目覚め。

チャネリングされたイエスの言葉とACIM。

03-02-20#1

2009-10-09 08:20:43 | Chapter 02
原文
http://www.nwffacim.org/default.aspx

February 20, 2003 ©NWFFACIM

A Course In Miracles Study Group with Raj/Jesus

TEXT: First Edition page 28 Second Edition page 32
Chapter 2 -- Cause and Effect (Part 2)


RAJ:
今晩は、ようこそ。一番初めの文章だけをまず読んでください。

“It has already been said that you believe you cannot control fear because you yourself made it, and your belief in it seems to render it out of your control. “

〔前にも言った通り、貴方が恐れを作ったので、貴方は恐れを自分でコントロールする事が出来ず、恐れが貴方を脅かしている様に信じてしまいます。〕

RAJ:
貴方がコースを読んでいるとき、それを考える材料としてだけ読むことはしないように勧めします。 

ここで「恐れ」と言っているとき、これは抽象的な恐れではなく、皆さんが体験する内的な(感情の)動きに関して言っているのです。 この点を注意して読めば、コースの内容を自分の生活に当てはめ、それを活用する事が出来るようになります。

前にも言ったとおり、「恐れ」とは基本的に、「全てのものが貴方にとってどの様な意味があるか」自分で決めた時に(避けよう無く)貴方が感じる「居心地悪さ」なのです。

そして「全てのものが貴方にとってどの様な意味があるか自分で決めた」とは、「貴方が父から自分を分離させた」と言う事です。

貴方は自分の存在の基礎から自分を分離したので、結果として「落ち着き無さ」/「不安定」がもたらされたのです。

この居心地悪さが「全てのものを自分一人で見る試み」の結果であるとすぐ理解して、これを解消するには貴方が掲げた独立宣言を放棄する事だと気付くのではなく、貴方は自分が見ているものが/環境が/状況が居心地悪さの原因だと決め付けるのです。

そして貴方のするべき事は、「(貴方の外部に存在する)これらの物体と平和な関係を築くことだ」と(誤解して)考えてしまっているのです。

貴方の間違えは、「相互合意された定義」の結果平和が達成出来ると考えている事です。

貴方の間違えは、『分離し異なったパーツが協力し合い、相互合意できる定義を設定し、「平和な装い」と「恐れる必要の欠如」を作る事により平和がもたらされる』と考えている事です。

貴方達は全員、お互いを探って、最小限の抵抗、最小限の反感で納まる様にしようとしています。

こうして、貴方の作った「相互合意された定義」は(定義の合意に参加している)グループの各メンバーの本質を表す事無く、 グループ全体の一番怠惰な要素、一番ゆるい要素を表す事になるのです。

違う表現を使って言うなら、グループの各メンバーが自分の意見をハッキリ表明せず、決意を見せずに、あやふやな所から、グループとしての意見を作ってしまうのです。

「相互合意されている定義」とは必然的に不明瞭な定義になってしまうのです。

それはグループの最小公分母(最大多数の人々に共通なもの)を表すものなのです。 何故なら、お互いのエゴに触らないようにすると、結果としてそうなるからです。

戦争とは、ハッキリし始めた(物事のある側面をハッキリと感じ始めた)者がそれを(よりハッキリさせる事を)表明しようとした時、それをグループ内の他者が押し留めようとする結果起こるのです。

こうして、ハッキリさせるに値するものを見つけた者、あやふやな態度を捨てた者、声を上げて波紋を広げる者は、現状維持に対する反抗者になるのです。 その様な者は攻撃されます。

その様な者は直ちに反論を受け、ハッキリさせる必要性を放棄して、偽りの平和(私が偽りの平和と呼んでいるもの)に戻るよう則されます。

そして皆がそれを見て、恐れるべき(避けるべき)事があると考えるのです。 その恐れるべき事とは変わり者/のけ者/つまはじき者に成る事です。 恐れるべき事とはグループの中で立ち上がって何かを表明する事です。

RAJ: 私が言いたいことは、これが行なわれているのを皆が黙って見ている時、その人達はテロリズム体制の下に働いているのです。

最近テロリズムという言葉が頻繁に話されていますが、それをただの話題として受け取っている人が多いと思います。

しかし貴方はテロリズムが何を意味するか自分の中で感じる必要があります。

「自分はテロリズムを感じた事はありません」と言う人もいる事でしょう。

しかし、ここ数週間に渡って私が、意見を表明する事の価値、関わり合う事の価値を説いていた時、貴方が感じていた事を思い出して見てください。

私は、貴方がこの馬鹿げた(自分を守っていてくれていると貴方が考えている)安全地帯から出てくるように勧めているのです。

貴方が自分の内側に入って聖壇へ向き合い、真理を訊ねて、自分を真理で満たして、真理を知る体験が出来る様に私は貴方を導いています。 そうして貴方が自分の票を投げ入れられる様に(自分の権利を執行出来るように)、ただ考えるのではなく、行動できるように、 そして貴方が「知っている」ことを行動で示せるように、それを世界の中で表現できるように。 それを(真理を)(世界の中で)見えるように表して欲しいのです。

私が言ってきた事を少しでも考えた人は、自分の決意を表明しようとすると無防備に感じられてしまう事が解ったでしょう。   しかし貴方は自分の票を投じる必要があるのです。 自分の聖なるマインドの中だけでなく、秘密のマインドの中だけでなく、白昼堂々とみんなの見ている前でも。

もし貴方が行動するなら、世界の中で貴方が知っている真理を体現するなら、それ(真理)が見えるようになって来ます。 それは人目を引くでしょう。 貴方の票(決意)は投じられ、それは世間に知られるでしょう。

そして、これ(堂々としてた決意の表明)がアトーンメント(贖罪)と関係があると気がついた時、貴方はこれをする事に何らかの恐れを感じる事でしょう。 何故なら貴方はその時とても目立ってしまうから。

「自分の票を投じなさい」と私が言ったとき、貴方は「何かに対して賛成か反対か示しなさい」と私が言っていると考える傾向がありますが。  何かに反対したり賛成したりしている時、貴方は聖壇に向き合ってはいません。

そして貴方が定義に対して反対したり賛成したりするのは、父の視点抜きに貴方が見ていた場合だけです。

しかし第三の選択肢が存在するのです。 貴方は何かに賛成するか、反対するか、あるいは神と(父と)共にあることが出来るのです。 

貴方が父と共に在る時、貴方は何かに反対したり賛成していたりはしません。

貴方が父と共に立っているとき、貴方は「攻撃」と定義されるものには成り得ません。 しかし、まだ聖壇に背を向けている者は、貴方のハッキリした態度を自分達への裁きとして解釈するかもしれません。

目覚めは満たされる体験、満足する体験ではありますが、それは楽しい経験(Fun Experience)ではありません。

何故なら、その時貴方は狂気の視点から正気へと移動しようとしており、自分の正気の動きを正しく見定める事がまだ出来ないからです。 だから、神と一つに成る事が本当に必要な事なのに、貴方は自分が「何かに賛成するか反対するか決めるように求められている」と自動的に考えてしまうのです。

「相互合意された定義」の領域では、多数決で物事が決められています。

しかし神と共にある者こそ多数(優勢)なのです。その様な者が世界に「よきもの」をもたらすのです。

こうして貴方の世界が変わるのです。 何故なら貴方が、神と自分の内部を合わせた(整列させた)からです。 この体験は恐れや傷付き易さを内包していません。

これが楽しい事ではありませんと言った理由は、貴方がグループの最小公分母(最大多数の人々に理解さているもの)とは違う意見にコミットしなければ(決意を捧げなければ)ならないからです。

今までは貴方のグループ(国家、会社、家族、団体、サークル)が貴方の神でした。 グループの合意という神以外のものを尊重する事に貴方は慣れていません。

しかし貴方は、真理に貢献する決意をしなければいけません。 貴方は愛に献身しなければいけません。

(その真の意味を現在貴方がまだ理解していない)真理と愛に、自分を与えなければいけません。

そして貴方にとって「まだ解っていないもの」に入っていかなければいけません。
貴方にとっては虚無であるものに浸らなければいけません。 そこで無防備になって、気付きと啓示に満たされる必要があります。

こうして本当に変わり、「相互合意された定義」(つまりグループの合意)から行動するのをやめるのです。

貴方は票を投げ入れる事(決意を表明する事)を恐れています。 それは貴方がこれを何かに対する賛成/反対を表明する事と考えているからです。

票を投げ入れる(投票する)と私が言っているのは、(その内に創造の全てが存在する)父と共に立つ決意をすると言う事なのです。 これを今夜理解してください。

貴方は自分が恐れをコントロール出来ると信じてはいないと既に言いました。 それは何故でしょうか?

何故なら貴方自身がそれを(恐れを)作ったからです。 貴方の恐れに対する信念が、恐れを貴方のコントロールの外に置いているのです。 解りますか? 貴方が恐れに与えた信念、それに与えた属性、それに対する定義、それに与えた意味が「恐れを」貴方のコントロール外に留めているのです。