして何か新しいものが入って来られるだけ貴方が好奇心を持てるようにしようとしています。 そして将来の「成長」がより容易により自動的に起こる様、全く新しいアイディア/考え/視点を持てるように促進しようとしているのです。

全ての言葉でエゴ(に囚われている貴方)に語り掛けて、貴方のエゴが強化されないよう、私が貴方にとって敵として見えないように努力しています。

私は、貴方が私を敵として見ないように現れています。 と同時に「NO. 貴方のエゴを強化する方向で貴方と繋がることはしません。」と言っているのです。

これが「(神と繋がって)NOと言う」一例と言えるでしょう。

私は神聖な貴方に語りかけています。 貴方が自分だと考えているエゴを刺激して、私の目的を台無しにする事無く。  私の目的とは、貴方に自分の本当の目的を思い出させて、貴方が自分の正しいマインドに帰って来れる様にすることです。

私は、「何だと! 俺が正気じゃないって、そういうのか! テメエ。自分を何様だと思っていやがる。 思い上がるのもいい加減にしろ!」と貴方のエゴが叫び出さない様に、これを言う事が出来ます。 

私の動機が来ている所は、私が話している所は、私が父と一体に成っている所です。そこから私は、貴方を恐れさせずに変化を促進させる事が言えるのです。

だから、貴方が(自分の中の)祭壇に向き合って、父と繋がり、自分が兄弟姉妹と、「相互合意された定義」を保持しているグループと一緒にいる事が出来るのを発見したなら、(恐れられる事無く)彼らと一緒にいる事が出来ると気付き、彼らが否定的に定義していたものに対して好奇心を掻き立てられるのです。

プライベートな思考は存在しません。 全ての思考は共有されています。

だから貴方達一人一人が(自分の中の)聖壇に向き合い、まず訊くのです、貴方を通して出てくるものが真理を現す変容を体現しているだけでなく、(恐れを引起す事無くそのアイディアが聞き入れられる様にする)育む愛が体現されるように。 私が「貴方の票を投げ入れなさい」と言った時に意味しているのはこれなのです。

私は貴方の愚かなエゴに反対する票を投じ入れているわけではありません。 貴方のエゴは私にはどうでもよい事です。 私は貴方のエゴに対してどうにか対処しようとは考えていません。

そのようなエゴは実存していないので、私はそれを攻撃もしません。

しかし、(貴方の中の)エゴの感覚を強化するような言葉も私は言いません。

私は言葉を選んで、貴方が自分のエゴを強化させる以外の事に興味が持てるようにしようとしているのです。 それをする何らかの、知的な建設的な理由付けを貴方が持てるようにしようとしているのです。 貴方がエゴの強化よりもそちらへ、より興味を示せるように。

私がポールを通して話し始めた頃は、私がポールについて(みんなの前で)話すと、ポールは緊張したものです。 しかし今では、私がポールについて話しても、彼は固くなりません。  そして今では、貴方がエゴでは無い事を貴方に言って聞かせても、貴方はエゴとしては反応しなくなりました(貴方は自分の事をエゴと考えて反応はしなくなりました)。 我々も成長したと言えるでしょう。

プライベートな思考は存在せず、貴方は父と繋がっているので、ポールが今している事を貴方もする意志が持てたなら、 父を体現したいと思ったなら、その時貴方が自然とする行動が貴方の周囲で変容の引き金を下ろします。 が、それだけではなく。

貴方が「自分の中で分離し続ける事」を止める決意をしたなら、「自分のプライベートな親切な思考を持つ権利」を貴方が放棄したなら、その時貴方は繋がっています。 貴方はその時父と一つに成っており、貴方の特定の貢献(と見えるもの)は、ありえないほど大きくなります。 それが本当に貴方の小さな貢献であったなら、とうてい不可能な程意味深い事が起こるのです。

それが(父と繋がった時の貴方の貢献が)、巨大なパンを作る微小なパン種になるのです。 世界の中に広大な変容をもたらす、小さなことが起こせるのです。 何故でしょう? それは貴方が決定した事故ではありません。 それは貴方がアイディアを現して時の集中力故ではありません。 それはその時、貴方が自分の中で矛盾していなかったからです。

貴方が自分の中に争いを擁いていない時、それは「独立して行動する権利」を貴方が放棄している事を意味しています。 自分独自ののマインドを主張する、自分の権利を主張するノイズ(騒音)が無い時、貴方が居るその場で「神が成っているもの」を貴方は自分自身として体験する事が出来るのです。

貴方の聖なるセルフ(自身)が貴方の体験になるのです。 貴方の頭に後光が光るわけではなく、天使のコーラスが聞こえる訳でもなく、一つの目的を純粋に望むシンプルさと共に(それを体験します)。

父が設定した目的を、貴方が体現したいと意図したとき、それに(父の目的に)何も自分では付け加える事無く(にも係わらず自分がないがしろにされているという感情も抱かず)にいるのです。

ここに夢を変える力があります。 純粋に一途に、貴方が神に譲って、(その時)自分が成るものに(自身を)明け渡す意志を持てば、 夢を改善してそれを幸福な夢にする事が出来ます。

これで貴方の質問の答えになっていますか。

質問者: 貴方の言う事が、よりハッキリ解りました。 私個人と、「私と神の関係」に対する貴方の言葉は良く解りました。 私がグループの中にいて、戦争について話している時、(貴方の言っている事は)あてはまらない(と思われたのです)。  貴方の言っている事は、本当は(その状態にも)当てはまるのですが、まずそこから(父と繋がり自分の独立を放棄するところから)始めなければいけないわけですね?

RAJ:  その通りです。

質問者: 貴方の最後の言葉は素晴らしかったです。 ありがとう。

RAJ: どういたしまして。